『「母親がいないと不幸」論争にもの申す! ~母親の愛とは?子どもの幸不幸とは?~【前編】』

目次

【TBS系情報番組『グッとラック!』生放送中に論争勃発!?】

TBS系情報番組『グッとラック!』の生放送中(10月29日)に、元TBSアナウンサーの小林麻耶さんと番組MCの立川志らく氏とで論争(?)になる事態が勃発した!

小林麻耶さんは「私はそういう考えは嫌いです」と涙目で強く反論!
いったい何があったのか?
実は、アチキはその放送を観ておりんせん。
ですが、調べてみました。

二人の論争のキーワードは、「母親がいないのは不幸」という言葉です

番組では、乳がん治療を中断して不妊治療に挑む芸人のだいたひかるさんを特集したVTRを放送していた・・・。

【だいたひかるさんの状況と思いとは?】

《だいたひかるさんの状況》

お笑い芸人のだいたひかるさんは、2013年にアートディレクターの小泉貴之氏と結婚し、2014年から不妊治療を始めていた。
しかし、2016年に乳がんが発覚する。
だいたひかるさんは、右乳房を全摘出したが2019年3月に乳がんが再発。
定期的に放射線治療を受けてきたが、10月16日から治療を止め、不妊治療を再開した。

だいたひかるさんの状況は、乳がん治療のためには女性ホルモンを減らさなければならないものの、妊娠しやすい身体を作るためには、女性ホルモンをふやさなければならないという、気持ちと身体が相反する状況となっている。

《だいたひかるさんの思い(気持ち)》

だいたひかるさんがその胸中を語っている。

「好きだから産んでみたい、この人の子どもを」

だいたひかるさんは、夫を「人生で知り合った人で1番いい人」と公言し、夫の幼少期の写真を見るたびに強まっていったという。

「ずっと支え続けてくれた夫、純粋に好きな人の子どもを産みたい

「再発・転移という可能性が上がるんですね。でも死んじゃってもいいから、子どもを迎えにいきたいっていう、そういう気持ちです」

と、がん再発というリスクのあるなかで不妊治療に励んでいる。
癌の他の部分への転移や悪化のリスクがあるため「自分の命を賭けてでもやってみたい」と強い決意を示している。

【「母親がいないと不幸」論争のやり取り】

立川志らく氏と小林麻耶さんのやり取りを見てみよう。

《立川志らく氏の発言》

番組MCの立川志らく氏は、だいたひかるさんの状況を見聞きし、真剣な表情で話を切り出した。

志らく氏は、前日に妻とこの問題について話し合ったと明かしながら、

「母親がいないと子どもにとっては不幸なことじゃないですか、母親の責任放棄して良いのかという話になったが…」

とコメントした。

《小林麻耶さんの発言》

この発言に対して妹の麻央さんを乳がんで亡くしている小林麻耶さんはこう切り出した。

「考えは人それぞれで、否定するつもりはないですが…」
「志らくさんが先ほど、母親がいないのは不幸だと仰ったのは、私はそうは思いません」

「母親がいない人もいるし、母親に虐待を受けている人もいますし、母親がいない人が不幸っていう言い方は、私は、私はですよ、個人的には嫌いです」

「母親がいなくても不幸だと思って欲しくないし、その分、周りの人が愛情を注げば良いと思うし、母親だけの愛情じゃない。そういう言い方について、私の気持ちをお話させていただきました」

小林麻耶さんは、目に涙を浮かべて訴えていた。

《立川志らく氏の反論》

この小林麻耶さん意見に、立川志らく氏は他のコメンテーターの意見も聞きながら、再度意見を発した。

「母親がいないのは不幸だっていうのは、麻耶さんの仰る通りで、本当に周りの愛情があれば、それは不幸ではなく幸せになれる」

「でも私はやっぱり母親がいてくれたらいいな、純粋に今、子どもいたときは母親がいなくなったらどうするんだろうという気持ちで出た言葉で、母親がいない子がすべて不幸だという意味ではありません

「生まれて来なくても、その子どもは自分より大事なものじゃないですか。『自分が死んでもその子どもを迎えにいきたい』というのは、正解はないと言ったけれど、これが正解なのかなと、みんなの話を聞いててふと思いましたね」

