『ツイートのスクショは著作権侵害の裁判にもの申す!【後編】 ~スクショツイートは表現の自由と言論の自由を担保するために認めるべき!~』

まずは『【前編】スクショツイートは著作権侵害であるかを検証する!』をお読みください。

この問題の改革を提示する!(ご意見番の見解)

ここからはほぼご意見番の独自見解となります。
よって、裁判所の見解とは大きく違っています。
なお、アチキの評価、意見は忌憚ない一利用者としての見解です。
その点、ご了承ください。

《裁判の注目すべき争点とは?》

弁護士ドットコムニュースでは争点は以下の2つだと指摘しています。

抜粋引用

「1つ目は、『X氏のツイートに著作物性があるか』、2つ目は、『X氏のツイートのスクリーンショットを添付したツイートは、著作権法上で許される引用に当たるか』です」

《ツイートに著作物性があるか?》

1つ目の問題、「X氏のツイートに著作物性があるか」を論じます。
再度、X氏のツイート及び裁判所の評価を引用します。

抜粋引用(X氏ツイート)

「@C アナタって僕にもう起訴を起こされてアウトなのに全く危機感無くて心の底からバカだと思いますけど、全く心配はしません。アナタの自業自得ですから。」

抜粋引用(裁判所評価)

「140文字という文字数制限の中、原告に訴訟を提起されたにもかかわらず危機感がないと思われる特定のユーザーの状況等につき、『アナタ』、『アウト』、『バカ』、『自業自得』という簡潔な表現をリズム良く使用して嘲笑するものであり、その構成には作者である原告の工夫が見られ、また、表現内容においても作者である原告の個性が現れているということができる」

はっきり言います。
これは「著作物とは言えません」

〈X氏のツイートが著作物と言えない理由〉

理由1

まず、X氏のツイート(文章)に独自性があるかと言えば、‟無きに等しい“と言えます。
これを独自性があると認めるならば、イジメっ子の侮辱発言(イジメ発言)や、嘘つきの虚言にも独自性があると認めて、社会的に許容しなければならなくなります。
裁判所は「アナタ」「アウト」「バカ」「自業自得」などの語彙を使用し(簡潔な表現)、構成に工夫が見られ、個性が現れている、とありますが、「アナタ」「アウト」「バカ」「自業自得」などは広く世間で一般的に使用されている表現であり、独自の表現というには無理があり過ぎます
個性的というには無理があり過ぎます。
こうした文章は広く世間ではよく見られるものです。
ですから、創造的な著作物とするには、あまりにも無理があり過ぎます
よって、ご意見番はX氏のツイートを著作物と認めません。

理由2

重要なことはX氏のツイートだけではなく、ほぼTwitter上のすべてのツイートが著作物として認められるのか? という問題を論じます。
これは「著作権法第10条第1項」で比較すれば明確です。
著作物と認めるには「小説」「脚本」「論文」「講演」「音楽の著作物」「絵画」「版画」「彫刻」に匹敵する必要があります。
Twitterのツイートは140文字と制限があります。
ですから、まず言えることは、よほど連続的にツイートを続けなければ非常に短い文面でしかない、ということです。
非常に短い文章が「小説」と同等ですか?
非常に短い文章で「論文」と同等の内容を有していますか?
非常に短い文章で「絵画」と同等の芸術的価値を生じさせますか?

