『「努力義務」という言語表現は「自由」と「民主主義」の死滅へ誘導するもの!【後編】 ~努力義務の正体は「半強制」であり、「強制」へのステップ!~』

まずは『【前編】「努力義務」とは国民をコントロール(印象操作)するための誘導装置!』をお読みください。

「言葉」は悪意ある者にとっては、騙しや印象操作(誘導)の役割を果たすもの!

《正しい言葉の意味を知る》

〈『努力』の意味〉

コトバンクから引用

あることを成し遂げるために、休んだり怠けたりすることなく、つとめ励むこと。また、それに用いる力。

ウィキペディアから引用

努力とは、目標を掲げ、そこに到達するために邁進することである。

別の表現(意味)

・目標の実現のため、心身を労してつとめること。骨を折ること。
・物事に一生懸命力を尽くすこと。
・願望を叶えるために、コツコツと願望達成のために励むこと。
・苦しくて挫折しそうになっても、諦めずに希望を持って続けること。

〈『義務』の意味〉

コトバンクから引用

規範により人の内心ないし行動に課せられる一定の拘束のこと。

ウィキペディアから引用

義務とは、従うべきとされることを意味する。義務の根拠としては、理性、道徳・倫理、宗教、法制度、慣習などが挙げられる。義務に反した場合には、制裁があるとされる。

goo辞書から引用

  • 人がそれぞれの立場に応じて当然しなければならない勤め
  • 倫理学で、人が道徳上、普遍的・必然的になすべきこと。
  • 法律によって人に課せられる拘束。法的義務はつねに権利に対応して存在する。

別の表現(意味)

法律上または道徳上、人や団体がしなくてはならない、また、してはならないこと。
対象に対して強制力を有し、義務を果たさなかった者には罰則が課せられる性質のもの

〈『任意』の意味〉

コトバンクから引用

思いのままにまかせること。その人の自由意思にまかせること。また、そのさま。

ウィキペディアから引用

思うままに任せること、という意味で、当人の自由意思に任せる、ということである。

スッキリ(言葉の疑問を解決するサイト)から引用

「任意」とは、心のままにすること、その人の意思に任せることを表わす言葉です。
「任意」を構成する漢字は、それぞれ以下のような意味を持っています。

・任:その人に任せること、自由にさせること
・意:気持ち、考え、意見

上記の意味が組み合わさることで、「相手の判断や意思に任せる」という意味になりました。

別の表現(意味)

その人の意思に任せること。
そうするか否か、どれにするかが、勝手に選べること。

《「努力義務」とは?》

ウィキペディアから引用

努力義務とは、日本の法律上「~するよう努めなければならない」などと規定され、努力義務に従わなくても刑事罰や過料等の法的制裁を受けない作為義務・不作為義務のことである。
遵守されるか否かは当事者の任意の協力にのみ左右され、またその達成度も当事者の判断に委ねられる

労務SEARCHから引用

努力義務規定とは、法律の条文で「~するように努めなければならない」「~務めるものとする」と規定された内容を指します。
企業には積極的に努力することが義務づけられますが、法的拘束力や罰則がなく、どの程度対応するかは企業ごとの裁量に委ねられています。
努力していることを評価する絶対的基準がないため「これをしなければならない」というルールはありませんが、努力義務には「訓示的な規定」と「具体的な努力を求められる規定」の2種類があります。

『マネーフォワードクラウド契約』「努力義務とは?強制力の違いや罰則について解説」から抜粋引用

努力義務に法的拘束力はないため、違反したとしても罰則は科されません。
努力義務規定とは、法令などで「~するよう努めなければならない」「~務めるものとする」などと規定される内容のことです。義務ではなく、違反したとしても罰則は科せられません。一方で努力義務を怠った場合は、努力義務違反として損害賠償を請求されることもあります。

厚生労働省HPから引用

Q:今回のワクチン接種の「努力義務」とは何ですか。

A:「接種を受けるよう努めなければならない」という予防接種法の規定のことで、義務とは異なります。感染症の緊急のまん延予防の観点から、皆様に接種にご協力をいただきたいという趣旨から、このような規定があります。

「努力義務」と「任意」の違いは政治的・社会的に大きな違いがあり、国民にとっては重大な問題!

