はじめに
「反グローバリズムの心得」の第三弾です。
今回のテーマは、「保守と信仰」です。
このテーマも対グローバリズム戦にとっては必須のものです。
直前の記事をお読みの方は、よく理解できるのではないでしょうか?
しかし、世間では「勘違い」がまかり通っています。
その勘違いは、保守の側と信仰者の側の両方にあります。
保守と信仰がどう結びつくのかが理解できないのであれば、グローバリスト(ディープステート)と戦うには不十分である、と言っておきます。
世の中には優れたジャーナリスト、卓越した学者、見識高い科学者がいますが、そうした方々に敬意を表しながら、言わせてもらいます。
だれも言わない内容がここにあります。
反グローバリズムの心得3
三、保守とは、日本の伝統的宗教観を守ること!
保守の立場とは、日本の伝統的宗教観を守ること!
《保守と信仰における“勘違い”》
保守と信仰における勘違いの事例(発言)を提示します。
X(旧Twitter)より引用
(K.T氏のポストより引用)
前々から言ってるが、私は保守と距離を置いている。
信仰者が彼らに同調しても、差別を受け、いい意見は横取りされる。
それでも彼らと仲良くなりたいなら構わないが、あなたもいつの間にか保守につられて、人への差別で心が汚されていることに気がつくだろう。
信仰なき保守など、私には妖怪なのだ。
(2024年6月2日 17:9発信)
〈K.T氏の歪んだ価値観〉
K.T氏の主張全般には「保守」と「信仰者」は“別物”という思考がぎっしりと詰まっている。
まずはっきりと言う。
これはK.T氏の悪見(邪見)である。
保守と距離を置こうが、左翼と決別しようが、その人の自由だが、この主張には「被害者意識」と「偏見」が混じり、さらに「傲慢さ」が滲み出ている。
K.T氏は、「保守とは何か」が理解できない愚か者と言っておこう。
この場合の保守とは、真の保守のことで偽の保守ではないが。
信仰者が彼らに同調しても、差別を受け、いい意見は横取りされる。
これは特定の宗教団体のことを意味していると推測される。
宗教が世直しをするものであるならば、信仰者が発信する「良い意見」が世の中に反映されることは原則良いことのはず。
それが嫌ならば、自分たちが政治権力を持つことです。
ただしグローバリズム政権である自民党政権が横取りするならばそれは隠れ蓑に使っているだけだと指摘しておく。
この発言には、歪んだ心狭き人間の姿がある。
「自分たち」という“我”がある。
もちろん悪人に善なる政策を与える必要はないが、良い政策を持っているにもかかわらず、隠すこともおかしいではないか。
それは結局、「自分たち」という“我”の発揮であり、真に世直しをしようとする者の姿ではない。
世の中を良くしたいと考えるならば、どうするべきかというビジョンや政策を積極的に発信するべきであり、「横取りされる」という被害妄想に取りつかれて、「出し惜しみ」をするならば、世のため人のためを考えていないということになる。発案の出どこ(発信源)をはっきりと主張すればいいだけである。
そこにK.T氏は気がつくべきだろう。
同調している?
仲良くなりたい?
誰のことでしょうか?
K.T氏よ、直接相手と議論したらどうか?
K.T氏とは、このように直接誰かと討論できない卑怯者なのです。
いつも影で暗に匂わせて誰かを貶めるのです。
そのくせ直接相手が議論しようと寄ってくると逃げる。
まさしく卑怯者です。
そんなK.T氏が誰かを悪く言う資格はありません。
保守につられて、人への差別で心が汚されていることに気がつくだろう。
保守の人間にも色々いますが、基本的にこの発言は無礼でしょう。
自分が差別しておきながら、誰かを“差別している”と決めつける、まさに歪んだ思考と言えます。
私には、あなたの心こそ汚れていると見える。
信仰なき保守など、私には妖怪なのだ。
最大の間違いと、最大の侮辱がここにあります。
この発言(思考)は、保守とは何かを理解していない愚か者の発言です。
また、誰かを「妖怪」呼ばわりすることは侮辱であり、悪意ある悪口でしかありません。
妖怪を妖怪と認識できなかった(判断出来なかった)K.T氏が言う資格はない!
