『若者たちを魅了し続ける、天才アーティスト尾崎豊』

【10代のカリスマ尾崎豊】

1992年4月25日、10代の若者のカリスマと言われたロックシンガーがこの世を去った。
享年26歳。
その人物の名は、尾崎豊

尾崎豊のデビューは18歳。
旅立つまでの9年間で残した楽曲は71曲。
「15の夜」「I LOVE YOU」「卒業」「僕が僕であるために」など。
シングル・アルバムの累計売上枚数は1000万枚以上。

尾崎豊の驚くべきことは、性別・世代・時代を越えて愛されていることだ。
反骨の象徴として一部の若者たちだけをひきつけているのではないということは、驚くべきことだ。

尾崎豊の作り出す曲は、当時の若者たちの心を熱狂させた。
いや、それよりももっと若者たちの心を癒した。

若者たちの代弁者、それが尾崎豊というロックミュージシャンだ。

尾崎豊の作り出す曲は、若者たちの心の奥底でくすぶっているものをあぶり出した。

尾崎豊の魅力はその歌詞によく表れているが、彼が若者たちの心を掴んで離さない理由は、彼のこの言葉に集約される気がします。
「大人って臭いものにすぐフタをかぶせて、物事を分かったような気になろうとしてるけど、本当はそうじゃないと思うんだ。もっと大切なことってあると思うんだ」

アチキはこの言葉は実は深いと思います。
青臭い。
子供?
反抗心。
純粋さ。
それだけではないなにかがそこにあります。

それは「哲学」だと思います。
この世(世間)や大人たちを深く見て、「本当はどうなんだろう?」「真実はなんだろう?」という探求心が潜んでいるのです。
そうした探求心は哲学の根幹を成すものであると思うのです。

つまり、彼は単なる時代の流行に乗ったアーティストではなく、ロックミュージックという名を借りた哲学者だったと、アチキは思うのです。

【青春時代を支えてくれた尾崎の歌】

アチキが尾崎豊を知ったのは18歳の時。
衝撃的でした。

尾崎豊の作品は、他のアーティストにはない曲である印象を受けた。
それはメロディーに合うように詩を書くのではなく、心の叫びをありのままの言葉にして、その言葉に曲をつける、そんな感じがしました。
キレイに歌うのではなく、叫んでいるような歌い方、それが尾崎豊の歌。

当時はレコード、カセットテープからCDに変わる転換期でした。
まだ、カセットテープで音楽を聴いていたアチキは、曲が終わると巻き戻しを繰り返して、何度も何度も尾崎の「I LOVE YOU」を聴きました。
「15の夜」「17歳の地図」「僕が僕であるために」「卒業」
尾崎の曲なくしてあの頃のアチキはなかった、と言ってもいい。
青春の季節に尾崎豊という不朽のアーティストとその曲に出会ったことに感謝。

【尾崎豊に影響を受けたアーティスト】

コブクロの黒田俊介さんは「もし弟子制度があれば、弟子になっていた」「完全に尾崎一門」とあるインタビューで述べている。

他にも家入レオ、あいみょんなども影響を受けている。

その他にも言及はしていないものの、尾崎豊の作品に魅了され、影響を受けたミュージシャンは数多くいると思われる。

また、尾崎豊の楽曲をカバーするアーティストは多い。
Mr.Children「僕が僕であるために」
Uru「I LOVE YOU」「OH MY LITTLE GIRL」 
中森明菜「I LOVE YOU」
宇多田ヒカル「I LOVE YOU」
綾香「I LOVE YOU」
玉置浩二「I LOVE YOU」
福山雅治「I LOVE YOU」
中島美嘉「I LOVE YOU」

ドラマ「北の国から97初恋」では、思春期を迎えた主人公の純が同級生の大里れいに恋をします。
れいからもらったカセットデッキで純が効く曲が「I LOVE YOU」なのです。
曲の切なさと、純とれいとの別れ、北海道の冬の風景がマッチしたシーンとなっています。

このように尾崎の曲の中でも特に「I LOVE YOU」は一番多くカバーされています。

もし、尾崎豊の曲で一番を選ぶとしたら(そんなことは無意味かもしれない)、それはやっぱり「I LOVE YOU」かもしれません。

【尾崎豊のなにが若者たちを魅了するのか】

正直に言うと、尾崎のことを書こうと思って始めたけれど、なにをどう書いていいのか分からなくなりました。
そこに果てしない世界が広がっているようで、行きつく先が分からず、どこへ向かっていいのか迷子になってしまったというのが正直なところです。

ただ、言えることは、子供から大人へ変わる年代の頃に、社会や大人の行動を見ていると、「純粋な世界」に見えないことがある。
そうしたことが大人たちには反抗的に見えたのかもしれない。

彼が求めたのは「自由」
不条理な大人の世界からの自由。

彼の求めた自由とは、不条理な大人のルールに縛られて苦しむ若者たちを解放しようとした、そう思えるのです。

尾崎は真っ白なままでいたいと望んだだけなのかもしれない。
白を黒や灰色に染めたくないと抵抗しただけなのかもしれない。

「諦め」や「妥協」で生きることを拒絶しようとしたのかもしれない。
それが大人への不信感となったのだろう、ということ。

きっと尾崎の曲は、昭和から、平成、令和、そして次の時代にも聴き続けられることだろう。

尾崎豊の魅力を一言で語ることも、語り尽くすことも、いまのアチキには出来ない。

ただひとつ言えることは、

「尾崎豊は時代を越えて若者の心を持つ人たちを魅了し続けている」

ということと、

「尾崎豊の歌は魂の叫び」

ということだ。

お読みいただき、うれしうござんす!


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