さらにこう付け加えた。

「言葉ってのは、時には凶器になることもある」

自戒の言葉を残した。

《小林麻耶さんの再反論》

小林麻耶さんは、立川志らく氏の言葉とスタジオの議論に対してこう補足した。

「ただ、『だいたさんは、不妊治療を命をかけてしたからあなたも不妊治療しなさい。だいたさんは命をかけてるのよ』という責め方をしないで欲しいなというのは、心から思います」

(参考情報は、東京中日スポーツ・YAHOO!ニュースなど)

【論争に対する世間の声(コメント)は?】

立川志らく氏と小林麻耶さんの論争(?)に世間の人たちが声を上げた!
特に女性たちが多くの声を寄せている。

アチキはネットニュースを見るときに、必ずコメントも読むでありんす。
(コメントがある場合)
そのときつくづく感じるのは、「世間には立派な人が多いな~」ということでござりんす。
「あっぱれ!」と言いたくなるコメント(意見)が多くあるので紹介するでありんす。

以下引用

〈立川志らく氏を擁護(?)するコメント〉

「番組見ていました。志らくさんの発言は、だいたひかるさんが、乳がん治療を中断し、不妊治療を再開するという話題へのコメントなので『母親がいなくなったら子供は不幸』は、出産はゴールではなく、産まれたらその後も母親は必要、というニュアンスからの発言だと思いました。闘病の末亡くなられた小林麻央さんのお子さんたちに向けた言葉ではありません。小林麻耶さんは、お気持ちは充分わかりますが、母親を失くしても懸命に生きる甥姪のことをもう少し冷静にお話された方が、多くの方に伝わりやすかったと思います」

一般論として言っているだけであって、別に間違ったことを言ってはいないと思うが。麻央さんの様に子供が生まれた後に亡くなられたのと、亡くなるのを覚悟でがん治療を中断して子供を産むのとでは、全然状況が違うと思う。
もし子供を授かって無事に生まれたけど、母親はそれが原因で亡くなったとしたら、子供が『自分を生むためにお母さんは無くなった(原文のまま)』という十字架を背負う可能性もある。
だいたさんの『どうしても子供が欲しい』と言う気持ちを否定するつもりはないけど、それを否定するような意見もあって当然だと思う」

「志らくさんの言葉は足りなかったとは思いますが、母親は居ないよりは居た方が良いとは客観的に見ればそう思います。個人的には不幸だとは思いませんが『不憫』だとは感じてしまいます。この件に関しては母親が居ない境遇の子しか分からない心情だと思います」

「子供は自分のことを不幸だとか可哀そうだとか思わない。これが世界の当たり前だと思っている。周りから『かわいそうだね』『不幸だね』と言われて初めてそうだったのか、と認識する」

「言葉が足りなかっただけですよね…。
言いたい事は伝わりました。考えや状況にもよりますから、人それぞれですよね。
ただ、小林さん…すぐ感情的になって泣きますよね。気持ちは察しますが、テレビに出てコメンテーターとしてお仕事するなら、どうなんでしょう…。
見ている側としては、このお仕事は向いてないのではと思ってしまいます」

「言葉って難しい。志らくさんの言わんとしてることわかります。色んな時と場合があるから、受け止め方が変わってくるけれど。
志らくさんが言ったのは、来るかもしれない将来に対する懸念で、産まれてくる子を不憫だと思ったから発した言葉で、産みたいから選択しても未来に母がいなくなるかもしれないとわかって産み、産まれた子を思って不憫に感じるのは普通の感情だと思う。産む選択の難しさと思う。
麻央さんは、結果的に子を産んで、その後病気になったから、母がいない子育てを選択して覚悟して産んだ訳では無い。
誰も知らない未来で、そうなっても沢山の愛情のサポートを受けて育てば何も問題はない。
全ての母のいない子へのメッセージではない

〈立川志らく氏を批判するするコメント〉

「立川志らく氏『母親がいないとね、子供にとっては不幸な事じゃないですか…』何故、人権派の方々は、立川志らく氏のヘイトスピーチを黙認しているのですか??愛する力…小林麻耶さん、有難うございます」
(注:この人は『グッとラック!』の映像をTwitterにあげていました。違法じゃないの?)

