『イジメを受けた人に贈る励ましの言葉』

励ましの言葉

イジメを過去受けて苦しんだ人、
イジメを受けた心の傷がいまだ癒えていない人、
イジメを現在進行形で受けて苦しんでいる人、
イジメを受けていることを誰にも言えなくて、孤独のなか失望の闇の中で苦しんでいる人、
そうしたイジメで苦しんだ人すべてに「励ましの言葉」を贈ります。

“イジメられる”

「辛い」という単純な言葉では言い表せない感情。
誰にも言えない苦しみ。
目の前が真っ暗になり、明日を生きる力どころか、今を生きる力を奪われるような感覚。
氷河の上で一人ぼっちでたたずむような孤独感。

親に知られたくない自尊心。
見て見ぬふりをするクラスメートを恨む気持ち。
頼りにならない大人たち。
すれ違う人は誰も気がついてくれない。
周りにたくさんの人がいるはずなのに、誰も頼りにならないと思える悲しさ。

傷つけられた身体と心。
身体の傷は数日で癒えたのに、いつになっても消えない心の痛み。

壊れていく幸せの感覚。
崩壊する日常生活。

命が簡単に消しゴムで消せるなら、いますぐに消してしまうだろう。
人生をゲームのように簡単にリセットできるのなら、いますぐにリセットするだろう。

イジメられた時間は強烈な痛みを伴う記憶となって苦しみを生んでいく。
イジメられた自分が惨めで哀れで、悔しくて、悲しくて・・・。

どうして自分ばかりこんなつらい目に合わなければならないのか。
孤独のなかで叫んでみても、その声は誰にも届かない。

イジメる相手や社会を恨む気持ちだけが膨張していき、生きる希望はあっという間にしぼんでいく。

いっそ死んだほうがマシだ!
いや死んでしまおう。
死んだら楽になれる。
死んで復讐してやる。

イジメられることで精神が壊されていく。
明日への希望や生きる力を奪っていく。

イジメはこの世における残酷な行為。
人としての道を踏み外した行為。
他人の人生を奪いかねない行為。
自らの仏性(良心)を汚す行為。
イジメは犯罪行為。

イジメをする人間は・・・

イジメをする人間は、エゴイスト。
イジメをする人間は、自分勝手。
イジメをする人間は、強欲。
イジメをする人間は、嘘つき。
イジメをする人間は、ズルくて卑怯な心の持ち主。
イジメをする人間は、乱暴な人間。
イジメをする人間は、他人の心の傷みに無頓着。
イジメをする人間は、他人を傷つけることで喜びを得る。
イジメをする人間は、誰かを支配することで快楽を覚える人種。
イジメをする人間は、争いを好み、相手を打ち負かすことをより好む人間。

イジメをされる人は・・・

イジメをされる人は、真面目な性格。
イジメをされる人は、なんでも自分の責任と思う。
イジメをされる人は、優しい心の持ち主。
イジメをされる人は、シャイで奥手な性格。
イジメをされる人は、正義感が強い。
イジメをされる人は、静かな時間を好む人。
イジメをされる人は、争いを好まない人。

イジメをする(した)人間に告げる!

他人の身体を傷つければ、その悪行はたとえこの世で裁かれなくてもあの世で必ず裁かれて痛い目にあう。
誰かの心を傷つければ、いずれ必ずその10倍の苦しみを味わうことになる。

弱いものをイジメてもいいのか?
ストレス発散のためならイジメは正当化されるのか?
自分を強者と思っているのか?
イジメられる相手は下等な人間で、イジメをする自分は高尚な人間だと思っているのか?
悪事を隠し通せると思っているのか?

悪事をはたらいてバレなければそれでいいと思ったら大間違いだ。
嘘や悪事は、いつか必ずあばかれる。

自分が同じことをされて嬉しいと思うか?
自分の大切な家族や友人がイジメられたとしたらどう思う?