あなたは保守と信仰の関係がまったくわかっていないようなので、この記事で示します。
勉強なされよ!
私は、K.T氏を知っています。
以前、歪んだ思考をするK.T氏と直接対決(議論)しようとしましたが、別の騒動がもちあがったために、直接対決はできずに歳月が流れてしまいました。
この記事がK.T氏のポスト(発言)であると自分で理解できたなら、こちらにコメントでも寄せてきなさい。
いつでもあなたと議論してもいい!
ただし、その度胸があるならばだが!
度胸もないくせに、他人の事は悪く言う。
誰かの影響を受けすぎです。
あなたが誰かを妖怪呼ばわりすることは、許しません!
なぜならば、あなたは「妖怪」を見抜けない人間だからです。
正と邪を見抜けないあなたが他人を妖怪呼ばわりすることは、笑止千万でしかない!
自分の中にある妖怪性を反省して、削ぎ落してからものを言いなさい!
いつでもいらっしゃい!
なお、Xのアイコン、ウルトラマンから仮面ライダーに変えたのですか?
精神年齢が低すぎる、と言っておきます!
《保守とは日本の伝統を守ること》
今回のテーマ「保守と信仰」の本論に入ります。
論の前提として、この記事で語る「信仰(信仰者)」「宗教(宗教観)」とは特定の宗教団体を指すものではありません。
一般論としての信仰または宗教観です。
保守とは、自国の伝統を守るものです。
自国の伝統の中には「宗教観(信仰心)」があります。
日本国の最大の特徴が、神武天皇以来続いている王朝の歴史です。
つまり、天皇の存在が日本国の伝統と歴史を作ってきたといっても過言ではないことです。
天皇とは、日本神道の最高神官です。
日本神道(高天原)の地上における神の代理人です。
これが意味することは日本という国家は宗教とともにあったということです。
しかし、日本の宗教的伝統とは、日本神道だけではありません。
6世紀の中頃、欽明天皇の時代に、朝鮮半島の国家百済の聖明王によって仏教が渡来しました。
いわゆる仏教伝来です。
仏教が伝来し、蘇我氏と物部氏の対立で仏教擁護派の蘇我氏が勝利し、同時に聖徳太子の活躍によって日本に仏教が根付きます。
以降、日本は日本神道と仏教が融合した形で独特の宗教観をつくり上げます。
この神道と仏教の2つの信仰観をあわせ持つ宗教観が日本の伝統でした。
これが崩れたのが明治維新以後です。
明治政府は、天皇の権威を強めるために、廃仏毀釈などを強行し、仏教の弾圧を行いました。
明治維新最大の負がここにあります。
戦後、日本神道は影の存在に押しやられ、仏教は息を吹き返し、キリスト教などが拡がる余地が生まれました。
日本における保守勢力とは、日本の宗教観である神と仏が融合した信仰、宗教観を守る者ということです。
日本独特の宗教観を守るということです。
ここに保守とは単なる政治勢力ではなく、信仰(宗教観)を土台としていることが明らかとなっています。
保守とは、唯物論ではないのです。
ですから、保守と名乗りながら神や仏を信じないという者は、「偽の保守」なのです。
最低限、神や仏の存在を信じる(認める)ことが必要だということです。
また、キリスト教は信じるがキリスト教以外の宗教は偽物だとする保守を名乗る者も、日本の保守としては偽物です。
要するに、保守とは、唯物論ではないということです。
科学万能主義でもないということです。
自国の宗教的価値観を大切にすることなのです。
ですから、日本における保守とは、キリスト教、イスラム教などの既存宗教を積極的に日本に広める勢力ではないということは間違いないでしょう。
ただし、この条件が崩れる場合(可能性)があります。
それは天皇に“徳”がなくなった場合、もしくは天皇家の“血筋”が絶えた場合(女系天皇の誕生)には、神道という宗教が信仰の対象としては崩れていくことになります。
「保守思想を持っているが私はクリスチャンだ」という方もいるでしょう。
この問題は、保守という定義において簡単にかたがつきます。
日本の伝統的宗教観である神と仏が混在する宗教観を否定せず逆に認め、個人的に他の宗教を信仰しているならば、それは保守思想を持っていると言っても良いでしょう。
個人的な信仰と日本国の宗教的伝統を分けて考えることができ、なおかつ日本を守るというならば、保守の中に入ると私は判断します。
