『アンジャッシュ渡部建の謝罪会見にもの申す!【前編】 ~芸能人が謝罪会見をしなければならない理由とは?~』

多目的トイレ不貞行為渡部建の謝罪会見のどこにもない見解がここにある!
初めに重要な言葉を述べる。
「悪因悪果」の法則が渡部建を貫いている。
(「悪因悪果」とは、悪い種を蒔けば、自分自身でその果実を摘み取らねばならない。悪いことをすれば、自分に悪いことが返ってくる。ということ)

すべては「悪因悪果」の法則に集約できる。

アンジャッシュ渡部建が急遽、“謝罪会見”を開いた!

2020年6月「多目的トイレ」を使用した不貞行為が報じられて、活動自粛しているアンジャッシュ渡部建が12月3日、都内で記者会見(謝罪会見)を開いた。
集まった報道陣はおよそ300人。
渡部建の周りを取り囲んだのは女性リポーターたち。
記者会見は「囲み会見」の形式となった。
(本人の希望だったようです)

不貞行為発覚から177日ぶりの会見は、1時間40分の長時間に及んだ。
その間、渡部建は“説明になっていない返答”とひたすら謝罪の言葉を口にしていた。

そもそもこの会見はなぜ開かれたのか?
そこが世間の人たちが注目するところでもある。

通常、芸能人が不倫騒動を起こしたなら、すぐに謝罪会見を開くことがほとんどだ。
渡部建は、「文春砲」が出る前に出演していた番組を身勝手に降板し、自粛と称して半年間も「雲隠れ」していた。
歯切れの悪い渡部の謝罪会見にネット上で批判が殺到している。

だが、一部には謝罪会見のマスコミサイドの言動に対して非難の声も上がっている
「これはレポーターによるいじめだ」と。
これについては別の項で詳しく述べる。

なお、この記者会見(謝罪会見?)の前に事務所関係者がコロナの感染対策をしっかりしていることを強調した。

渡部建謝罪会見の是非を問う!

《謝罪会見の感想》

アチキは「渡部建謝罪会見」をネットで全部視聴(TBSニュース)しました。
ニュースのコメント欄を多く読んだが、見るのを途中で止めた、見なかった、という人も多くいたようだ。
だが、渡部のために言うならば、見るべきだ。

今回の渡部の謝罪会見は「最後まで見なければ意味がない」といっておく。

その理由は、この記事の最後(後編の最後の言葉)を読んでもらえばわかるはずだ。

まず、世直しご意見番としての考えを示したいと思います。

「正直でない」
「覚悟が出来ていない」
「本当の意味で反省が出来ていない」
のに、復帰をしたいがための謝罪会見を開いたことが根本的な間違いである。

「傲慢さ」が完全に取れていない(反省できていない)

アチキの言う反省とは世間の人たちが考える反省とは少し違います。
それは記者の質問に対する渡部の“ふとした表情”や言葉からそう判断した。

《謝罪会見の問題点1》

渡部建謝罪会見の最重要点は、「なぜ騒動から半年たったいま謝罪会見を開いたのか?」ということだ。

渡部建は否定しているが、ダウンタウンの年末恒例番組『絶対に笑ってはいけない』の収録をすでに行ったと報じられてしまったため、復帰するために急遽開いた謝罪会見でしかない。
ネット上では「見たくない」「渡部はムリ」「何でもアリは済まされない」などと大炎上している。

本来は、不貞行為発覚→謝罪会見で謝罪→活動自粛→復帰、とするべきであった。
ものごとには順序がある。

この順序を踏まなかったことが渡部建という人間性を如実にあらわしていると同時に世間の人たちの批判が倍増した要因となった

〈渡部建の弁解は?〉

渡部建は会見の中でこう述べている。
「まずは家族と向き合うことを優先した」
これが彼の巧妙な言い訳です。
そこが対応の間違いです。

そうしているうちに、文春から「言いたい事があるでしょうから…」とインタビューの申し出があった。
そして渡部建はこう考えたのだ(ご意見番の私見)。

「文春のインタビューに答えれば、世間の人たちの非難の声はおさまるだろう」
「文春のインタビューに答えることで、世間の人たちは許してくれるだろう」
「世間が静まったら復帰しよう」