〈小林麻耶さんを擁護するコメント〉

「麻央さんが亡くなって母親がいなくなった姪甥がいる麻耶さんにとっては心に刺さったよね…」

「その発言云々というより麻耶さんの前でそういう言葉を出しちゃうことに優しさが足りないと思う」

〈小林麻耶さんの意見に反対、もしくは否定的なコメント〉

「この方、先日もSNSの誹謗中傷の話題で感情剥き出しにして個人の意見を周りも見ずに発言されてましたけど(原文のまま)、コメンテーターとして席に座っているのであればもう少し冷静に発言をされたほうがいいかと。
何でもかんでもすぐに妹さんに繋げて話をされるのであれば公の場に出るのに向いてないかと」

「麻耶さんが言っている事も分るし、妹さんの事があるから感情的になるのもわかるけど。この前のSNSでの誹謗中傷の件の時も、涙ぐみながらコメントしてたし、いちコメンテーターとしては、もう少し冷静に話して欲しい気もします。
自身が経験された事や、似た事案の度に感情的にコメントされても、周りも気を使いますよ」

「先日の餃子店の事もだけど、麻耶さんはいつも言葉じりをとらえて話すので、論点がずれて、自分の話にしてしまって涙声で反論、コメントには不向きな人だと思います」

「いや、今回の場面においては小林麻耶が感情失禁&論点ズラしで場違いな言動ですよ。確かに志らくの『母親がいないのは不幸』という言葉は雑な表現だなぁとは思いますが、言わんとするところは的を得ています。(原文のまま)
子供産んで、ハイッ終わり!めでたしめでたし、後は幸せな人生歩んでねっ、では母親として正直浅はかで無責任なのではと私は思います。
志らくは、初めから分かっていて子供に母親ナシのハンデを背負させること=子供を不幸にする、と表現したまでで、それを揚げ足取りみたいに感情的になって涙流して抗議するなんてゲストとはいえコメンテーターとしてはいかがなものかと」

「私は両親から愛情をあまりかけられなかった側の人間ですが、論点はそこでは無いと思う。妹が亡くなったことで反応しすぎでは。
その子どもたちを不幸だと志らく氏は云っているわけではない。そんなことは志らく氏もわかっている。
彼女が云いたいことは充分理解するが、志らく氏は本来親という存在は子供にとって大切で、母親から受けられるであろう愛情を受けられないことは、かわいそうだなという意味でしょう」

「うーん、小林麻耶さんの言いたいことは分るが、それでも母親は、いないよりいたほうが良いよね?
母親がいない子供なんていっぱいいると思うが、やはりいたほうが良いと考える子供のほうが多いんじゃない?
志らくさんが言いたいことはそういうことでしょ」

これは言葉狩りだよ。
母親の愛情は大切ってのは紛れもない事実だからね。相対的に(さらには一般的に)母親不在は不幸ってのは言い過ぎではない。
反論は自由だし、身内のこともあって感情的になるのも分るが、コメンテーターとしては泣きすぎだと思う。繊細な方でしょうから、様々な事件や事例に触れてコメントしなきゃいけない仕事は合ってないと思う。御本人のためにもね」

「麻耶さんが本当に不幸では無いと思っていたら涙を流してまで反論しないと思います。自分自身が少なからずそういう気持ちが有り分かっているけど他人に言われるとそれを肯定したくない気持ちで感情が高まり反論します。
幸せっていうのは自分が決める事であって他人から見たら不幸かもしれないけどそんなのどうでもいい事だと思う。
母親がいなくたってその代わりをする人達がたくさんいます
父親であったり祖父母であったり。
いるに越した事は無いがいないからと言って必ず不幸という事も無いし必ず幸せって事も無い。本人が普通に育てられる環境があれば普通に育って行くと思います。本人の資質と環境で変わって行くものだと思います」

「母親に愛されて育つ子供はそれだけで幸せですよね。原始的な幸福だと思う。
志らくさんは、その『原始的な幸福が失われること』を『不幸』と言っただけで、『母親がいない人生が不幸』ってだけじゃないことはさ、話全体を聞いてりゃわかるでしょうよ。
母親を失った子供が寂しがるさまを間近で見ているから、その言葉に引っかかったのはわかるけど、泣くぐらい可哀想なんだから『母親がいない事は不幸』なんじゃないのか
論点がずれてしまって、だいたさんにも失礼と思う」

「見ていましたが、志らくさんは、自分がその立場になった時に、自分の子供に対してそう感じるとコメントしたと思った。母親のいない全ての子供たちが不幸だとは言っていないと思うし、私もそういう受取りかたはしなかった。
私の子育ては終わりましたが、子供に母親がいて良かったと思うし、いなかった場合に今より幸せだったとは思えない。不幸だったかはわからないが…。
あんなに、涙目で感情入れて否定したら後の人は違う意見は言えないよな。
あの雰囲気はチャンネル変えたくなったな」

