『脱パチンコのススメ!2 ~参考書籍「どん底に落ちた養分たち」からの学び!【後編】 パチンコは社会の退廃を拡げるビジネス!~』

まずは【前編】「パチンコから遠ざかった人こそ真の勝者」をお読みください。

パチンコの「夢(儲ける)」とは、ただの「妄想」!

《パチンコの負けをパチンコで取り返す??》

以下、鈴木傾城著『どん底に落ちた養分たち』から引用

「早く負けを取り返さなくちゃとますますハマりました」
(注:あるパチンコ依存症の人の言葉)

ギャンブルにのめり込めばのめり込むほど、どんどん金を失っていく結末が待っている。

パチンコ・ユーザーのほとんどは「たまに勝つ」のだが「トータルで大負け」している。
つまり、パチンコ歴が長くなればなるほど、負けた総額はかなりのものになっている。
パチンコって絶対に最後は負けるゲームだから、勝ってたとしても一瞬でしかないんです。

多くの人は「総額」で負けている。それも、人生の長い時間をかけて負け続けてきている。

引用終わり

〈パチンコは最終的には誰も儲からないゲーム〉

パチンコ中毒になるとどうなるのか?
貯金を切り崩す、生活に必要なお金に手を出す、家族や友人にお金を借りる、消費者金融から借金をする、最後は闇金から金を借りる。
それだけではなく、万引き、強盗などの犯罪をしてまでパチンコをやる金を生み出そうとする。
すると、そこに待っているのは人生の崩壊です。

総額(トータル)では負けているのに、なぜパチンコをやめられないのか?
それは「たまに勝つ」からです。
その「たまに勝つ」が「大当たり」ならばなおさらです。
パチンコ依存者の思考は「負けたことではなく、たまに勝ったことを記憶に刻む」ことです。
大当たりしたらずっとそのときの快感が忘れられません。
これは薬物依存と同じ症状なのです。
だから、パチンコ依存症から抜け出すのは至難の業であり、一人では無理と言われているのです。

私はパチプロを含めたパチンコをやる人に聞きたい。
パチンコに勝った(儲けた、当たった)という都合のいい部分しか言わないのではなく、生涯トータルを言うべきだ、と。
つまり、パチンコを始めてからパチンコにつぎ込んだ金額(総額)と勝った金額(儲けた金額)の差額を計算し、生涯トータルで勝っているか負けているかで「パチンコの勝ち負けを判断」すべきだ、ということです。
さらに勝っている=儲かっているならば、それはあなたが普通に勤労していて得られる収入に匹敵しているのか? ということも判断材料とするべきである、ということです。
いくら生涯トータルで勝ち越しだといっても年収にしたら100万円程度であれば、真面目に労働して収入を得ていたほうがよほど幸福な人生を送れるわけです。
しかし、パチンコの中毒は正常な価値判断能力を奪います。
それが「勝ちにしか目がいかなくなる」ことに如実に表れています。
要するに、パチンコ中毒(依存)になると都合の良い思考回路(顛倒妄想)になってしまうのです。
それは明らかにパチンコの中毒症状です。

パチンコの負けをパチンコで取り返す?
99.9%無理です!
「いや、取り返している」というパチプロがいたとしても、では「生涯トータルではどうですか?」と問われれば、必ず負けています。
生涯トータルでも儲けが出ていると主張する人物がいたとしても、では、あなたと同じ年齢の人の収入と比べてみてください、と言えばそれだけの収入を安定的に得ることは不可能であることが分かります。

パチンコの「夢」とは「妄想」なのです。
パチンコとは最終的には誰も儲からないゲームなのです。

ギャンブルなのにギャンブルではない??