なんという甘い見識。
なんという無責任な考え。
なんという身勝手な思考。

渡部建が言っているが、文春のインタビューに答えることで記者会見をしないですむのではないか。もっと正確に言えば、密室で行われる文春のインタビューなら世間の敵意と好奇の眼に触れずに済む。
記者会見をして恥をかきたくない、と強く思っていたのだろう。

要するに、渡部建は謝罪会見のタイミングを間違えてしまったのだ。
渡部建は、卑怯な行動を選択してしまったのだ。

渡部建のケースは、「自己愛ゆえに己を庇うことが、かえって身を滅ぼすこと」のお手本である。

《謝罪会見の問題点2》

「復帰のための謝罪会見は大きな間違い!」

謝罪会見のタイミングを間違えたことと、「謝罪会見の順序」も間違えている
渡部建は否定しているが、明らかに『笑ってはいけない』という番組の収録が先にある。

つまり、すでに仕事復帰をしているということ。
それは密かに行われたもの。
そこが悪い。

復帰するなら謝罪会見を先に行い、禊をしてから正々堂々(?)と復帰するものだ。
お金に困っていたのか、焦って仕事のオファーに飛びついて、「なんとかなる」と思っていたのだろう。

だが、日本人は潔癖な民族性をもつ人たち、許すわけがない。
そして重要な点は、誰がみても「復帰のための謝罪会見」「復帰をしたいがための記者会見」なのに、それを渡部建が否定していることだ。
つまり、“心底正直になれない”のだ。
ここに世間の人たちがカチンとくるのだ!
それが渡部建という人間にはよく理解できないようだ。

渡部建は自己愛ゆえに、自己中心的な性格ゆえに、「許されるチャンス」「仕事復帰のチャンス」を自ら潰しているのだ。

《謝罪会見の問題点3》

「口裏合わせ」をしようとして、不貞行為を妻に対して隠蔽工作をしたこと。

渡部建は、不貞行為の相手に電話をして、「結婚前のことにできないか」と口裏を合わせるように依頼していた。

「最後にあったのは結婚前だったよね」と妻の佐々木希さんの横で口裏を合わるように促した。

渡部建という男には「潔さ」がまるでない。
不貞行為が発覚した後も、妻に対して隠蔽工作を企んだ。

人間の本性が現れる瞬間は「絶頂(有頂天)のとき」と「逆境のとき」である。
つまり、最高に良い時と最悪の時こそ、その人間の本性が現れる。

渡部建という男の本質は、「卑怯者」なのだ。
そして「不正直」である。
別な言い方をすれば「傲慢」な性格を持っているのだ。
だから、すぐに謝罪会見を開くことができなかったのだ。

本人も言っているが、謝罪会見を開くほうがいいことは大人であれば分るだろう。
なのに、出来なかったのは、「自己保存」「自己防衛」「身勝手さ」のほうが社会的常識や人としての正直さより勝ってしまったからだ。
渡部建という人間は、虚飾の自分(肩書や収入など)を自分だと思い込み、己の心を見つめなかった愚か者である。

《謝罪会見の問題点4》

「文春のインタビューで終わりにしようとした」
「半年くらい自粛して、復帰会見を開いてと、甘く考えていた」

これは所属事務所と協議した“騒動の対応策”だったというからあきれる。
所属事務所も同罪です。

要するに、そこにあるのは「身勝手な考え」でしかない。
そして、やってしまったことに対する「罪悪感の無さ」である。
心の底から罪を自覚した反省が出来ていないということを意味している。