「小林麻耶さんの発言は、『母親がいなくて不幸だ』と思っている子からしたら、『貴女(小林麻耶)はさぞいい環境で育ったんでしょうね。貴女の偽善なコメントで、志らくさんの言う通り不幸だと思っている私達の苦しい想いは闇に葬られるんだ』」

〈中立的なコメント〉

「論点そこじゃなくて、だいたひかるのガンを患っているのに治療をやめて不妊治療を再開したことだよね。
『死んでも産みたい』
産後、癌治療、最悪亡くなる可能性もあり育てられない確率が高いのに産む子供は産むより育てるほうが何千倍も大変で人生をかけてすることだから、産むことだけが目的になっている人をみると、うーんと首を傾げてしまう。母親のいない子がかわいそうかどうかは本人次第。周りが決めつけることではない」

(引用は、YAHOO!ニュース・コメント欄、またはTwitterより)

寄せられたコメントを総じて見てみると、立川志らく氏の意見に共感、理解している人が多く、逆に小林麻耶さんを擁護する人の意見は驚くほど少なかった。
また、意見としては両者の言い分は理解できるという声が圧倒的に多かった。
(ご意見番調査による)

【「母親がいないと不幸」論争にご意見番がもの申す!】

《世間の人たちのコメントにご意見番が勝手にコメントする》

〈出産はゴールではない〉

「『母親がいなくなったら子供は不幸』は、出産はゴールではなく、産まれたらその後も母親は必要」

まさにこの問題の重要な部分を指摘している。
母親の役割とは、「産む→育てる→見守る」ということ。
出産すればそれでいい、というのはやはり違う。
幼い子にとっては母親の世話が必要で母親の愛情を欲しがるもの。

〈麻央さんのケースとは違う〉

子供が生まれた後に亡くなられたのと、亡くなるのを覚悟でがん治療を中断して子供を産むのとでは違う。

この方が指摘しているように「母がいないと不幸」という事について、小林麻央さんのケースとだいたひかるさんのケースではまったく前提が違っている。
前提の違う話は、別な話としてコメントしなければいけない。

〈子供の気持ちを考える〉

もし子供を授かって無事に生まれたけど、母親はそれが原因で亡くなったとしたら、子供が『自分を生むためにお母さんは無くなった(原文のまま)』という十字架を背負う可能性もある。

これは鋭い指摘で、番組内で志らく氏も麻耶さんも発言していないものだと思う。
しかし、重要な論点である。
「母親がいないのは不幸」という論争において最重要な視点は「子どもの視点」です。
志らく氏も麻耶さんも多くのコメントでも「親目線」で語られている。

でも、本当に大事なのは子どもの気持ちではないですか?
子どもが自分の出生の秘密を知ったとき、『自分を生むためにお母さんは無くなった』となれば、悲しむのが人間というものです。
それを忘れた論争は不毛です。

〈母親がいない心境が分かる人は?〉

「この件に関しては母親が居ない境遇の子しか分からない心情だと思います」

この方も「子どもの目線」「子どもの心境」を指摘しています。
人間は本当に千差万別です。
同じ環境に置かれても、同じように感じません。
不幸な環境によって心に深い傷をおってグレたり、腐ったりしながら生きる人もいれば、そうした不遇をバネにして人生を切り開く人もいます。

結局、「母親がいないと不幸」論争に対して責任ある発言ができる人とは、「母親がいない人生を生きている人」ではないでしょうか。
また、それに近い人として「父親がいない人生を生きている人」「両親ともにいない人生を生きている人」だと思います。

大切なことは「母親が居ない境遇の子の心情を察すること」だと思います。

〈志らく氏の発言はヘイトスピーチ?〉

「立川志らく氏のヘイトスピーチを黙認している」

これは偏見以外のなにものでもない。
どこがヘイトスピーチなのか?
このコメントを寄せた人の見識は歪んでいる。
歪んだ見識からは、物事は正しく見えない。
だいたい、テレビ番組をTwitterにアップロードするのは違法の可能性が高い。
そのような行為をしている人に発言する資格はない!