《パチンコの矛盾》

パチンコには矛盾があります。
まず、ギャンブル(賭博)なのに「遊技(ギャンブルではない)」と定義づけられていること。
さらに、パチンコは換金(現金の)が法律で禁止されているにもかかわらず、実質上は景品交換所で現金に換金していること。
つまり、本来の法の主旨からすれば違法なことをしているのです。
それをグレーな方法ですり抜けている(誤魔化している)のがパチンコ界なのです。

パチンコの換金システムを『三点方式』と呼びます。
パチンコ店で受け取った景品を客が景品交換所に持ち込むと現金に換金できます。
景品交換所は別のパチンコ店に景品を卸す。
パチンコ店は仕入れた景品を客に出す。
パチンコ店(ホール)、景品交換所、景品問屋の3者間でグルグルと景品と現金が流れる仕組みになっているのです。
これを三点方式と言います。
これは、「店と関係のない景品交換所が景品を買い取っているので、パチンコ業界が換金しているわけではない」という“屁理屈”なのです。
しかし、これは紛れもない「脱法」なのです。
産経新聞などでもこの問題は指摘されています。

この三点方式があるのでパチンコは「賭博」ではなく「遊技」として言われていますが、詭弁としかいいようがありません。
著者の鈴木傾城氏は、はっきりとパチンコは「賭博」であり、「パチンコの換金システムは違法」であると指摘しています。
しかも、なぜ三点方式が見逃されているのかという理由も明らかにしています。
その理由は、「警察とパチンコ業界の癒着」です。
警察はパチンコ業界に天下りして、パチンコの利権を貪っているのです。
さらに政治家との癒着もあるから始末に負えない業界なのです。
つまり、パチンコ業界は、明らかにギャンブルであるにも関わらず、警察と政治家を取り込むことによって「娯楽(遊技)」という建前で存在しているのです。
ちなみにマスコミもパチンコ業界の甘い汁を吸っています。
テレビでパチンコのCMを観たことがある人は多いでしょう。
マスコミにスポンサー料を支払うことでパチンコ絡みの事件を取り上げないという図式も出来上がっているのです。
この構図、新型コロナワクチンにまつわる構図とそっくりです。
パチンコ業界をワクチンメーカーに置き換えるだけで同じ構造をしています。
犠牲者が弱い立場の国民であるということまで同じです。

《パチンコは社会悪》

パチンコが単なる個人を不幸にするだけの問題ではないことを鈴木氏が指摘しています。
少し長いですが重要な点なので引用します。

鈴木傾城著『どん底に落ちた養分たち』から引用

日本の国会議員の多くはパチンコの全廃に関心がない。パチンコ業界はその莫大な資金で政治家を抱き込んでいるし、警察庁・公安委員会にも保安通信協会等の天下り先を用意してパチンコ全廃の動きにならないように注意を払っている。

銀行や消費者金融はパチンコ依存者が増えれば増えるほど儲かる仕組みになっている。
マスコミやスポーツ紙はパチンコ業界が出す大量の広告費で潤っている。電通グループや博報堂のような広告代理店もパチンコ業界とは密接に結びついている。タレントもパチンコ営業で儲け、マンガ家もパチンコ台に自分のマンガが採用されると版権料が莫大に入る。

最も金のない最下層の人たちが人生を破滅してしまうまで貢いだ金が、パチンコ業界のみならず、政治家・警察・銀行・消費者金融・広告代理店・芸能界・マンガ界にあまねく吸収されて彼らの懐を潤している。
「社会の上層部はパチンコマネーの恩恵を受けている」
日本はすでに長い年月をかけてパチンコマネーが社会の隅々まで潤す仕組みになっている。

引用終わり

著者の鈴木氏は最後にこう言い切っています。

「パチンコは社会の退廃を拡げるビジネスである」

その理由をいくつかあげていますが、その中からご意見番が気になった点をあげます。

・パチンコはユーザーの「のめり込み」を利用した危険なビジネスである。
・パチンコは依存症を生み出すビジネスである。
・パチンコは客を破綻させるビジネスである。
・パチンコは消費者被害を生み出すビジネスである。
・パチンコは利権を発生させ社会的不公平感を生み出すビジネスである。

パチンコは明らかに社会悪なのです!

ギャンブルの大原則!