ただし、こうした人がいるのか疑問ですが。
保守とは自国の宗教観を守るものです。
日本の伝統的な宗教観とは神道と仏教の融合した宗教観です。
神と仏が共存できる世界観であり、神と仏の両方を受け入れられる信仰観です。
ですから、保守と名乗りながらも神や仏を信じていないと言うならば、真の保守ではなく、偽の保守なのです。
それに気がついていない自称保守が多くいると思われます。
この機会に考えを改めるべきでしょう。
なお、ここで言う信仰や宗教観とは、最低限「神や仏が存在する」という意味であり、人間を超えた超越的な存在を“信じる”ことができる心のあり方です。
神や仏の存在を信じないということは、その事実をもって唯物論に加担していることであり、悪魔の側に立っていることになります。
これが宗教的真理です。
《保守と信仰、そしてグローバリズム》
保守と信仰、そしてグローバリズムに絡めて言っておきたいことがあります。
それは過去の伝統的宗教には、異物(間違った教え)が混入していることです。
それが人々の“宗教嫌い”を起こさせています。
その典型が「宗教があるから戦争が起きる」というものです。
しかし、それは始祖の教えではなく、違ったものの混入によるものなのです。
現代の日本において多くの人たちが勘違いしていると思われる論点を2つあげます。
〈キリストの教えから侵略戦争、植民地支配は発生しない〉
植民地支配をした国家は白人国家であり、キリスト教国家です。
これはイエス・キリストの教えに背いた現象であると言っておきます。
イエス・キリストの教えとは、
「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ」
「汝の隣人を愛し、主なる神を愛せ」
「人を許せ」
この教えからなぜキリスト教国家(白人国家)は植民地支配をしたり、戦争を起こしたりするのでしょうか?
純粋にキリストの教えに従順であれば、戦争を起こしませんし、他国を植民地にしたり、奴隷的差別をすることもありません。
では、どこに原因があるのかと言えば、ひとつは「旧約聖書」であり、もう一つが「後の弟子の間違い」なのです。
キリスト教はユダヤ教を土台として生まれています。
ですから、「旧約聖書」も聖典のひとつなのです。
つまり、イエスの教えである「福音書」以外の聖典もキリスト教の経典として扱っている、ということです。それはキリスト教にユダヤの民族的価値観が大きく影響している、ということを意味します。
旧約聖書にはモーゼの出エジプト記があり、モーゼが神から啓示を受け、カナンの地をユダヤ民族に与えられます(約束)。
しかし、そこにはすでに違う民族が住んでいました。
モーゼの後を引き継いだヨシュアは、彼らを虐殺し、追い出してユダヤの土地としました。
このような内容が、キリスト教徒に影響を与えているのです。
だから、インディアンを迫害し新しい白人国家を創れるし、植民地を創ることも平気なのです。
もう一つは、弟子(信徒)たちによる毒水の混入です。
前記事で語りましたが、この毒水の源流は悪魔です。
悪魔は聖なる教えに、“間違い”を混ぜることで聖なる宗教を汚すのです。
イエスは3年間しか教えを説きませんでした。
当然、長くイエスが生きたならば説いたであろう教えが説かれませんでした。
その隙間を埋めたのが弟子たちなのです。
「原罪論」
「贖罪論」
「予定説」
などは弟子たちの教えです。
これはイエスの教えに不足していた部分を後の弟子たちが補足した意味がありますが、その多くがイエスの教えとは結びつかないものがあるのです。
なぜならば、キリスト教徒には旧約の価値観も影響するからです。
ここにキリスト教の難しさがあるのです。
話しを元に戻すと、イエスの教えからは戦争肯定、植民地支配、人種差別は発生しません。
つまり、キリスト教と言いつつも、イエスの教えではない価値観を持っているということなのです。
ここにキリスト教徒(国)の間違いがあるのです。
〈明治維新以後の仏教排斥が第二次世界大戦の敗北につながった?〉
日本においても宗教の問題があります。
明治維新以後の宗教のあり方が第二次世界大戦の敗北につながった“側面”があるということです。
こうした主張を語っている歴史学者がいるでしょうか?
