『ソーシャルメディアの危険性を警告する!』

【日常生活に入りこんだソーシャルメディア】

いまや既存のメディアから主役の座を奪いつつあるのがソーシャルメディアでしょう。
Facebook、Twitter、インスタグラムなどのSNSは現代人にはなくてはならないものとなっています。
特に若者にはSNSのない世界は想像できないでしょう。
生活の一部であり、もしSNSがこの世からなくなってしまったらどうしていいか分からない人も多いでしょう。
それは“依存“と呼んでもいい状況とも言えます。

SNSは、世界を変えました。
古いメディアの特性は「一方通行である」「大資本がメディアの発信源となる」「個人は情報を受け取るだけ」ということでした。
それがFacebook、Twitterなどのソーシャルメディアの登場によって、名もない人たちが自分の言葉を発信し、繋がりあい、意見や感じたことなど共有し合う。
双方向のコミュニケーションツールとなっています。

大企業が一方的に与える情報から、個人が個人と繋がりながら、個人が個人の情報を発信する世界へと変貌していったのです。

どこにいても即時に誰かと繋がれる。
資本も資格もなにもなくても一個人が情報を発信できる。
これは歴史上で大きな変革と呼んでいいでしょう。

【ソーシャルメディアの危険性】

ソーシャルメディアは諸刃の剣なのです。
日本国内において、ほとんどの人にとっては便利で面白くて、自分の自己実現につながるものであり、他人と繋がるコミュニケーションツールとしてしか捉えていないでしょう。

ですが、世界中に目を向けるとソーシャルメディアがテロや暴動に使用されたり、特定の民族を虐待するために使用されたりしています。
また、日本においてもあるようにソーシャルメディア上で特定の人をイジメたり、精神的苦痛を与えたりすることが起きています。

これは何かがおかしい。

【究極の大衆心理操作兵器】

第二次大戦後、CIAによって行われた洗脳実験がMKウルトラ計画です。
その洗脳実験が行われたのはダヴィストック研究所。
このダヴィストック研究所に資金援助していたのがロックフェラー財団だったのです。
その後もマインドコントロールの研究がなされた、究極の心理兵器が生み出されました。
それがFacebookだと言われています。

ソーシャルメディアを運営する企業は、ソーシャルメディア上で起きるすべてをコントロールしようとしています。
フェイスブックのユーザー数はどんな大国の人口より多く、その検閲は国家権力なみの力を持っています。

【Facebookの危険性】

Facebookは、クリック一つでなんでも投稿できるから、簡単に人々を敵味方に分けてしまう危険性があります。
“断片的な情報”で何かを知ったつもりになって、“すぐ感情的になり流されてしまう”。

これはFacebookの元社員(プロジェクト・マネージャー)が語ったことです。
「自分たちの力で世界をつくり変えようと意気込んでいました。エンジニアが運営するIT企業だから製品やインフラ規模、ユーザーの使い勝手のことは考えます。でも、メディア企業という自覚はなく、内容や管理者としての責任など最初から考えていなかった」
「コンテンツに関する責任を問われたら、自分たちはアルゴリズムを作ってプラットフォームを構築し期待に応えただけだ。投稿には関与しないと答えるでしょう」

FacebookやTwitterなどのソーシャルメディアの欠点は、怒りを増幅させてしまうことです。
一人が発した怒りが、大勢の人に飛び火する
こうした動きを最も歓迎するのは国家転覆をはかるテロリストたちなのです。

ソーシャルメディアに限らず、民主主義の世界であるならば「異なる意見を認める。異なる意見を聞く。議論する」ということが大前提としてあります。
ですが、それが単なる個人攻撃だったり、特定の人や組織を貶めることを目的としたり、精神的苦痛を与えることはルール違反なのです。
ですが、Facebookなどのソーシャルメディアでは、そうした誹謗中傷や嘘をたれ流し、怒りや恨みを増幅する役割をしてしまっているのです。
(もちろんそれだけではありません)

つまり、ソーシャルメディアは楽しみや言論の自由、表現の自由を開放してくれると同時に誰かを深く傷つけたり、犯罪やテロを増長してしまう道具でもあるのです。

ソーシャルメディアの運営者は、世界中に憎悪に溢れるようにしてしまった責任の一面があることを真摯に受け止めるべきです。
人々の対立に拍車をかけてしまっていることを真剣に受け止めて、これからのソーシャルメディアを考えなければなりません。

