(4)プロパガンダはあなたの日常に潜んでいる!
これまでの記事
『(1)~プロパガンダとは何か?~』
『(2)~プロパガンダの定石Part1~』
『(3)~プロパガンダの定石Part2~』
プロパガンダの定石
《プロパガンダの定石12》
『プロパガンダの見抜き方』より引用
外集団を「非人間化」「悪魔化」せよ。
〈外集団を非人間化、悪魔化する〉
前出のアンソニー・プラトカニス、エリオット・アロンソンの著書『プロパガンダ』では「グルーピングの結果、外集団のメンバーが非人間化される」と警告している。
「外集団を“非人間化”“悪魔化”せよ」ということが意味することとは、「自分たちだけがまともな人間であり、外集団(特に批判者)の人間は同じ人間ではない」と言っていることと同じであり、同時に「外集団の人間は自分たちより劣った存在だと認識している」ということなのです。それを固めるために「ラベリング」をします。この場合のラベルとは当然「蔑視」するためのラベリングです。
ここに潜むものは逆効果としての「内集団の結束を固める」です。これは仲間から抜け出そうとする人間(裏切り者)を排除するためのリトマス試験紙となり、少しでも内部の何かを批判すると「あなたはわれわれの集団の仲間ではない」とされてしまうのです。つまり、従わないものを排除する作用を持ち合わせているものだということです。
あえて言います。
参政党信者が良く使用する、「あなたは日本人ですか?」「あなたは反日ですか?」という表現がこのプロパガンダに該当します。
《プロパガンダの定石13》
『プロパガンダの見抜き方』より引用
ファクトでもフェイクでもいい。
正解を示さなくてよい。聞く人が「どちらが正しいのかわからない」と混乱すればよい。
〈事実でも嘘でもいい〉
「ファクトでもフェイクでもいい」、というのは事実かそうでないか、真実か虚偽かにこだわっているわけではないということです。つまり真偽を明らかにすることを目的としていないということ。これは極めて重要な論点です。なぜならば、真偽とは善悪と深く結び付いているからです。
では、目的は何かと言えば、大衆心理を操作することなのです。
そのためにたとえ真偽を不明にしてまで、こちら側が悪とされない、あるいは間違っていると判定されないようにするのです。そのために相反する情報発信をして混乱させるのです。
要するに、情報の混乱による真偽不明(自分たちが悪ではないと証明出来ない)にする手法なのです。これも立派なプロパガンダと言えます。
先で言いましたように真偽を不明にすると、それにつづく善悪も不明となってしまいます。これは民主主義そのものに大きな悪影響を与えます。なぜならば、人々が善悪を正しく判断出来ないならば、その帰結として、多くの人々の意見の反映である民主主義(制度)そのものが捻じ曲げられていくからです。
この真偽不明にする情報発信は「真実の中に虚偽を混ぜる」「事実を捻じ曲げる」などの手法を使います。
つまり、どこかに嘘があるわけです。どこかに間違いが潜んでいるのです。
これは「印象操作」の手法なのです。
烏賀陽氏はこう言っている。
『プロパガンダの見抜き方』より引用
「どっちの言っていることが真実なのか(正しいのか)わからない」と情報受信者に思わせる行為そのものが、プロパガンダであるという事実だ。聞く人を「混乱させる」「わからなくさせる」ことができればプロパガンダとしては成功である。
特に自分たちに不利な事実が露呈しそうになったときには、最小限の「疑問」を呈するだけでよい。
“私の目”には、この手法を参政党が常時使用しているように“見えます”。
皆さんの目にはどう映っているでしょうか?