ツイートが「著作権法第10条第1項」に該当すると思われるのは、「論文」が一番近いと思いますが、140文字の論文を論文と呼べますか?
だったら、全世界に論文が溢れすぎていて、著作権問題が星の数ほど発生していることになります。
論文には通常「序論」「本論」「結論」があります。
また、「各論」の展開と「総論」があります。
そうした構成がありますが、Twitter上の140文字でそれを構成できますか?
どう考えてもTwitter上のツイートが著作権を有する著作物と認めることには無理があり過ぎます

理由3

裁判所の判定には「嘲笑するもの」とあります。
X氏のツイートは、内容もニュアンスもA氏とB氏を悪く評価するものです。
アチキは、この文章から誹謗中傷に近いニオイを感じました。
他人を「嘲笑する文面」を正当な著作物とすることは社会に混乱をもたらすだけです。
「正当な批判」と「相手を陥れる嘲笑や悪口」は区別されるべきです!
よって、X氏のツイートは著作物とは呼べない、というよりも呼ぶべきではありません。
こうした他人を「嘲笑する文面」を著作物として認めてしまえば、他人に対する誹謗中傷や名誉毀損に正当性を与えてしまいます。
特定の人を嘲笑する書籍が出版されても、文句が言えなくなります。
それは被害者を増やし、加害者の悪事を正当化させるだけです。

《X氏のツイートのスクリーンショットを添付したツイートは、著作権法上で許される引用に当たるか?》

先に論点に関係する引用をいくつか提示します。

抜粋引用1

「ウェブサイト上の情報を転載しないという利用規約に同意をしていたが、それに違反して転載をしたというケースでも、規約(契約)違反の問題と著作権法上の引用に当たるかという問題は別問題で、引用の成立が一律に否定されるわけではないという解釈が一般的です」

抜粋引用2

「しかし、今回の裁判所の判断は、規約違反のみを理由にして一律に引用の成立を排除しているに等しく、このような一般的な解釈とも整合しないように思われます」

抜粋引用3

「スクショツイートは、投稿が削除された場合ブロックされた場合でも内容が理解できるようにするといった目的でおこなわれることも多いようであり、このような実態には目を向ける必要があるのではないでしょうか」

〈スクショツイートが引用に当たらないとする判断(判決)に異議をとなえる理由とは?〉

まず、はっきりと言っておきますが、アチキはスクショツイートを認めるべきだ、という立場を取っています。
ただし、それは‟条件付き“です。
条件とは、「ブロックされている状況」「問題のツイートを削除されて不利な状況にならないため」です。
引用ツイートが可能ならばその機能を使用することが大前提です。

理由1

ニュース記事にあるように「規約(契約)違反の問題と著作権法上の引用に当たるかという問題は別問題で、引用の成立が一律に否定されるわけではない」という論点を裁判官は無視しています。
もっとはっきり言えば、裁判官の見解は‟争点“をすり替えています。
別の裁判官なら違う見解、違う判決がでる可能性が十分にあります。
「法」とは、最高法として「憲法」があり、その下に「各種法律」があり、さらに「条例」などが存在しています。
その法則はいずれも「上位概念(上位法)が優先する」ということです。

つまり、著作権法とTwitter社の規約では著作権法が優位となります。
ですから、著作権法で解釈するのか、あるいは著作権法を含めて解釈するのか、という点とTwitterの規約のみで解釈するのかは大きな法的な違いが発生します。

今回の裁判所の判決はTwitterの規約を基にして判断していますので、そのこと自体が法的判断の大きな問題です。
Twitter社の規約違反は、Twitter社が行うべきものであって、Twitterの中だけで有効なものです。
規約違反のみを理由にして一律に引用の成立を排除する」することは上位法を無視することと同義です。
それを広く一般論とするには法的根拠がありません。
今回の裁判では、Twitter社の規約(契約)違反の問題と著作権法上の引用を明確に区別していないのです。
その理由はTwitterなどの‟SNSに疎い裁判官の能力の限界“から来るものです。
要するに「小さなもの差しで大きなものを測るな」、ということです。

理由2

一番危惧すべきことがあります。
多くの場合、スクショツイートが利用されるケースでは、「相手からブロックされているから批評の基になるツイートを提示するためにスクショを利用している」また、「こちらを誹謗中傷したツイートを証拠として残す」、「ツイートを削除されても批判(論争)の根拠となる文面を残している、そして必要なときに使用している」という点が、失われてしまうことです。

