『新型コロナウイルス感染に関する医療現場からの声(本音)!』

【医療現場の声を届けることが最重要情報!】

新型コロナウイルス感染症について、毎日テレビなどのメディアで報道(お知らせ)がなされています。
ですが、アチキもすでに指摘しましたが、欠けている大事な情報がありんす。
それは、「医療現場の報道」「感染した人(死亡を含む)の状況、心境の報道」です。
(もちろんマスコミに対して自粛が出ているのは承知していますし、感染者との接触は避けねばなりません。情報源に接触することが危険を伴うという特殊な事情がそこに横たわっています)

ここへきて少し医療従事者の報道が出てきましたが、アチキからするとまだまだ不満でありんす。

そこで神奈川県医師会副会長の宮川政昭氏が発信した声をJ-CASTニュースが伝えた情報をもとに、今回もの申すことにするでありんす!
(注:ここにある情報はJ-CASTニュースからの引用になります)

アチキは宮川副会長の発言に涙したでありんす。
正直、自分の気持ちを記事にして涙が流れることはありません。
ですが、宮川氏の言葉を引用するために、宮川氏の言葉に触れていたら、胸が絞めつけられるような悲しい気持ちになりました。
そして、泣けてきました。
長い文章の記事となりますが、どうか医療現場の医師たちの声がここにあると思って読んでください。

本当は、アチキはたくさん言いたいことがあるのですが、今回は極力アチキが言うべきこと以外は口をつぐみました。
代わりに宮川氏の言葉を読んでほしいからです。
宮川氏の言葉をじっくりと読めば、新型コロナウイルス感染と闘う医療従事者の苦悩感染対策の難しさが理解できると思います。

引用はすべてJ-CASTニュースからですが、一部誤字が見られますが、そのまま掲載(引用)してあります。

本記事を始めるにあたって、ほとんどのテレビ局が報道しない内容を含む医師の声を報道したJ-CASTニュースに敬意を表します!
素晴らしい!

【医療従事者からの情報発信の動機は?】

神奈川県医師会の宮川氏の言葉をアチキはかみしめて読みました。
そこで宮川氏が強く訴えていることは、「新型コロナウイルス感染症に関する報道でメディアが不安をあおっている」ということ、「医療現場の現実を知ってもらいたい」という二つの気持ち(意思)に集約できると思ったでありんす。

以下引用

「医療現場で本当に起きていることを誰かが伝えないと、医療者も患者も多くの人々も、戸惑ってしまうのではないかと懸念しました。画面で伝えられたことに私たちも一般の視聴者のように過敏に反応し、現場に戻って視聴者と同じような反応していた自分たちを、他の医療者にたしなめられるという事態に気が付き、反省したことがきっかけの一つでした。」

と、医療現場の声を発信した動機をあかしている。

【不安をあおるメディアに疑問を投げかけている】

宮川氏はマスコミの報道に対してこう苦言している。

以下引用

「専門家でもないコメンテーターが、まるでエンターテインメントのように同じような主張を繰り返しているテレビ報道があります。視聴者の不安に寄り添うコメンテーターは、聴いていても視聴者の心情に心地よく響くものです、不安や苛立ちが多い時こそ、慎重に考えてください。」

医療従事者から言うと、大事なことは「実際の診療現場の実情に即した意見であるかどうか」
なのだ。
だから、アチキは医療現場を取材・報道せよ、と言っているのだ。
それなくて本当に正しい報道はできないからだ。
正しい情報なくして、正しい判断はできないからだ

商店街や家庭内にある問題は、新型コロナウイルス感染症被害に付属する被害であり、被害の中心地は医療現場であり、感染と闘う感染者なのだ。
その次に来るのが感染しないように闘っている人達なのだ。

要するに、マスコミは二次被害ばかり報道している。
経済的影響に焦点を強くして報道しているということだ。

マスコミも視聴者も、そしてアチキのように個人のメディアで情報を発信する人も、TwitterなどのSNSで意見を言う人も、以下の言葉に耳を傾ける必要があります。
(アチキも含めてです)

以下引用

「第一線で活躍している医師は、現場対応に追われてテレビに出ている時間はありません。出演している医療関係者も長時間メディアに出てくる時間があれば、出来るだけ早く第一線の医療現場に戻ってきて、今現場で戦っている医療従事者と一緒に奮闘すべきだろうと思います。」