ここからはご意見番の私的見解でお送りします。

《「努力」と「義務」という語彙は、「矛(ほこ)」と「盾」》

〈「努力」という言葉の持つ意味を考える〉

「努力」という語彙の意味は、「到達するために邁進する」「怠けることなく成し遂げるためにつとめ励む」ことでした。

ということは、「努力」という語彙(言葉)は、いったい何を意味しているのか?
「努力」という言葉の意味する重要視点は「過程(プロセス)」にあるということです。
ただし、その「プロセス」とは、「目標」または「目的」に向かっているものであることに異論はないでしょう。
しかし、「努力」という言葉は「成果」よりもその成果を得るための「プロセス」に注目している、と言えます。
つまり、「成果への道のりのあり方」こそ「努力」という言葉の意味するものであると考えます。
要するに、「努力」という言葉の意味が「プロセス」にあるのだから、時間的視点から見て「いまだ成果(結果)は出ていない状態」であることになります。
だから、第三者が発信した「努力するべき(努力しなければならない)」という言葉が持つ帰結は「いまだ成果(結果)の実現の判定ができない」ということです。
別な言い方をするとその成果を出すのは当事者なので、第三者は成果が出るかどうかを待っていなくてはならない状態であって、当事者の意思に任せている状態なのです。

もう一度言います。
第三者が「努力しなさい(してください)」と言ったならば、その言葉が導き出す帰結は「成果(結果の実現)を当事者に任せている状態」なのです。

努力の状態とは、成果に向かうプロセスにあるのですから、いまだ成果なしの状態なので、努力の成果(結果)を求めること及び判定することはできない状態です。
成果を求めての道のり(プロセス)にあるのですから、成果うんぬんを言うことができないのです。

努力の“力の主体”は、「努力する者」にあります。

視点(立場)の問題は重要です。
「努力」という言葉を“誰が”発信しているのか? ということです。
自分が目標に向かって自分を鼓舞するための「努力する」というのならば、その成果の実現と責任は本人にあります。
しかし、第三者が他社に「努力しなさい(努力しなければならない)」というのであれば、「努力の成果の実現を第三者が求めている(望んでいる)」ということになります。
さらに言うと、努力を求めた第三者にも何らかの「責任」が発生すると言えます。

〈「義務」という言葉の持つ意味を考える〉

では、「義務」とは何でしょう?
対象に対して強制力を有し、“義務”を果たさなかった者には罰則が課せられる性質のもの」
「人の内心ないし行動に課せられる一定の拘束」、でしたね!

ということは、「義務」という言葉が意味することは明らかに「成果(結果の実現)」=「実行」なのです。
つまり、「義務」とは、「強制力」を持って「何事かを果たせ(又は、するな)」と対象者を拘束し、もし「行わなかったら(又は、行ったら)罰則を与える」というものです。
要するに、「義務」とは、権限を持つ者からすれば「強制するもの」であり、対象者にとっては「強制されるもの」なのです。

ここで重要な点は、「義務」という言葉は、義務を課された人(対象者)よりも義務を課した側に強い権限がある、という点です。
義務を果たさなかった場合、罰則が課せられる性質のものが「義務」なのです。
これは表現を変えれば、「強制」ということです。
「義務」とは、権限を持つ存在が対象者に対して「強制力」または「拘束力」を発揮するものです。
要するに「義務」とは「成果(結果の実現)」の有無が求められる「強制」なのです。

義務の“力の主体”は、「義務を課した者」にあります。

超簡単に説明すると「義務」とは「強制」を“言い換えた表現”だということです。
そして一番見逃せないことは、その責任は「義務を課された側」にあることです。

ここで問題なのが、「課した義務が間違いだった場合」です。
この場合、対象者が義務を果たさなかった責任ではなく、義務を規定した(課した)側に全面的に責任が生じます。
もし、mRNAワクチン接種が「義務」とされたならば、死亡や後遺症などの責任は全面的に政府及び行政にあります。
はい、ここが肝心なところです。
だから、政府は「mRNAワクチン接種を“義務”としなかった」のです。
ちゃんと責任回避の手は打っていた、ということです。