自分がされて嫌なことを他人にしてはならない。
他人の尊厳を奪ってはならない。

人間の尊さは、学歴、職業、収入、肩書ではなく、家庭環境や美人(美男子)かそうでないかではない。
人間の尊さはその人が他人に与えた優しさの数だ。

人間は間違いをすることがある。
人生の一時、悪事をはたらくこともあるかもしれない。
そのときは反省するのだ。
素直に自らの思いと行為を反省するのだ
反省したならば、生き方を改めるのだ。
他人に優しく自分に厳しく生きるのだ。
それが人としての正しい生き方だ。

イジメをしているあなたとイジメている相手は同じ人間。
血の通った同じ人間。
あなたが誰かをイジメることは、イジメの対象者だけでなく、その人を愛している人のことも傷つけることになる。

どんな理由があっても、イジメは絶対的な悪である。
イジメをしているあなたの心はすでに地獄の悪魔に支配されているということを知りなさい。

世界は「作用反作用の法則」で成り立っている
誰かをイジメて苦しめた人には、必ず反作用が返ってくる

つまり、自分がした行為によって自分が苦しむことになる、ということだ。
あなたは他人を傷つけ自分をも傷つけているのだ。
この真実を受け入れよ。

「悪事千里を走る」のことわざの通り、悪事はいずれ明るみにでる。

だが、イジメをしているあなたもきっと苦しみを抱えているのかもしれない。
親に愛されていない。
かつてイジメられた経験がある。
誰の人生にも逆境はあるからだ。

だが、自分が苦しんだから、傷つけられたから、誰かをイジメてもいいということは絶対にない。

イジメをしたあなたにも良心があるだろう。
心の奥底に眠ってしまった良心を呼び覚ましてほしい。
そのときにあなたは人としての心を取り戻すだろう。
それをわたしは待ち望む。

イジメられて苦しんだすべての人へ贈る言葉

この言葉をつづっているわたしは明日死ぬかもしれません。
あなたも明日死ぬかもしれません。
なのに、わたしに命があり、あなたにも命がある、ということは“生かされている”ということなのです。
“生きている”のではなく、あなたを愛する人や見えない存在によって“生かされている”のです。
命を与えられているのです。

辛いことばかりは続かないと信じられれば、大丈夫、きっと明日を生きられます。
あなたが裁かなくても、あなたが復讐しなくても、他人をイジメた者には必ず反作用がやってきます。

イジメた相手に復讐することは止めてください。
イジメられて絶望し、死を選ぶことは止めてください。
それはイジメた人間を喜ばせるだけです。

イジメをする人間は下劣(げれつ)な人間です。
あなたが復讐すれば、あなたは同じ下劣な人間になってしまいます。
イジメた人間と同じことをすれば、あなたは同類になってしまいます。
あなたは下劣な人間になってはいけません。

もし、復讐したい気持ちがあるのなら、わたしの言葉を聞いてください。
“同じ下劣な人間にならない”というプライドを持って生きていってください
それがイジメをした人間に対する正しい復讐です。
“イジメをする人間と同じことをしない”、つまり他人を傷つけない(心身ともに)ということが人としての正しい生き方であり、最強の復讐なのです。

自分をイジメた相手が“憎い”でしょう。
恨みの気持ちが出てしまうでしょう。
そのマイナスの感情が出ることを自分で自分を責める必要はありません。
それが人間だからです。

法的処置が必要なら法的処置を取り闘ってください。
ただ、相手を犯罪者にしてもそれであなたは幸福にはなれません。
それだけでは心の平安は得られないのです。

大切なことは、あなたが幸せになるには、憎しみや恨みの感情を少しずつでもいいから消し込んでいくことです。
心の傷みを癒すことに集中することです。

決して同類になってはいけません。
憎しみに対して憎しみで返せば、憎しみの無限ループの世界にあなたは落ちていくことになります。

あなたはひとりじゃない。
きっとあなたを愛している家族や応援している友人がいる。

もし、誰もいないというのなら、
天使はあなたを応援している。
神はあなたを見捨てない。
神はあなたを愛している。
わたしはあなたを応援している。
そう伝えます。

イジメなんかに負けず、生きてください。
たとえ今が日陰(ひかげ)の時であっても、いつか必ず陽のあたる時がくると信じてください。
流した涙の数はあなたの優しさとなるのです。
アコヤガイが痛みを伴いながら異物から真珠を生み出すように、苦しみを優しさに変えるのです。

“頑張れ”とは言いません。
ただ、今日を生きてください。
明日を生きようと思ってください。

もしわたしの言葉がイジメられて苦しんだ人の慰めになるのなら、ほんの少しでも痛みを和らげることができたなら、それはわたしにとって喜びです。

もし、この“励ましの言葉”が少しでも慰めになるのであれば、またここへきてください。
わたしはいつでも待っています。
イジメに苦しんだあなたを思っています。

わたしもあなたと同じように苦しみのなか生きています。
あなたとともにいつか来る“喜び”を味わってみたいのです。
いつか“笑顔”を取り戻してみたいのです。
あなたもわたしも、いつかきっと笑顔になれると信じたいのです。

イジメで傷ついたすべての人にこの言葉を贈ります。


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