「もう1つは、新型コロナウイルスの報道、特にテレビのワイドショーの論調があまりにも一方的だったためです。児玉源太郎の『諸君は昨日の専門家だったかもしれん。しかし、明日の専門家ではない』という言葉があります。この新しい未知のウイルスに、本当の専門家はいないのかもしれません。すべてのことは本当に誰にもわからないのかもしれません。過去の類似のウイルスの経験で対応するしかないのは当然ですが、それのみですべてを語ろうとするのは危ういことです。それなのに、その後間違っていたとわかった事柄も訂正せずに、別の話をし続けるようなことがありました。そして専門家でもないコメンテーターが、まるでエンターテイメントのように、同じような感情的に主張を繰り返していたのです。実際に、コメントの内容が現場状況と異なっていることが往々にしてありました。コメンテーターの方々は実際の現場に足を運んでお話をしているのかと疑問を持ちました。レポーターの画面受けする取材をもとに、ただ遠くから見て、野次馬と同じように発言しているだけのようでした。」

「一部の報道は『危険なウイルスですね』『感染がどんどん広がっています』『あなたの近くにも感染者がいるかもしれない』と不安をあおって終わります。『もう少し落ち着きましょう。不安に思うかもしれませんが冷静に考えてください。どうすればいいか一歩立ち止まって考えましょう。報道する私たちも一緒に考えます』という言葉もほしかったと思います。」

「現場に対してもそうです。『なぜさっさと検査しないんだ』『全然対応が追いついていない』。クタクタになっている医療現場の人間を後ろから叩くようなことを言ってどうするのでしょうか。どの現場も大きな荷物を背負っています。報道がさらに荷物を背負わせるようなことをしたらどうなるのでしょうか。社会全体が大変な思いをすることの無いように、現場が背負っている荷物を、少しでも軽くする言動が増えてほしいと思うのです。できない原因があります。現場の人間だけでは解決できないことがあるので、その壁を一緒に壊してほしいのです。物資の壁。制度の壁。縦割り行政の壁。医療者だけでは社会の壁を打ち破れないのです。それは報道の人はすでに知っているはずです。」

「商店街の様子を報じるなら、『人だかりがある』ことを強調するのではなく、『食べ物がなくなるわけではないから2~3日分買えばいい。家族全員で買い物に出る必要もない。落ち着いて』と、人々が冷静になれるように語ってほしいのです。『老夫婦が手をつなぎ歩いている』のを見て、一緒に外に出なくてもいいだろうと非難できません。認知症をみる老々介護はそれを許さないのです。」

「加えて、『外出時は最低限どうリスク管理すればいいか』が重要です。『3密は避けて』だけでなく、どうすれば避けられるか。避けられないなら、どうすれば少しでも減らせるか。コメンテーターが提言していけばいい。ただダメではなく、非難するのではなく、対案を明示しなければなりません。もし明らかに対策がなにのであれば、本気になって一緒に嘆くしかないでしょう。」

「テレビの事情も分かります。視聴率を上げるため、あえて危険そうな場所を取り上げるのだと思います。ただ危機感をあおるような報道内容でいいのかどうか。社会貢献を詠うスポンサーの企業イメージが心配です。」

「危険性を強調すれば不安が募りますが、『軽症であれば大丈夫』と逆に居直る人もいます。両極端です。その際どさが視聴者受けが良いからでしょうか。1人が何かを言ったら『それは言い過ぎかもしれませんよ』とか『その点はもう少し協調してもいいですね』と、建設的な議論を積み上げていけば、もっと良い世の中になると思うのです。発生した現象を取り上げるだけではなく、『この場合どうすればいいか』と、対応の仕方を伝える提案型の報道が望まれるのではないでしょうか。」

「もちろん現場の医療者の対応を批判してもらって構いません。人間というものは完全ではなく、間違ったこともするからです。ですが、常に検証してほしいのです。毎日同じことを主張するのではなく、先日の発言は、改めて確認したところ間違いがありましたとか、そんなことがあれば現場の医療者は戸惑わなくて済みます。医療現場では、こうじゃないか、分かったそう考えてみよう、いや違った申し訳ない、じゃあこうしてみないかと、試行錯誤の毎日です。誰も知らないウイルスです。現場はそうやって動いています。それでないと確実に前に進むことができません。それを知ってほしい。メディアの方々も言いっ放しで終わらないでいてくれたらありがたいと思います。」