Twitterには「ブロック」「ミュート」などの機能があり、論争したくない相手と接触を避けたり、見たくないツイートを見ないようにする機能が備わっています。
それは利用者に不快感を与えないため、利用者を不当な人間から守るため、誹謗中傷されることから守るためにあると思われます。
その点は、良い意味あいを持っていると思います。

しかし、その反面があります。
それはその機能を‟悪用するケース“です。
例えば、誰かを根拠のない情報で誹謗中傷したとき、された方は抗議します。
その抗議を不当だ、自分を攻撃していると判断した人は相手をブロックします。
また、ツイートを削除してしまうかもしれません。
すると、根拠のない情報で誹謗中傷、名誉毀損された側は対抗する手段がなくなってしまいます。
削除されたら誹謗中傷、名誉毀損の証拠すら失ってしまいます。
これは「悪事をする者が得をするシステム」であり、「守るべき利用者(対象者)が正当な抗議ができないシステム」となってしまうのです。

これは同時に「間違った見解を批判する正当な議論」の機会を奪うことに繋がります。
つまり、行き過ぎた保護は、言論の自由及び表現の自由、抗議する自由を奪うことになってしまうのです。

《「対抗言論」は憲法の「言論の自由」を守るために必要》

言論には「対抗言論」という法理があります。

Wikipediaから引用

「言論などの表現活動について安易に侮辱や名誉毀損による民事責任、刑事責任が成立すれば、表現の自由の保障が阻害され、自由な表現活動に対する委縮効果が生じるという問題意識を背景として、両者の調和を図る観点から認めるできとされる法理である」

これは、相手から言論(ツイートなど)によって誹謗中傷されたり、名誉毀損被害を出されたり、風評被害を出されたりしたときに対抗する手段として「言論において対抗すべき」という法理です。
つまり、「言論には言論を持って対抗することは許されるべきである」ということです。
悪質な言論に対して対抗する言論が封じられ、名誉挽回する機会が奪われるならば、それは憲法で保障されている「言論の自由」を奪うことになる、ということです。
ですから、安易に根拠なく相手を「ネットストーカーだ」「誹謗中傷だ」などと言って言論を避けるということは、相手の正当な言論の自由を奪っていることにもなるということです。
悪質な表現や根拠のない虚偽、侮辱する言葉等がなければ言論において相手の話を聞くべきなのです。
それをしないで一方的に相手の対抗言論を封じることは憲法が保障する言論の自由を奪っていることにもなるということです。
自分に言論の自由があるならば、相手にも言論の自由があるということです。

Twitterを使用している方でもこの「対抗言論」を理解していない方がいます。
自分の意見を相手が否定してきたから、自分の考えに文句を言ってきたから、それが即侮辱発言や名誉毀損発言になるわけではないのです。
議論となって感情的に言葉を発することもあるでしょう。
ですが、それがヒートアップしてしまい、ときには相手に言い過ぎの表現をしてしまうことや人格批判になることもあるでしょう。
しかし、それが論争内容と関係がある限りにおいては「不当」であるとはならないのです。
自己の名誉毀損を図るために辛辣な表現を使用しても、それが即「不当」であるとはならないのです。
この点を誤解して、何かあれば即「ネットストーカーだ」「誹謗中傷している=違法だ」と騒ぐ人がいますが、法解釈などを曲解せずに正しく理解することが必要かと思います。

《公正な慣行を考える》

『慣行』とは何か?
慣行=「古くからの習わしとして行われていること」「ふだん、習慣として行うこと」(goo辞書)

現実的に見るならば、あるいは使用実態として見るならば、Twitter上でのツイートのスクショツイートは多く使用されてきています。
つまり、使用実態が慣習化しているということです。
ですから、今回の裁判は真逆の価値判断をしたことになります。
それはなぜか?
裁判官たちが‟SNSに疎い“からです。
おそらくTwitterなどやっていないのでしょう。
自分たちが使用したこともなく、興味も関心もないTwitterの使用実態を知らないので杓子定規にしか判断できなかった、ということです。