結局、真偽不明、結論がでないのにそれでいいのか? という疑問の声が上がってきそうですが、私からの答えは「それでいいのです」、と答えておきます。
(これはプロパガンダを発信する側の立場に立ったとしてという意味です)
結論は曖昧のままにして、人々が混乱し迷うままにしておくことそのものに意味があるのです。それは「虚偽が確定しない」ということであり、その帰結として「罪が追求されない」ということです。人々の多くは結論がでない問題を深くどこまでも考えたり、追及して探求することはないのです。それが意味することとは「考えることをやめる」ということであり、それこそがこのプロパガンダの目的である民衆を「思考停止に持っていく」という目的に合致していくのです。
《プロパガンダの定石14》
『プロパガンダの見抜き方』より引用
恐怖をアピールせよ。
〈恐怖をアピールする〉
人々の多くは残念ながら甘い囁きや優しい忠告には耳を貸さないことが多いもの。ではそうした人々を説得するためにはどうするのか? と言えば逆の主張をするしかないのです。それが「恐怖による説得」なのです。
「恐怖をアピールする」というプロパガンダ手法を使う者たちはこう考えています。
「われわれの主張に賛同または従わないと、著しい苦痛や不利益、悲惨な出来事が起きますよ」と。
これも確かにそうである場合も現実にはあります。だからこそこの手法は効果的なのであり、正邪の見分けを付けることが難しいのです。
重要な点は、その「恐怖」に真実性がどれだけあるのかであり、「恐怖」をアピールする心の奥底に何があるのか、という点です。
純真な愛や正義感から来るものなのか、逆に自分たちにとって有利な状況を作り出すことを目的としているのか、という“違い”を見抜かねばならないのです。
ではどうやって見抜くのかといえば、それ以外のことを見ていくしかありません。この主張だけではなく、他の主張や普段の行動、どんな哲学や思想を持っているのか、人間性、倫理観、客観的な論理を持ち合わせているのか、真実への探求心は本物なのか、ということを知ることによって、プロパガンダなのか、愛や正義感による忠告、警告なのかが判断出来るはずです。
この「恐怖アピール」のプロパガンダはビジネスでは当たり前のように使われていますし、当然政治の世界でも使われています。
例えば「ワクチンを打たないと新型コロナに感染します(確率が上がる)」、というもの“これ”です。
この「恐怖アピール」のプロパガンダには流れがあります。
①強い恐怖をアピールする。
②恐怖を解決する方法を提示する。
③解決する方法が効果的だとアピールする。
④解決する方法の提案は実行可能だと思わせる。
人々は恐怖や不安があれば解消したいと思うものです。
その心理を逆手に取ったプロパガンダが「恐怖をアピール」するという手法です。
《プロパガンダの定石15》
『プロパガンダの見抜き方』より引用
「被害者」の強み。
自分は被害者であるとアピールせよ。
〈被害者アピールをする〉
本当は加害者であるにもかかわらず、被害者と主張することで(プロパガンダすることで)逆に批判、非難する相手を攻撃する逆転の論理術。
これは極めて悪質な詐術。
「われわれは○○によって害を受けている被害者である」という被害者アピールするというプロパガンダはあちらこちらで使用されている。
こうしたことは本当に被害者であるケースもあるが、「自分が被害者」だと訴えれば無条件で被害者となるわけではない。なぜならば人間は自己保存欲があるため嘘をつくから。
つまり、「被害者を主張する(アピールする)」ことは、本当の被害者も偽の被害者もどちらもあり得るということ。だから「被害者アピール」をしたから加害者側ではなくなるということは単なる誤魔化しであり、加害事実から逃れることができるものではない。
この手法は、批判されたり、非難されたりすると、自分と相手の立場を入れ替えたり、善と悪をひっくり返して、根拠なく「自分たちは被害者であるとアピール」することによって、罪から逃れようとする姑息な手法なのです。
悪(ワル)は、善と悪をひっくり返す。
自分の悪事を追求されると、逆に相手こそその悪事を行っているとなすりつける。
また、自分が悪事を行っているくせに、自分を棚に上げて、その悪事は自分とはまったく関係ないもので相手が悪事をしていると立場を入れ替える。
このプロパガンダ「被害者であるとアピールする」という手法も参政党がよく使用する手法です。
“私の目”には、参政党党首の神谷氏は、どこかで「プロパガンダの手法」を学んだように“見えます”。参政党に疑問がある方は、今回の記事の内容を参政党のやっていることに照らしてみてください。
あなたの目にはどう見えるでしょうか?
プロパガンダはあなたの日常に潜んでいる!
《SNSには企業によるプロパガンダが存在している?》
『プロパガンダの見抜き方』より引用
これまで、こうしたSNSによるプロパガンダに企業が報酬を得て関与している事実は「ある」と言われながらその実態は容易には掴めなかった。彼らは「隠密」で「一般人を装う」ことが業務なので「我が社がやりました」とは決して言わない。守秘義務契約を結んでいることも多い。
〈SNS上に存在する隠密〉
以前、自民党がSNSでプロパガンダ的な情報発信を民間企業に依頼していたことが暴露されたことがあったことを記憶している方がどれだけいるでしょうか?