「今の日本は諸外国に比べ、死者数を大きく増やしてはいません。これは、医療者が現場で日々戦っているからです。専門家会議メンバーはじめ多くの専門家が、日本に適した対策を考え、進めているからです。色々な立場の人がこぞって自分の思い付きを競うように連呼しています。まるで人気取りのように。現実にすぐできないことをアピールして、それがいかに現場を混乱させているのかを理解していただけるとありがたいのです。もっと、現場の声に真摯に耳を傾けてください。お願いします。そのようなことをメディアも含めてしている最中でも医療現場では、少しでも多くの人を救おうと働き続ける医療者がいるのです。なるべく時間を浪費しないでください。一緒に集中して取り組んでください。」

【医療従事者が語る医療現場の状況は?】

以下引用

「医療関係者は、もうすでに感染のストレスの中で連日戦っています。その中で、PCR検査を何が何でも数多くするべきだという人がいます。しかしながら、新型コロナウイルスのPCR検査の感度(編注:感染者に陽性の検査結果が出る割合)は高くて70%程度です。つまり、30%以上の人は感染しているのに『陰性』と判定され、『偽陰性』となります。検査をすり抜けた感染者が必ずいることを、決して忘れないでください。」

「さっさとドライブスルー方式の検査をすればよいという人がいます。その手技の途中で、手袋や保護複を一つひとつ交換しているのでしょうか。もし複数の患者さんへ対応すると、二次感染の可能性も考えなければなりません。」

「正確で次の検査の人に二次感染の危険性が及ばないようにするためには、一人の患者さんの検査が終わったら、すべてのマスク・ゴーグル・保護服などを、検査した本人も慎重に外側を触れないように脱いで、廃棄処分しなければなりません。マスク・保護服など必須装備が絶対的に不足する中、どうすればよいのでしょうか。次の患者さんに感染させないようにするために、消毒や交換のため、30分以上1時間近く必要となります。」

「胸部レントゲン検査やCT検査を、もっと積極的にしないのは怠慢だという人がいます。もし、疑われるとした患者さんを撮影したとすると、次の別の患者さんを検査する予定となっても、その人が二次感染しないように、部屋全体を換気するとともに装置をアルコール消毒しなければなりません。その作業は30分以上、1時間近く必要となります。アルコールが不足する中、どうすればいいのでしょうか。メディアなどで主張する専門家やコメンテーターは、そのようなことを考えたことがあるでしょうか。」

「今もこの時も医療関係者は、コロナ感染の恐怖の中で戦っています。戦っている医療機関の医師や看護師や事務職員にも、子供や孫、そして親はいます。その愛する人たちに、うつすかもしれないという恐怖の内で、医療職という使命の中で戦っています。そして自分の子供が、バイキンと言われ、いじめにあうかもしれないという、悲しみとも戦っています。」

「医療従事者は『3密(密閉・密集・密接)』を避けられません。通常の日常診療では、患者さん日々接し、聴診器で胸の音を聞き、腹痛があれば触診します。こまめに消毒したり、マスクをきつめに締めたり、できる限りの感染対策は当然尽くしています。ですが、そのための医療物資も本当に足りません。マスクが足りません。アルコールも足りません。そして緊急時に使用する防護服(服とフェイスシールド)もありません。」

「一部の外国のように患者さんが病院の廊下に溢れかえる状態になってしまえば、年齢や持病の有無などで高度医療の提供を断念する『命の選択』を行わなければならなくなります。」

命を救おうとしている医師たち医療従事者に『命の選択』をさせてはいけません。
医療崩壊を防ぐことが新型コロナウイルス感染者を救うと同時に他の病気で苦しむ人を救うことに繋がるからです。

私たちはいま、新型コロナウイルス感染ばかりに意識がいきがちですが、それ以外の病気で命の危機にある人、重い病気で闘っている人、治療を必要としている人がいることを忘れてはいけないのです。