ですから、今回の裁判所の判定は「実際のTwitterの使用実態を無視したもの」と言えます。
それは「公正な慣行」に反する判断だと言っておきます。

《コメントなしのツイートの注意点》

補足として付け足します。

誰かを誹謗中傷する手段として、相手を誹謗中傷する情報(ブログなど)を埋め込み引用しかしない投稿(ツイート)があります。
これは引用する内容によっては誹謗中傷行為、または名誉毀損行為となんら変わりありません。

Twitterとは「つぶやき」なので、自分の言葉のない引用ツイートはTwitter本来の使用方法ではありません。
Twitterの趣旨に反しています。
やはり、その人の言葉が「主」であって、引用はその主張をするための「従」でなければならないのです。
「コメントの無い埋め込み引用」はこの原則に反しています。

つまり、「コメントなしの誰かを誹謗中傷する情報だけを埋め込み引用するツイート」は、以下の法理によって引用が成立しないのです。
「自らの言及が『主』といえる程度の質と量が必要で、引用情報はあくまでも『従』でなければならない」

また、コメントなしの引用は内容に賛同している、つまり、「引用した内容がツイートした人の意見とみなされる」、となります。
ですから、誰かを誹謗中傷する内容を引用し、なおかつ投稿者のコメントがないツイートは引用要件を満たさないだけではなく、投稿者が誹謗中傷や名誉毀損したことになります。

重要なことは、「正当な批判は認められるべき」「自衛の手段として対抗言論は必要不可欠」であり、「悪質な誹謗中傷、名誉毀損は内容で判断するべき」であって、言論の自由はよほどのことがない限り認めなければならない、ということです。

表現の自由と言論の自由を守るSNSの提言!

《今回の裁判の意味を勘違いしない》

今回の裁判所で勘違いをしている人がいるようです。
今回の裁判(地裁)は「ツイートのスクリーンショットは著作権侵害に当たるかどうか」という判断を基に「情報開示を求める」ことが目的の裁判です。
情報開示を求めるための判断として「ツイートのスクリーンショットは著作権侵害に当たるかどうか」を見極めている裁判です。
この点を誤解している方がいるようです。

つまり、「ツイートのスクリーンショットは著作権侵害」になるかどうかを判断して判決(罰するかどうか)した最終の裁判ではないということです。
(それは今後の展開です。事実NTTドコモは控訴している)
同じ意味を持ちますが、裁判としては別物ですので、その点理解したほうがいいでしょう。

《言論の正邪は内容で判断するべき》

今回の問題の重要な部分は、「ツイート(言論)の中身を判断していない」点にあります。
Twitterの規約や著作権法などの法とシステム的なことだけに焦点をあてるだけで終わっていて、言論の中身の正邪の判定をしていない点にあります。

言論には「正」も「邪」もあります。
それを見分けるのは至難の業ですが、それを考慮しないことは、結局「邪の言論」の氾濫を社会に許すことに繋がります。

その言論(ツイート)は、根拠なく他人を誹謗中傷する内容なのか?
その言論(ツイート)は、作り話(嘘)による虚偽の拡散の内容なのか?
その言論(ツイート)は、他人を陥れるためだけの誹謗中傷発言、名誉毀損発言なのか?
その言論(ツイート)は、自衛のための反論なのか?
その言論(ツイート)は、社会で許容される批評なのか?
その言論(ツイート)は、意見の相違を話し合う正当な論争なのか?

こうしたことを言論(ツイート)の中身で判断して正邪(やっていいか、やってはいけないか)を判断することが社会を正すために必要です。

リンク先

『弁護士ドットコムニュース』
「スクショ画像のツイートは『著作権侵害』東京地裁判決はユーザーにどんな影響がある?」

最後までお読みくださり、ありがとうござりんす。


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