〈優しさは誰のため?〉

「麻耶さんの前でそういう言葉を出しちゃうことに優しさが足りないと思う」

「母親がいないのは不幸」という話題は、だいたひかるさんの問題ですよ。
志らく氏も麻耶さんも、だいたひかるさんの問題として発言しなければいけないし、志らく氏はそう発言している。
だが、麻耶さんはそうではない。

このコメントは一見まともに思えるが、状況全体からみると“違っている”と言える。
あくまでもだいたひかるさんの問題なのだから、麻耶さんに気を使うのではなくだいたひかるさんに気を使うのが本当だ。
このコメントは単に麻耶さんを贔屓(ひいき)したものでしかない。

〈言葉狩り〉

「これは言葉狩りだよ」

このコメントも鋭い。
他の人も指摘しているが、麻耶さんは確かに言葉尻を捕らえて感情的に反応している。

再確認する。
志らく氏は「不幸なこと」と言ったのであって「不幸」とは言っていない。
「不幸なこと」と「不幸」という言葉では、意味が違う。
(これについては、この後に説明があります)

〈なぜ涙目で反論する?〉

「麻耶さんが本当に不幸では無いと思っていたら涙を流してまで反論しないと思います。自分自身が少なからずそういう気持ちが有り分かっているけど他人に言われるとそれを肯定したくない気持ちで感情が高まり反論します」

鋭い指摘が多い。
そうなのである。麻耶さんは心の奥底で「母親がいないと不幸」だと思っているのだ。
「母親がいないのは不幸なんかじゃない」と本気で思っていたら、涙目になることはない。
そのことを麻耶さん自身が気づくべきである。

〈幸せを決めるのは?〉

「幸せっていうのは自分が決める事であって他人から見たら不幸かもしれないけどそんなのどうでもいい事がと思う」

人間は不思議な生き物で、他人から見たら不幸そうに見えても、案外楽しく生きていたり、恵まれた環境で幸せそうに見える人が実は悩みを抱えて幸福感を感じていなかったりする。

人生はその人が主体的に生きるものであって、人生の幸不幸を決めるのは本人であるということは人生の真実であろう。

〈誰のために泣いている?〉

「泣くぐらい可哀想なんだから『母親がいない事は不幸』なんじゃないのか
論点がずれてしまって、だいたさんにも失礼と思う」

麻耶さんはなぜ泣いた?
だいたひかるさんを思ってなのか?
それとも妹麻央さんとその子供たちを思ってなのか?

真相は麻耶さんしかわからない。

だが、全国放送という場では、個人的な事情によって泣くということは控えなければならない。
話題をズラすことも失礼にあたる。
それを麻耶さんは考えなければいけない。

〈コメンテーターという仕事〉

「涙目で感情入れて否定したら後の人は違う意見は言えないよな。あの雰囲気はチャンネル変えたくなったな」

テレビ番組に出演する人が一番やってはいけないことがある。
それは「視聴者にチャンネルを変えたいという気持ちにさせること」である。

なぜなら、コメンテーターはテレビ局から依頼されてギャランティをもらって出演しているのだからだ。
番組にはスポンサー企業の存在もある。
つまり、コメンテーターは仕事としてその場にいるのだ。
番組を台無しにするような個人的感情による論争は番組終了後に好きなだけやればいい。
生放送中にすることではない。

〈忘れられた人の存在〉

「小林麻耶さんの発言は、『母親がいなくて不幸だ』と思っている子からしたら、『貴女(小林麻耶)はさぞいい環境で育ったんでしょうね。貴女の偽善なコメントで、志らくさんの言う通り不幸だと思っている私達の苦しい想いは闇に葬られるんだ』」

実は、このコメントが麻耶さんの発言にまったく含まれないものである。
母親がいなくても幸福に生きる人もいる。
母親の代わりに父親、祖父母などの人から愛情を受けて幸せに生きる人もいる。
それは事実。

だが、世の中には、それでも「やっぱり母親の愛情を欲する人」がいるのだ。
「母親がいないことで辛い人生を歩んでいる人」がいるのだ。
麻耶さんの発言は、実はそうした思いで生きている人たちを否定することになっている。

発言は自由だが、こうした問題には多角的に見る視点が必要となる。
麻耶さんは、「母親がいなくて苦しい思いをしている人」に配慮するべきであった。
そのことに気がついて欲しい。

後編に続く。

最後までお読みくださり、ありがとうござりんした。


最新情報をチェックしよう!