明治維新とは神道の復興運動でもありました。
天皇という権威を前面に出して国家を創り換えたものでした。
なぜ天皇の権威を前面に出したのか?
それは維新の志士たちの多くが下級武士であったからです。
彼らは幕末の時点において支配階級ではなかったのです。
ですから「権威」が必要だったのです。
この因果関係を理解しないと明治維新の負の遺産が読み解けません。
日本神道(天皇)の権威を高めることが明治政府の威信を高めることになると彼らは考えたのです。
この流れが「廃仏毀釈」となって、仏教弾圧につながったのです。
要するに、明治維新後の日本において、神道の権威を高めるために、仏教を排斥したことによって、日本の伝統的な宗教観に裏付けられた仏教的平和思考が影を潜め、日本神道における好戦的な思考へと変化してしまったのです。
ですから、明治維新後の仏教排斥がなければ戦争につぐ戦争という国家の姿はなかった可能性が高いということです。たとえ戦争になったとしても違う世論が形成されていたことでしょう。
戦前の状態のように平和の宗教(仏教)が影の存在に押しやられたことは国家のあり方に大きな影響を与えたのです。
ただし、日本国が白人国家と戦ったことによって、アジアから植民地支配を終わらせたという善の部分は見落してはいけないでしょう。
宗教の問題は、個人の幸不幸を越え、国家の行く末まで決めてしまう重要なものなのです。
ですから、国家を運営する為政者や世界に影響を与える人たちが「何を信じているのか」ということは、人類の幸不幸と全世界のあり方に直結しているのです。
決して、唯物論や悪魔を信じる者たちに世界の趨勢を握らせてはいけないのです。
唯物論は人間を物扱いし、悪魔崇拝は人間を堕落させるからです。
「物扱い」することは、命の尊厳を無視することに繋がり、「堕落させられた人間」は自らの自由を守ることさえできなくなるからです。
グローバリズムの出発点と終着点には悪魔がいることを知るべきです。
〈日本神道と仏教の違い〉
ここで宗教の違いを指摘します。
日本神道の神とは、八百万の神々ですが、その特徴に「軍神」が多いことが挙げられます。
日本の軍神は信じる者に勝利を与えるご利益信仰の側面があります。
つまり、戦いを辞さない面が日本神道にはあるということです。
一方仏教は心の平和を説きます。
釈尊の思想からは戦争肯定論(積極的な)は生まれません。
心の平和から国家の平和とつながる教えを説いたのが釈尊です。
つまり、仏教とは平和の宗教なのです。
事実、仏教国とされる国家が侵略的戦争を起こす歴史はないはずです。
(日本は仏教も普及しているが、固有の日本神道がすでにあった)
神道と仏教、どちらが優れているのか?
答えは明らかです。
神道は日本の民族宗教にしかすぎず、仏教は世界宗教となっています。
決定的な違いは、神道には「教え」がないことです。
神道には天国論も地獄論もなく、明確な転生輪廻の思想もありません。
先祖崇拝と後利益信仰と儀式で成り立っているといってもいいでしょう。
「先祖崇拝と後利益信仰と儀式で成り立っている」、ここにグローバリズム勢力が日本神道を破壊するターゲットがあると認識することです。
先祖崇拝は、個人主義によって崩され、後利益信仰は逆に利益誘導で悪用され、儀式は天皇の血筋を絶つことで破壊することが可能なのです。
日本神道の維持において天皇の血筋が絶えることは、日本神道の終焉を意味するのです。
だから、左翼及びグローバリズムなどの反日勢力が女系天皇の実現を目指しているのです。
その前段階として「女性天皇」を擁立しようと画策しているのです。
「教え」のない宗教が世界宗教になることはありえないのです。
一方、仏教は八万四千の法門があると言われるぐらいに教えが多いことが特徴です。
悟りの方法論、転生輪廻の思想、天国と地獄の様子などを明確に説いています。
神道と仏教の関係は、あることで2つの宗教の関係がわかります。
「天皇が仏教に帰依する(できる)」という事例が2つの宗教の関係を示しています。
天皇とは、神道における最高神官ですが、天皇が帰依できるということが仏教の方が優れた宗教であることを示しています。
ただし、神道は民族性と深く結びついているため、日本人にとっては切っても切れない宗教となっています。
《グローバリズムと戦うために必須の条件とは?》
グローバリスト(ディープステート)と戦うために必須の条件があります。
これはディープステートの中核であるフリーメイソンに対抗するために必須のものです。
それは「信仰心」です。
神仏を信じる心です。
なぜ、反グローバリズムには「信仰」「宗教観」が必要なのか?