世間の人たちは、不倫をしたとしてもそのことは許さないが、騒動後、心の底から反省し、自己変革が見られる人間に対して悪意を向け続けることはできないものだ。

世間の非難が止まないということは、渡部建という人間の「不誠実さ」「卑怯な行動」に対する反作用にしか過ぎないのだ。

渡部建の行動いかんによっては、すでに禊は済んでいたかもしれないのだ。
それを渡部建は自覚するべきだろう。

《謝罪会見の問題点5》

アチキが渡部建の謝罪会見を全部視聴したが、渡部の態度で気になる点があった。

それはレポーターの質問に対して「ところどころ声が大きくなる」ことである。

これは心理学的に見ると、「声が大きくなる」ということは、「レポーターの質問に反発している」、あるいは「レポーターの質問を受け入れたくない気持ち」の現れである。
つまり、渡部は心底反省できていないのだ。

「なにを言われても受け入れる」
「レポーターの悪意にも耐える」
という覚悟が出来ていないのに、謝罪会見を開いてしまったのだ。

《謝罪会見の問題点6》

渡部建の謝罪会見を聞いていて随所に感じるのは「物事に対する甘い考え」「世間を軽く見ている考え」です。

なぜ渡部は不貞行為が発覚したのに、謝罪会見を開くこともせず、世間の人たちの非難の声を甘く見たのか?
その答えは、「甘い考え」=「傲慢さ」なのだ。

渡部建の性格で特徴的なのが「傲慢さ」です。
もう一つは、「強過ぎる自己中心的な性格」です。
渡部建のような人間の特徴は「自己愛が極めて強い」です。

この自己愛が強過ぎる人間は、基本的に他人の助言や苦言を聞き入れません。
自己の生き方を否定されても心の奥底では反省しません。

表面上、「世間から叩かれた」「仕事が来なくなった」という現実に対して、世間から非難を受けないために、仕事をもらうために“反省しているように見せる”ことはあります。
本人は「反省しているつもり」なのですが、本当の反省ということが当人は分っていません。

本当に反省している人間は、「謙虚」になります。
本当に反省している人間は、「素直」になります。

謙虚や素直になると他人の苦言に耳を傾けたり聞き入れたり出来るようになります。
渡部は、相方や妻の苦言を聞き入れていない。
それは真に反省できていない証拠です。

《謝罪会見の問題点7》

渡部を非難する声が多く寄せられている一方で、渡部の謝罪会見を見て別の意見も世間から上がっている。

「わかいそう」
「渡部の記者会見、集団イジメにしか見えない」
「渡部が悪いんだけど、記者の質問の仕方が公開イジメみたいで見ていてすごく嫌だった」
「質問している芸能レポーターの人たち、どれだけ偉いんだって感じ。品の無いイジメの構図」

と、同情も声も上がっている。

だが、ご意見番の見解は違っている。
別の項で述べる。

なお、芸能レポーターに関しても別の項で述べる。

《渡部建の間違い(罪)は?》

・多目的トイレで不貞行為をしたこと。
・文春の記事が出ることを知ると「雲隠れ」したこと。
・すぐに謝罪会見を開かなかったこと。
・妻(佐々木希)にバレるのを恐れて相手に女性に口裏合わせを求め隠蔽しようとしたこと。
・謝罪会見を開いていないのに、仕事復帰したこと。
(妻や仲間たちの苦言を聞かずに復帰をしたこと)
・自ら謝罪会見を要請したはずなのに、質問に対する明確な答えを出せなかったこと。

これだけの間違いがあれば、そりゃ叩かれますよ。
今回の謝罪会見でのフルボッコは悪因悪果です。

不倫をした芸能人が謝罪会見をしなければならない理由とは?