〈「努力義務」は「矛盾」の現代語〉

「努力」はプロセスに主眼があり、「義務」は成果(結果)に主眼があります。
「努力」は必ずやらなければならないものではなく、「義務」は必ずやらなければならないものです。
「努力」の権限は当事者にありますが、「義務」の権限は法規定する側(政治・行政)にあります。
「努力」には罰則はありませんが、「義務」には罰則があります。

このように「努力」という語彙(表現)と「義務」という語彙(表現)は、実は「水と油の関係」にあるのです。
水と油の関係の語彙をくっつけて造語にしたのです。
なぜか?
そこが国民にとっては重要です。

ポイントは「努力義務」という言葉がまさに「矛と盾」であることです。
現代の「矛と盾(矛盾)」が「努力義務」なのです。

《「任意」と「努力義務」の違いとは?》

〈「任意」という言葉の持つ意味を考える〉

では、「任意」という言葉と比較します。

『任意』とは、「その人の自由意思に任せる」こと、「相手の判断や意思に任せる」ことでしたね。
『努力義務』とは、「当事者の“任意”の協力にのみ左右され達成度も当事者の判断に委ねられるもの」、「法律上~するよう努めなければならないなどと規定されたもの」ですね。

別な言い方をしますよ。
「努力義務」とは、法律等によって「~するよう努めなければならない」と規定されていながらも、「法的拘束力はない」ものです。
要するに、「~するように」と法規定されていながら「当事者の任意(判断と行動)」に委ねられていることです。
分かりますか?
「任意」とどこが違うのでしょうか?

上記の文言の中で違和感を感じましたか?
政治家や官僚が絶対言わないことを言います。
本当は、努力義務の意味の中には「任意」という意味が含まれている、ということです。
では、任意なのかというと任意ではない。
もっと言うと、義務なのかというと義務でもない。
任意でもなく義務でもない、それが「努力義務」なのです。
まともな判断力のある良識ある人間ならば、頭がおかしくなりますよ。

別な言い方をしましょう。
「努力義務」という言葉を生き物に例えたならば、まさに「妖怪」です。
妖怪性を持つ言葉が「努力義務」なのです。
妖怪の本質は「本性を隠す」ですから!
(ネット上では「本名やプライバシー情報等」を隠すことを妖怪性と語る人がいますが、それは「本名(プライバシー情報)」と「本性」という言葉の意味を理解しない愚か者の語りである事を伝えておきます)

ちなみに「任意」とは、自由主義に基づく考えであり「人権」を尊重する考えです。
権力者側の視点に立つものではなく、国民を中心にした(国民の立場に立った)考えです。

〈「任意」ではなく、なぜ「努力義務」なのか? その真の意図(狙い)とは?〉

さぁ、本丸に迫ってきました。
では、妖怪言葉「努力義務」の化けの皮を剥がしましょう。
「努力義務」という言葉の持つ真の意味(狙い)とは?

「努力義務」という騙し言葉の肝心な点は「任意の否定」です。

政府はmRNAワクチン接種は「任意」ではないですよと、本当は言いたいのです。
しかし、「任意」を完全否定するとどうなるか?
任意ではないとなると強制力のある「義務」の規定となってしまう。
すると、国民からの反発は必至です。
国民からの反発や反感は支持率低下につながります。
支持率が低下すると、次の選挙が怖くなります。
政治家は「選挙に落選したら、ただの人」となってしまうのです。
政治家が一番恐れるのは「選挙での落選」です。
ですから、国民の反発・反感を出来るだけ抑えたいから「努力」という言葉が入っているのです。
なんとも卑怯で下劣なやり方です。