SNS上のプロパガンダ業者が姿を見せた案件がいわゆる「Dappi事件」と呼ばれるものです。これは「Dappi」という匿名のアカウント(ハンドルネーム)がX(旧Twitter)上で自民党や日本維新の会などへの賛同や動員をする一方で、立憲民主党や日本共産党の国会議員への誹謗中傷や批判を繰り返した事案です。
(「Dappi」のフォロワーは約17万人いたと言われている)
この事案の場合、名誉毀損で起訴される事態にまで至っています。
さらに発信者が開示され、IPアドレスが判明しています。
判明した情報発信者はウェブ関連企業の「ワンズクエスト」という企業でした。
驚くべきことは、投稿者の基本給が「110万円」という高給だったことです。
逆の見方をすると、それだけの費用を出してもプロパガンダ情報を発信して、自分たちに有利な情報操作、印象操作をしようと企む者がいるということです。
「SNSプロパガンダ業者」、これは存在することは間違いないでしょう。
でも、表ではあまり騒がれませんし、証拠が掴まれることは非常に稀なことです。
だからこそプロパガンダ情報を発信して自分たちに有利な世論を形成したい者たちは、金を払ってでも「SNSプロパガンダ業者」を使うと考えられます。
ですから、SNSに限らずネット上には特定の勢力の利益誘導をするための「SNS部隊」が跋扈していると思った方がよいです。
彼らは「隠密」ですから、正体を現すこともしないし、証拠を掴むことも非常に困難です。ですが、こうしたことを見破る方法がないかと言えば、「ある」とも言える。
それは一個一個の事案を見るのではなく、全体または流れを俯瞰してみることです。
俯瞰し、客観的に見ることで、「これはおかしい(不自然である)」と思えるような現象(動き)があった場合、そこに隠密(諜報部隊)が存在する可能性があるということです。
現代は、SNSなしで社会が成り立たなくなっていると言えますが、SNSなどのネット上にはフェイク情報、ディスインフォメーションを意図的に流したり、敵対者を誹謗中傷する隠密が存在すると考えるべきであり、その悪意に巻き込まれない様にするため、あるいは自由意思を防衛するためには、「プロパガンダ・リテラシー」を身につける必要があるのです。
私の記事の常連さんであればお分かりかと思いますが、結局「プロパガンダ」とは「情報戦」なのです。戦いというものは情報の駆け引きによって最初の勝敗が決まるものなのです。
戦の法則とは、情報戦を制したものが勝利するということなのです。
大衆を誘導する目的で発せられた情報戦(プロパガンダ)とは「戦」なのです。
この場合の「戦」とは、内心の自由、思考の自由、判断の自由、言論の自由、行動の自由を守れるか支配されるかの戦だということです。
「隠密」は、人々の内心の自由に勝手に踏み込んできて、選択の自由を知らず知らずのうちに奪います。さらに人々の言論の自由をコントロールしようとします。
こうした動き自体が全体主義社会へと変貌していく動きとリンクしていることに気づくべきなのです。
『プロパガンダの見抜き方』より引用
「人々の思考や感情、行動を自分に有利な方向へ誘導するプロパガンダのメソッド」はすでに確立しているという事実だ。それは大規模に産業化され、思考・感情・行動修正を業務とする広告代理店やPR会社が無数にある。
コンピューター科学者のジャロン・ラニアーはこう言っている。
「SNS基本設計には、行動修正がアルゴリズムに組み込まれていて、人々の行動をどれくらい変更したのかということが効果の指標になっている」と。
つまり、SNSはもともとプロパガンダ・マシン(プロパガンダのためのもの)だということ。
思考の自由と感情の泥棒から内心の自由を守るためには、“批判的思考”を持つことが必須なのです。情報そのものを信用するとプロパガンダにやられてしまう可能性があるので、誰がその情報を発信しているいるのかということを信用の基準とするべきなのです。そのためにはその人物の発言、思考を分析することです。
情報そのものよりも、情報を発信している人物を「選り分けろ」ということです。
プロパガンダとは、あなたの日常に存在するのです。
《プロパガンダ・コンテンツは日常に溢れている》
『プロパガンダの見抜き方』より引用
こうしたプロパガンダ・コンテンツには、目に見える「表面上のイメージ」と、それが運ぶ「水面下のイメージ」(サブ・メッセージ)が必ず計算・設計のうえ用意してある。
〈情報の裏側にあるサブ・メッセージに気がつけ!〉
「プロパガンダ」とは政治や外交、国際問題だけにあると思ったら大間違いです。
プロパガンダは日常に溢れています。
映画、ドラマ、バラエティーなどには表から見えるものと裏側に隠されたものがあるケースが往々にしてあるのです。
ですが、人々は99.9%裏側に潜むプロパガンダ・メッセージ(サブ・メッセージ)に気づくことはありません。
なぜらば、表面上の情報などに夢中になり、同時に表面にある情報などが“目隠し”の役割をしてしまうからなのです。
《プロパガンダ・リテラシーの難しさ》
『プロパガンダの見抜き方』より引用
つまり「できるだけ多数の受信者の思考や感情、行動を自分に有利に誘導したい」という意図のもとに情報を放つ限り、その情報は主張の内容を問わず「プロパガンダの定石」に沿わざるをえない。プロパガンダ性を帯びざるをえないのだ。