《不倫が報じられても謝罪会見を開いていない芸能人たち》

不倫がマスコミによって報じられて、謝罪会見を開いていない芸能人たちがいる。

ブラザー・トムは謝罪会見を開かずに事務所を退所することになった。
水泳の瀬戸大也も謝罪会見を開かずいまだに「雲隠れ」状態。
謝罪会見を開かない芸能人たちは、実質的に仕事を失う状態になっている。

《芸能人が不倫騒動を起こして謝罪会見を開かなければならない理由とは?》

世間の人たちの声に以下のようなものがあります。

「謝罪会見を開く必要はない」
「不倫は家族の問題、世間に対して謝る必要はない」

など。

この考えは間違っています。

正確に言うと、芸能人に限っては、不倫や不祥事等を起こした場合、謝罪会見を開くことが義務と責任です。

なぜか?

質問!
「会社員の人は誰から給料をもらっていますか?」

「会社から」と答えた人は、芸能人が謝罪会見を開く意味はこの先もわからないかもしれません。
会社は営利団体ですから、「お客様」がいます。
会社の利益は「お客様」がもらたすものです。
つまり、会社員の給料の根源は「お客様」が出しているお金です。
芸能人にもこの原理が当てはまっています。

テレビやCMに出演している芸能人はテレビ番組に出演することによってギャランティー(出演料)をもらいます。
表面上、所属事務所からギャラが振り込まれますが、そのもとは出演したテレビ局から出ているものです。

では、テレビ局の収入は、複数ありますが、一番大きな収入が広告料です。
番組の中で流すCMのスポンサーが出す広告料がテレビ局の大きな収入源なのです。
(他にイベント収入、著作権収入などがあります)

さらに突っ込みます。
テレビ局にお金を落とすスポンサー企業はなんのためにCMを流すのか?
視聴者(世間の人)に商品をアピールして購入してもらうためです。
CMを流すスポンサー企業から見ると「視聴者=お客様(正確に言うと、見込み客)」なのです。

つまり、テレビ番組とはスポンサー企業が「視聴者=お客様」を獲得するためのものでもあるのです。
もし、広告料がテレビ局に入らなくなったら民放局は倒産してしまうでしょう。
芸能人がテレビ番組(バラエティー、ドラマなど含む)に出演するということは、テレビ局 とスポンサー企業に代わって視聴者の注目を集めるためです。

要するに、芸能人の収入(ギャラ)の根源は、視聴者から出ているものなのです。

世間の人たちがスポンサー企業の商品を購入しスポンサー企業を支え、スポンサー企業がテレビ局を支えることではじめて芸能人はテレビ出演することができるのです。
要するに、芸能人は出演するテレビ番組とスポンサー企業に対して責任を負っているのです。

その責任とは「視聴者を不快にさせて視聴者が番組から離れさせないこと」です。

結局、芸能人はテレビ局とスポンサー企業を通して視聴者という「お客様」を相手にしている商売なのです。
(CMの場合は、これがダイレクトになります)

まとめると、芸能人にギャラをくれる本当の相手(お客様)とは、視聴者(世間の人)なのです。
だから、世間に対して謝罪会見を開くことが必要なのです。

この構図を理解していない芸能人を最近よく見かけます。
それは、視聴者(世間の人)を「お客様扱いしていない言動」だと言っておく。
特にカンニング竹山はひどい!
(注:営業やお笑いライブなどは、世間の人たちが直接的なお客様となる)

一般人と芸能人では、ここが180度違っているのです。
ですから一般人の立場から見てはいけないのです。

再度、重要なことを言います。
芸能人にとってテレビの向こうにいる視聴者(世間の人)は「お客様」なのです。
謝罪会見の本質とは、「迷惑をかけたお客様、不快な思いをさせたお客様への誠意(謝罪)」なのです。
このことを理解しない芸能人は、即刻、芸能界を引退すべきでしょう。

『アンジャッシュ渡部建の謝罪会見にもの申す!【後編】 ~不貞行為をした渡部建より悪い存在が野放しにされている~』
に続く。

最後までお読みくださり、ありがとうござりんした。


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