「努力義務」という矛盾に満ちた語彙を使用した隠れた理由は、「責任回避」です。
mRNAワクチン接種を「義務=強制」という法律で規定してしまうと、当然ながら接種後の被害(死亡、後遺症など)が発生した場合、国(政府・行政)に言い逃れ出来ない責任が発生します。
被害者からは訴えられ、国民から非難がゴウゴウと降ってきます。
だから、「努力」という矛盾した語彙をくっつけたのです。
(ただし、現状でも裁判を起こされています)

もう一度言います。
「努力義務」という言葉の“実態”は「接種者の任意であり、当事者の判断」でしかありません。
なのに「任意接種」と言わず、「努力=接種するほうがいい?」+「義務=接種しなければならない?」と表現をすり替えて印象操作したのです。
なので、接種する前に「署名」をさせて自分の意思でmRNAワクチン接種をしたと、形だけ整えたのです。
“姑息の極み”です!

以下の状況で国民の8割がmRNAワクチン接種する成果が出るか考えてみてください。

・mRNAワクチン接種は「任意」
・テレビに専門家(偽)が出演して「ワクチンの安全性と有効性」を解説しない(訴えない)。
・テレビ等のメディアで日々の新規感染者数の発表を行わない。
・ワクチン担当大臣などわざわざ設けない。
・大規模接種会場や職域接種をしない。

答えはでましたか?

上記の条件であれば国民の8割(2回目接種)が接種することはなかったと思われます。
しかし、上記の条件が加えたことで「国民の任意に見せかけた誘導(洗脳)のための手段」としたのです。

「努力義務」という語彙表現をわざわざ持ち出して国民に接種を推奨した理由は、政府と行政の責任を回避しながら、なおかつ国民にmRNAワクチンを接種させるための強い牽引力とするためです。

新型コロナワクチンの接種をするように「努力する義務がある」。
これは“詭弁の極み”です。
「努力する」とは、「接種する」としか意味することはありません。
とすると、こうなります。
「新型コロナウイルスワクチンを接種する義務がある」
もう一度言葉をよ~く見て、考えてください。
「努力する」➡「義務」がある。
「義務」があると言っているのです。
でもその義務は「努力」であると逃げ口上がすでに用意されているのです。
これを厚労省はHPで以下のように告知しています。

厚労省HPから抜粋引用

「努力義務」と呼ばれていますが、義務とは異なります。接種は強制ではなく、最終的には、あくまでも、ご本人が納得した上で接種をご判断いただくことになります。

この文言をサラッと聞き流して(読み)はいけません。
この文言に、実は重大な問題が潜んでいるからです。

「義務とは異なります」➡詭弁です。
確かに単なる義務ではないことはその通りですが、「義務」と規定していることは事実です。
つまり、義務と言いながら義務ではありません、と言っているのです。
ただし、義務の前に「努力」がつくから、厚労省は「義務ではない」と言い張っているのです。
でも、「義務」と規定していることは間違いないのです。
「努力する義務」ですから、実態は「接種する義務」と“同義”なのです。
「接種する義務」と同じ意味、非常に近い効果を生み出す表現が「努力義務」という言葉なのです。
実に巧妙で卑怯なやり方です。
要するに「義務ではない」が「義務である」という詭弁を使い、接種被害が出たとしても責任逃れの手をちゃんと打っているのです。
だから、ネット上で国民が必死に政府等の責任を追及しても、被害者遺族がワクチン接種中止を呼びかけても、“知らぬ存ぜぬ”を貫いているのです。
ヘビのように狡猾で、妖怪のように国民を騙しているその手口は“合法的な詐欺”と言えるでしょう!

「努力義務」という言葉の意味は「~するよう努めなければならない」です。
分解して解説します。

「努めなければ(努力)」+「ならない(義務)」なのです。

重要なのは、「ならない」という言葉の表現です。

日本語の文章は語尾に発言者の趣旨(本心)が出ることがほとんどです。
「ならない」と規定することは、強い強制力を想起させます。
法律的には義務ではないが、義務のように思い込む作用が入っている、ということです。
お上に従順な日本人であれば、「ならない」と言われれば従ってしまいます。
この言葉の責任は発信者である政府にあります。