【医療従事者から見る新型コロナウイルスとは?】

以下引用

「本当の専門家がいません。本当は誰もわからないのです」

「若いから大丈夫という甘い考えを打ち砕く現実が迫っています。新型コロナウイルス感染症の、約7割が50代以下なのですが、死者の8割超が70代以上だったことが危機感を薄めてしまっています。若い人とて決して無敵ではありません。若い人でも何週間も入院させられたり、なかには重症になったり亡くなったりする人もいます。乳幼児も3%発症し、そのうち10%は重症化し、人口呼吸器を装着しなければなりません。しかも乳児に多いのです。得体が知れないウイルスは、あらゆる可能性を秘めた将来のある若い人の人生を奪うのです。」

新型コロナウイルス感染症に関しては、医師も医療関係者の誰も正しい知識もなく、経験もないのが実情なのです。
また、自分が若いからと新型コロナウイルスを侮って安易に行動してしまう人は、回り回って医療従事者の足を引っ張っていることに気がついてください。
大事なことは、感染から発症まで5~14日かかるということです。
つまり、気が付かずに(潜伏期間中に)感染を拡大させてしまうことが起きているのです。
症状が出てから自粛したり、検査するようでは対策として遅いし、間違っているのです。

【医療従事者が求める新型コロナウイルスの対処行動は?】

以下引用

「軽症の人は、自宅や宿泊施設に移って静養や療養してもらい、少しでも新型コロナ感染症の人のために、病院のベッドを空けるなどの素早い行動が必要です。そして、新型コロナ感染者の治療が終わり、社会復帰しても良いというときこそ、素早くPCR検査をやって確認し、ベッドを開けなければなりません。そのためにも、少しでも時間が必要なのです。医療機関に時間をください。コロナ感染者の増加を、少しでも緩やかなカーブにしなければ、医療は崩壊します。」

「新型コロナウイルスの感染者が増えれば増えるほど、感染症で命を落とす患者さんが増えるだけでなく、いつもなら助かるはずだった患者さんも命を落とすことになるのです。医療崩壊を防ぐためには、とにかく感染者を増やさないことに尽きます。」

【医療従事者も被害を受けている】

以下引用

「相模原の病院(編注:新型コロナウイルスによる国内初の死亡者が一時入院。その後看護師の感染も判明していた)に、差別の言動が寄せられたのです。そこに勤める女性看護師は、子どもが『バイ菌』扱いされたり、子どもの保育園から『登園しないで』と言われたり、家族が会社から『出勤するな』と言われたりしました。病院への問い合わせでは電話口で叱責され、涙を流す事務職員もいるほどでした。病院の前のバス停に『バスを停めるな』と乗客から言われました。どの医療従事者にも家族もいますし恋人もいます。現場で医療行為をした後に、どんなに体を清潔にして、感染しないように心がけても、一抹の不安は残ります。今でも聞きます。『家に帰っても自分の子どもが感染しないか心配です』と。だから、窓ガラス越しに子どもと手を合わせただけで、そしておどけた姿を見せて子供が笑ってくれたのを喜び、また現場に戻っていく。『スマホでは子供のなまの反応を確かめられない』と語る医療者もいました。もちろん家族に会って、子供の顔を見て、一緒に温かい物を食べる医療者もいます。それでも『ぎゅっと抱きしめることはできなかった』という声が寄せられます。そういう医療従事者が実際にいるのです。本当に切実です。」

宮川氏は「登園を拒否されたこと」「出勤を断られたこと」を否定的に述べていますが、これは仕方がないと思われます。
幼稚園側も会社側もそれぞれの人たちを守らなければならないからです。
ただ、“言い方”ですね。
それと気持ちに軽蔑感があるかどうかですね。

つまり、新型コロナウイルスに感染してしまった人に対して、慈しみの心を持つのか忌み嫌う心を抱くか、の問題です。
こうした状況ではその人のもつ人間性が露呈します。
大切なことは自身と周りの人を感染から守ると同時に他の人の状況や気持ちを理解してあげることです。
自分たちだけ良ければいい、というエゴイストな考えはいけません。