〈手法そのものの善悪〉
烏賀陽氏は語っていないが抑えておきたいことは、「手法そのものの善悪」である。
たいていの場合、「手法」そのものには善悪が無いことが多い。手法における善悪とは使う側の問題として発生してくる。特定の手法を使う側の真の目的と動機、手段の組み立て方等によって悪にも成れば善ともなる(一般論では)。
たとえば包丁は料理をするために使えば善となり、他人への殺意に使えば凶器となる。包丁の存在自体が悪と考えると料理を通しての幸福は得ることができない。
プロパガンダというものも、その目的と動機によって善悪が分かれることは間違いない。
単に宣伝なのか、良きものを普及するために用いた方法がプロパガンダに該当しているだけなのか、自分たちが有利になるために多数の意思や感情を誘導しようとしているのかという問題である。
この記事の最初で語ったようにもともと「プロパガンダ」というものは宗教の布教からきているもの。本来は「神の福音を伝える」という意味があった。だが、もしその神の教えが途中から悪魔の教えに入れ替わっていたらならば、それは悪となる。
要するに、発信された元情報そのものに「悪意」があるのか「善意」があるのかによるということ。
同時に何らかの情報を発信する者の“心”に悪意ややましさがあるのか、純粋な善意なのかということによってプロパガンダの手法そのものが悪にも善にもなるということ。
しかし、たいていの場合、人々がプロパガンダと聞けば「悪いイメージ」を持っているはず。
その理由は、独裁的性質、全体主義的性質を持った者たちが意図的に使用するからに他ならない。もし善意のかたまりの人間がプロパガンダ的要素を持つ情報発信をしても、プロパガンダの定石を意識して当てはめようとはしていない。だが、勢力を拡大しようとか、大勢の人たちをこちらに有利なように誘導しようとか考える不純な発想をする者たちは、意図的にプロパガンダの定石を“意識して使う”。
ですから、発信された情報がプロパガンダなのかどうかを見抜くのはそう簡単なことではない。ではどうやって見抜くのかと言えば、その発信された情報以外を探索することと、発信者そのものの性質、本性、過去の行動などを調べる以外にはない。
もう一度言う。
独裁的気質を持っている者、全体主義を実現しようとする者たちは、意図的にプロパガンダの手法を使って大勢の人たちを誘導する。しかもプロパガンダと気づかれず、誘導していると思われずに。
結局、悪い意味でのプロパガンダとは、思考の自由、選択の自由、行動の自由を奪っていることであり、プロパガンダそのものは自由よりも全体主義や独裁主義に共鳴しやすいと言える。
プロパガンダが使われる最大の理由とは、抵抗、反抗、攻撃、拒否を消し込むためにこそある。
抵抗されずに(騙されて)、自分の思う通りに誘導できる手法として使われているものである。
この本質は、自由の奪取であり、支配力の発揮である。
《プロパガンダの定義》
結局、プロパガンダとは何かといえば、「洗脳の技術」であり、「大衆コントロールの手法」なのです。多くの人々の目をくらまし、思考を混乱させ、考える力や選択の自由を奪い、情報発信者にとって有利なように誘導するという目的を持ったもの。
大衆の行動を自分たちが望むように修正していくことこそプロパガンダのプロパガンダたるゆえんです。
プロパガンダとは、明確な論理があるようで明確な論理がないものであり、客観的な論理があるように思わせる技術。
プロパガンダとは、ある目的を実現するため、あるいは特定の意図を受け入れてもらうために「論理的思考を飛ばした“言葉の断片”を絶え間なく浴びせ続ける」もの。
受け手を「思考停止状態」にすることで「特定のメッセージを脳裏に刻ませる」技術。
「プロパガンダのゴールは『真実を知らせる』ことではなく、情報を受け取る人の認識や思考を、自分に有利なように誘導すること」。
プロパガンダとは、情報の受け手の思考の自由、選択の自由などの自由を奪っていると思わせずに奪う高等作戦。
プロパガンダのプロパガンダたるゆえんは「大衆操作」にある。
プロパガンダの本質とは、自由の奪取であり、支配力の発揮である。
プロパガンダとは“民主主義の仮面を着けた全体主義”に他ならない。
プロパガンダとは情報操作であり洗脳(マインド・コントロール)そのもの。
《結論》
プロパガンダとは、内心の自由、選択の自由、言論の自由、表現の自由を奪うものなのです。違った言葉で言えば、あなたをあなたに気づかれずにコントロールする方法なのです。
世界にはプロパガンダ(=洗脳、情報操作、印象操作)という見えない糸が張りめぐらされているのです。絡みつくその見えない糸を取り払わなければ本当の意味での自由は勝ち取れないのです。プロパガンダの見えない糸を断ち切った時にこそ、本当の自由を実感できるのです。
これだけは覚えておいてください。
あなたの「内心の自由」「思考の自由」「選択の自由」「行動の自由」を奪おうとしている者たちが存在していることを。
参考書籍(引用元)
書籍名:『プロパガンダの見抜き方』
著者:烏賀陽弘道 (うがやひろみち)
出版社:新潮新書 (新潮社)
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!