《「任意(任意接種)」という言葉が存在するのにもかかわらず、なぜ「努力義務(接種することを務める)」という言葉を“わざわざ持ち出して”使用するのか?》

先に重要な主張を言います。
まず、国民は“言葉による印象操作(誘導)”されていることに気がついてください。
ということです。

特定の言葉(語彙表現)を創作したり、言葉(語彙表現)を入れ替えたりする手法は詐欺師(嘘つき)がよく使用する手法です。
その言葉(語彙表現)は、“誘導の役割”をするものです。
「誘導」、つまり対象者の目を都合の悪い視点から逸らさせ、見させたい方向に視点を移させる手法です。

予防接種の世界にはすでに「任意接種」という言葉(表現)が存在します。
なのに、政府+厚労省はなぜCOVID-19ワクチン(mRNAワクチン)に対して「努力義務」と規定したのか?

任意接種でも努力義務(接種)でも、どちらでも“実態は”対象者(国民)の「自由意思による選択」でしかないのです。

COVID-19ワクチンによる実態が誘導であると見なす根拠はたくさんあります。
大規模接種会場、接種代金が無料、マスメディアによる「ワクチン打ってくださいという大宣伝」、ワクチン担当大臣による「ワクチンは安全です。打ってください。という大宣伝」など。

いいですかよく考えてみてください。
COVID-19ワクチンにおいて、いくら“感染症法がどうのこうの”と言ってみても、実態は国民が打つか打たないかの最終的権限を持っていたことは間違いありません。
法の内容では義務(強制)でもなく、罰則もありませんでした。
しかし、ときとしてマスメディアと政府及び行政の宣伝(告知、説明等を含む)は「強制になり得る影響力を持つ」ということを国民は知るべきです。

《「任意がまかり通る社会」と「努力義務が幅を利かせる社会》

「任意」がまかり通る社会、または許される社会とは、「自由主義社会」であり、「民主主義社会(国民に主権がある)」なのです。
逆に「努力義務」が幅を利かせる社会、または主張される社会とは、実は「全体主義社会の前触れ」なのです。
国民主権と自由が否定された社会へ変貌するための移行期間を構成する要素、または全体主義から独裁主義への意向する中間的な社会としてその“つなぎ”を担うのが「努力義務が幅を利かせる社会」なのです。
そのための装置(武器)が、【努力義務】という言葉(表現)なのです。
(正確には【努力義務】に象徴されている)

《「努力義務」と法規定した者には責任が発生する!》

「接種を受けるよう努めなければならない」という予防接種法の規定を作った以上、政府と行政にはmRNAワクチン接種の被害の責任はあります!
その責任は、以下の通り。

第一の責任:即時mRNAワクチン接種を中止するという責任

第二の責任:mRNAワクチン接種後に被害が発生した人への賠償という責任
(これは因果関係が不明であっても接種後に何らかの症状が出れば賠償する責任があります)

第三の責任:mRNAワクチン接種と被害の因果関係を医学的(科学的)に解明する責任

第四の責任:全国民へ謝罪する責任
(被害を出したmRNAワクチン接種政策を全国民に進めた責任)

第五の責任:議員を辞職する責任
(主権者である国民の代理である政治家が主権者である国民を苦しめたことの責任として辞職する)

《詐欺の手口とは?》

最後に詐欺の手口を学んでみましょう。

事例:結婚詐欺!

「結婚」を匂わせて相手をその気にさせ、信用させてお金を騙し取る。
しかし、詐欺師は「結婚」という約束を口にしませんし、自分から「お金を貸してくれ」などとは口が裂けても言いません。
詐欺師は詭弁を駆使し相手を誘導し、「私はこの人は結婚できるんだ」+「私がお金を出してこの人を助けなくては」と思わせます。

もう一度言いますよ。
自分から重要な言葉は言わずに、相手にそう「思わせる」のです。
「努力義務」という詭弁を用いて国民を誘導し、新型コロナウイルスワクチン接種させたことは、アチキには結婚詐欺師とどこが違うのか見分けがつきません。
あなたはどう思いますか?

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


最新情報をチェックしよう!