【医療従事者からのメッセージ!】

以下引用

「もう少し、もう少し我慢して下さい。四週間、何か月いや一年以上になるかもしれません。病と闘って生きていたいと、つらい治療と闘っている患者さんもいます。生きていることだけでも幸せなのだと、ぜひ、ぜひ思ってください。安易に外出して、密集、密閉、密接のところには絶対行かないでください。あなたの行動が、新しい患者さんを作ってしまうかもしれません。」

「お願いします。私たち医療従事者も、ストレスや恐怖に我慢して戦っています。お願いします。皆さんはぜひ、我慢と闘って、我慢してください。戦いは、長くてつらいかもしれませんが、みんなで手を取り合っていきましょう。」

「新型コロナウイルスは、感染症を引き起こし、人間を死に至らしめます。そのことはとても恐ろしいことです。しかしながら、デマも、買い占めも、差別も、誹謗中傷も、不安をあおることも、人間の恐怖心が生み出していることです。怖いことは感染の恐怖から、不安や不満が蓄積し、不当な差別や、不毛な対立が生まれてしまうことです。最も怖いのはコロナではなく、人間のこころです。」

「私たち医療従事者も、ストレスや恐怖に我慢して戦っています。お願いします。皆さんはぜひ、我慢と闘って、我慢してください」

この重いメッセージを一人でも多くの人たちが受け止めることを期待し、望みます。
「自粛疲れ」「自粛することが辛い」などと自分勝手で自己中心的な発想は許されません。
いまは個人の幸福と集団の幸福が密接に結びついているからです。
個人の勝手な行動は、どこかで誰かに負担をかけたり、誰かに迷惑をかけたりしていることになるからです。

【自粛を軽く見る人たちにもの申す!】

以下引用

「連日の報道で、親も子供もストレスで大変ですとマスコミが取り上げています。だから、ストレス発散のために、外出したいという気持ちもわかります。爆発的な感染拡大に若い人たちに危機感はないのは当然かもしれません。若い人は感染しても比較的軽症ですむとの報道があるからです。しかし現実は違います、若い人でも、重症化して一定数以上は死亡するのです。現実をみつめてください。」

「もし、自分の知り合いの人がコロナ感染症で亡くなられたらきっと哀しいはずです。そして、亡くなった人にうつしたあなたが、入院せずに軽度ですんでも本当に喜べるでしょうか。不用意に動き回るということは、その可能性を増やしてしまうことなのです。今は我慢する時なのだということを、ぜひ理解してください。出来るだけ冷静に、そして自分を大切に、そして周囲の人を大切に考えてください。」

4月19日(日)、天気が良く気温も高かった事で湘南などの海岸に多くの人が集まりました。
本日(21日)の正午、アチキが昼ご飯を食べながらテレビの報道を観ていると、平日なのにも関わらず湘南には多くの人が海に入りサーフィンなどを楽しんでいます。
週末のときには明らかに他県である「大宮ナンバー」「品川ナンバー」の車が湘南で確認されています。
この人たちには倫理と責任感がない、と言わざるを得ない!

アチキは個人の情報発信者なので自分の責任にて、言葉を発しています。
このブログは世の中を良くするための言葉を綴るものです。
ですから、遠慮なく容赦なく発言します。
「いい加減にしなさい!」
我慢して自粛している多くの人たちに対して恥ずかしくないのですか?
自分のことだけ考えるエゴ丸出しの生き方を改めなさい!

基本的に官僚と現職の政治家に対して、アチキは辛口です。
しかし、この人類が経験していない未知のウイルス感染被害に対して政治家、官僚、公的機関、保健所、医師、看護師などの人たちは、感染被害を防ぐために必死に働いているのですよ。
また、ライフラインを守る職業の人たち、仕事をどうしても休めない人、職場でないと仕事にならない人たちは、自身も感染してしまう恐怖と戦いながら生活しているのです。

医療従事者に感染者が続出したら、厚生労働省の職員に感染が広まってしまったら、保健所で働く職員が次から次へと感染により倒れていったら、どうするのですか?

志村けんさんの家族のように、家族の死を看取ることも死体に触れることもなく荼毘に付すという悲しみに耐えている人もいる。

家族が感染してしまい、入院、自宅待機などで仕事に行けなくなった、家族の命の心配、収入が減ることで生活の心配をするなど多くの不幸が生まれているのです。
どうして自分だけ感染しないだろうと、自粛しないのですか?