《ギャンブルで常勝の人はいない》

鈴木傾城著『どん底に落ちた養分たち』から引用

ギャンブルでは常勝の人間はいない。

ギャンブルにはプロと名乗る者たちが跋扈しています。
しかし、本当にプロと呼べるならばその同年代の人以上の年収を維持し続けてこそ「プロ(パチプロ)」と名乗れるはずです。
ご意見番が認めるパチプロの基準は、
・生涯トータルが大きな黒字を生み出していること。
・ギャンブルで得ている収入が同年代の人の収入を下回らないこと。
この条件に合致するパチプロは99.9%いないでしょう。

1ヶ月の収支(勝ち負け)で儲けることはあるかもしれません。
1年間の収支(勝ち負け)で勝つことが多いこともあるかもしれません。
しかし、パチンコを始めたときから現在までの収支が黒字になる人は皆無でしょう。

ギャンブルの大原則とは、「最後には必ず負ける」ということです。
必ず負ける客がいるからこそ胴元は儲かるのです。
しかし、重要な点があります。
「全員が常に勝てるギャンブル(パチンコ含む)は存在しない」
「全員が一度も勝てないギャンブル(パチンコ含む)も存在しない」
のです。

「全員が一度も勝てないギャンブル」➡客が負けてばかり、誰も勝てないのならば、誰もギャンブルをやろうとしません。いずれ客はいなくなるでしょう。
「全員が常に勝てるギャンブル」➡胴元(パチンコ店)が潰れてしまいます。
だから「初心者を勝たせてのめり込ませる」「たまに勝たせてまた来るようにする」のです。
そして「最終的(トータル)に負けさせる」のです。
それがギャンブルの仕組みです。
負けることも承知で大金を叩きこめる富裕層ならまだしも、パチンコユーザーのほとんどが中間層以下の収入の人(最下層の人も多い)たちです。

著者の鈴木氏の言葉を借りるならば、パチンコにのめり込むということは、「どん底に落ちて誰かの養分になる」ということです。
いつか当たる? 今度こそ勝てる? という妄想を描くことで「お金」と「時間」を大量に無駄使いすることなのです。
お金は勤勉に働けば取り戻すことはできるかもしれませんが、パチンコを打った時間は人生で何も生み出さない、何も残さないで無駄な浪費として虚しさだけが残るだけです。
パチンコは失うものが多く、得るものがない地獄です。

パチンコにのめり込んで抜け出せない人は「敗者」であり、パチンコから遠ざかった人こそ「勝者」なのです。

《ギャンブル依存者(中毒者)に説教をしても無駄!》

私が著者の鈴木氏の言葉で深く心に残ったことがあります。
それは、「ギャンブル依存症は説教では治らない」という言葉です。
身に染みて理解できました。
なぜならば…。
知っている人は知っている事情があるからです。
事情を知っている人であれば、理解できるでしょう。

結局、パチンコ地獄とは「金を追って金を失う」「勝つという快感のために人生の貴重な時間を失う」という道なのです。

人間界に楽して儲けられる手段はありません。
楽して儲けられる喜びは、ことごとく泡のように儚く消えていきます。
しかし、努力し、苦労して得た喜びはずっと心の中に残ります。

パチプロで「努力なくして天才なし」「努力が天才やプロをつくります」などと狂気じみた発言をする人間がいますが、パチンコ(ギャンブル)に努力しても人間の魂向上には何の役にも立ちません
ギャンブルに努力をしても人間性の向上には一切つながりません
むしろになります。
ギャンブルにハマればハマるほど人間性を失い野獣性が強くなり、魂的には堕落の道を歩むことになります。
「ギャンブルに努力して天才やプロになる」というセリフは人間を堕落に導く悪魔の堕落論でしかありません。
悪魔は天使の説教に対して激しい敵愾心を持ち天使を迫害します。
そうした状況と同じことがパチンコ中毒者には見られます。
(中毒の度合いによる)

最後に禁パチの道を歩み始めた方に伝えます。
辛く苦しい道かもしれませんが、その道こそ人生の正しい道です。
諦めずに勝者の道(ギャンブルから縁を切る)に入ってください。
アチキは応援しています!

参考書籍

著者:鈴木傾城(すずきけいせい)
書籍名:『どん底に落ちた養分たち』
出版社:集広舎

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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