それは簡単です。
フリーメイソンが掲げる思想(グローバリズム)とは、“宗教の根絶”を目指しているからです。
正確に言えばフリーメイソンの神(悪魔)以外の神々(宗教)を地上から消し去ることです。
それは「悪魔の論理(主張)」以外の何ものでもなく、グローバリストとは悪魔の信徒であると告白していることと同義なのです。
それが意味することは、フリーメイソンの神(悪魔)が地球を支配するということなのです。
フリーメイソンの背後には見えない力が働いています。
ですから、グローバリズムに抵抗するためには「信仰」による見えない力が求められるのです。
この世的な力だけでは不十分なのです。
見えない力(神の力、悪魔の力)を信じられない人がいると思われます。
そんな方にお聞きします。
あなたは重力を見たことがありますか?
重力や引力に触れたことはありますか?
重力や引力という人間の目で見えない力を信じるならば、神や悪魔の力を信じるべきです。
人間の目に見えているものが世界のすべてであるとする思考は、実に傲慢なものであることに気がつくべきです。人間の五感では感じられないが存在しているものは確実にあるのです。
直前の記事で示したとおり、グローバリストの中核であるフリーメイソンとは、悪魔(ルシファー)の世界観を描く者たちなのです。
カルト宗教や唯物論では戦えません。
なぜならば、カルト宗教及び唯物論自体が悪魔の牙城だからです。
カルト宗教の信者あるいは唯物論者であるということはすでに悪魔の仲間に入っていることを意味するからです。たとえその認識がその人になくても。
神仏を信じている人には神仏の力が宿ります。
グローバリストの中核がフリーメイソンであり、フリーメイソンの神がルシファー(悪魔)ならば、人間だけの力だけでは最終的な勝利は得られません。
悪魔に抗い、悪魔に勝利する力の源泉は「神仏」から与えられるものです。
神の力を得た者こそが、グローバリスト(ディープステート)にとっての天敵であり、最大の宿敵なのです。
ディープステート(グローバリスト)が“一番恐れる”こととは、神仏の力を宿した存在が立ち上がり戦いを挑んでくることなのです。
そうならないために人類を唯物論に染め上げ、宗教を混乱させ、宗教嫌いにすることで宿敵の力を削いでいるのです。
悪魔が恐れる存在とは神仏なのです。
悪魔は神仏を信じない人間を騙すことも誘惑することも、いとも簡単に出来るのです。
この論理を受け入れず、この世の学問や科学だけで戦っても、総合的または最終的な勝利は得られないのです。
こうした話を受け入れられない人たちが多いであろうと予想しつつも、こうした話をしている理由は、それだけ地上世界が「悪魔の論理」に支配されているからです。
地獄的価値観が人間界に大きく影響しているからです。
それに気がついていない人たちが多すぎるからです。
表面上のグローバリストだけを見て戦っていると思ってはいけないのです。
隠れたるディープステートを倒せばいいのではないのです。
世界を支配するグローバリズムに最終的な勝利を収めるためには、「秘密結社の解体」と「悪魔思想の排除」が必須なのです。
それがなされなければ、代わりの者たちが未来永劫に渡って出現するからです。
近視眼的な視点に立つのではなく、過去から現在、現在から未来を見渡すことが必要なのです。
もう一度言います。
日本における保守とは、神仏習合(融合)の宗教観を守るものです。
反グローバリズムの戦士であるためには、カルト信仰及び唯物論を捨て去ることです。
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最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!