こうした悲しみや不幸を一つでも無くすための自粛なのです。
自粛とは「移動するな」「生きていくために必要でない外出はするな。自宅に居ろ!」
ということです。
なぜ、湘南の海でレジャーを楽しめるのですか?
信じられません!

「俺は大丈夫だ」
なんてなにを根拠にいえるのですか?
感染した人の99.9%は自ら感染するとは思っていなかったのですよ!
絶対に感染しないと科学的に証明できていないのですから、自粛することは「お願い」ではなく「義務」であると受け止めなければなりません
それが“人として”の正しい判断であり、行動です。

週末出かけた人は反省しなさい!
自粛しなさい!

【新型コロナウイルス報道に見るマスコミの問題点】

宮川氏の言葉にあるようにマスコミには問題点がたくさんあります。
それは新型コロナウイルス関連の報道に限らず、マスコミの本質、体質から発生しているものです。

〈マスコミの問題点は〉

「報道の間違いを訂正せず、反省もしないこと」
「マイナス情報を大きく報道することで視聴者の注目を集めようとすること」
「マスコミの体質自体が自然と不安をあおる姿勢(報道など)になっていること」
「新型コロナウイルス感染症に関して言えば、専門家などの正しい情報に耳を傾けることなく、コメンテーターが勝手な意見を言っていること」
「基本的にマスコミは“言いっ放し体質”に染まっています」

言論の自由はあります。
ですが、間違いがあれば謝罪や訂正が必要なのは小学生でもわかることです。
言いっ放しということは無責任です。

ですが、マスコミ事業というものは、「マイナス情報からマイナス情報を渡り歩く」ことで成り立っています。(報道に関して)
それでは、言論の自由とは言えません。
自由には責任がともなうからです。
だから言いっ放しということはマスコミ以外では見られない現象です。

個人で情報を発信しているアチキだって、間違いがあれば訂正するし、謝罪もします。
情報の扱いには注意しています。
断定的に述べてよい情報と未確認の情報を分けて発信しています。

テレビ局などのマスコミは広告収入を稼ぐための営利目的の体質が染み込んでいます。
マスコミも株式会社である以上営利を目的とすることはしかたがありませんが、メディアとしての使命があることを忘れてはいけません。
世間に大きな影響力を持っていることを自覚して責任を取らねばなりません。

あれもこれもと、あらゆる情報を取材し報道することは不可能です。
ですから、「なにを発信すべきか?」「なにを報道すべきか?」を正しく認識することが大切です。

そして、それは「それによって世間の人がどう受け止めるだろうか?」「それによって多くの人がどう思い、どう行動するようになるだろうか?」ということをもとにしなければいけません。

方向性は「視聴者を混乱させないこと」「視聴者の不利益にならないこと」「視聴者の幸福増進に貢献すること」こうした倫理を根本に持たなければいけないのです。

公平、公正、平等な報道であることは大前提です。

【マスコミの仕事・使命についてもの申す!】

「なにを報道するか?」「なにを報道しないか?」
「どんな情報を取り扱うべきか?」「どんなことを知らせるべきか?」
この選択をなぜ間違えるのか?

はっきり言おう!
マスコミには倫理がないからだ!
テレビ局を中心としたマスコミ各社には「哲学」がない
ましてや「宗教観」もない
道徳観さえ危ういことも多く見受けられる。

それを当のマスメディア従事者が全然気がついていない。
疑問にさえ思っていないふしがある。
これがマスコミの最大の問題点です。

【ご意見番の呼びかけ】

安易な考えは捨ててください。
私だけは大丈夫だろう、という発想はしないでください。

政府の対応にはアチキは大いに不満でありますが、自粛とは「移動を極力減らす」「人との接触を極力減らす」ということです。

天気が良いから外出する。
若いから大丈夫。
などと無責任な行動が、真面目に自粛している人にストレスを与えていることに気がついてください。

人間はひとりでは生きていけません。
多くの人が社会の中で存在するからあなたは生活できるのです。
多くの人に感謝して生きることが人間として正しい生き方です。
決して自己中心的な発想で行動してはいけません。

アチキは安易に外出している人が「自粛とは他人への愛でもあり、人としての義務である」ということを自覚してくれることを強く望みます。

お読みいただき、ありがとうござんした!


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