互いの理解が深まるような投稿よりも悪意に満ちた攻撃的な投稿ばかりがもてはやされ、増幅していくようなシステムを構築してしまったのではないか、ということです。

元Google社デザイン倫理担当者は、こんな発言をしています。
「単なるテクノロジーというツールであり、使う人間がしっかりしていればあおられることはない。そんな考えは間違っています」
「ソーシャルメディアには一つの傾向がある。目指すゴールがあるんです。それはできる限りたくさんの人の注意を引くこと。数十億人に効率良く働きかけて注意を引き、飽きさせないことです」
「注意を引くだけでなく、投稿をシェアさせるためには激しい怒りが効果的だと分かっています。意図的かどうかに関わらずFacebookはそこから利益を得ています。ソーシャルメディアを怒りで満たしたほうがそれを制限するよりも多くの注目が集まる。ひたすら対立や怒りや恐怖をあおっています」
「私たちは日々、人間の醜さを突きつけられているんです」と。

Facebookは新興国で急激に成長しています。
アメリカで開かれた聴聞会で、ある議員がFacebookの法務責任者に問いかけます。
「Facebookは民主主義に反する使い方を防ぐよう、特に人命を守るための対策を講じていますか?」
という質問に対して、
「我々には透明性を高める義務がある。一方で憎悪や暴力を賛美する道具になることを防ぐ責務もあります」
どうでしょうか?
アチキには利益を優先しているようにしか見えませんね。

「やつらを皆殺しにしてしまえ!」

実際にあったFacebookのアカウントから発せられた投稿です。
そのアカウントには40万ものフォロワーがいます。
これは大衆扇動にあたります。
殺人を指示する発言と取れるのではないでしょうか?
こうしたことがFacebookの世界で起きているのです。

もちろん日本のユーザーのほとんどは、正しく個人的な楽しみや利便さを求めて使用していると思いますが、世界中にはそうでない国や人々が存在しているのです。

これはソーシャルメディアだけでなく、古いメディアであるテレビ局などのメディアにも共通する点です。
つまり、ショッキングな事件や民衆の怒りに火をつけることで多くの注目を集めることを目的としている。
それは人間が良いことよりも悪いこと不幸なことにより多く興味や関心を寄せてしまう傾向を持っていることを利用しているのです。

だから、多くの注目を集めることが出来るショッキングな事件や芸能人の不祥事ばかり扱うようになるのです。
世の中を暗いニュースで包み、人々の怒りを増幅させ、人々の理解を深めることを放棄し、対立を生み出し増長する方向に舵を切っているのです。

例えばミャンマーではインターネット=Facebookです。
Facebookは使えても、Eメールの意味さえ知らない人が殆どなのです。
人々はFacebookで嘘の情報を拡散しています。
嘘が嘘を呼び、そしてまた嘘が広まる。
1時間で何千回もシェアされ、やがて嘘は真実として認識される。
そうした危険性がFacebookなどのソーシャルメディアにはあるのです。
何が真実で何が嘘なのか、現時点のソーシャルメディアでは非常に分かりにくいのです。
むしろ、ソーシャルメディア上では、正直(真実)よりも嘘のほうが力を持っているように見えます。

はっきり言いましょう。

Facebook、Twitterなどのソーシャルメディアには倫理がない

より拡散力のあるプラットフォームを作るという技術的な面のみが優先されている。

人類の大切な知恵である、「嘘をつかない」「人を傷つけない」「争わない」という人間の良心が不足しているのです。

「Facebookは大衆の心理操作を目的として作られた」

これは関係者が公に認めていることです。

Facebookを創業した人物はマーク・ザッカーバーグ。
本名はジェイコブ・グリーンバーグ。
実はデイヴィット・ロックフェラーの孫と噂されている人物なのです。
思い出してください。先の記事で書いたように洗脳計画に資金を提供していたのはロックフェラー財団なのです。

マーク・ザッカーバーグはこう発言しています。

「Facebookはこれまで作られたもののなかで最も強力な大衆操作ツールだ」

と。

【表現の自由とは】

アメリカのある女性アーティストが書いた裸のトランプ(大統領)の絵がFacebookに乗り、拡散し、本人(トランプ大統領)が演説でそのことに言及するということが起きて話題となりました。

その絵は、裸のトランプの絵なのですが、ペニスをわざと小さく描いたものだったからです。

この絵は、フィリピンのモデレーターによって削除されました。
理由は、「トランプの人格を貶めているから」というもの。

この絵描きのFacebookは閉鎖され、他のソーシャルメディアも全部使用できなくなりました。

裸のトランプ大統領の絵(局部を意図的に小さく描いた絵)はアートなのか、それともポルノや人格を貶める有害なものなのか?
表現の問題と解釈の問題がそこに横たわっています。

ただ、いくら表現の自由だからといって他の誰かを傷つけたり人格を攻撃したり、貶めたり、することは自由とは呼ばないのです。
それを自由とは呼んではいけないのです。

もし、何を言ってもいい。
何をしても自由だと認めてしまったら、人間が人間同士で憎しみあう世の中になってしまうでしょう。

自由とは人間の良心から外れない枠の中で許されることなのです

わたしたちは他人との有効なコミュニケーションツールとしてソーシャルメディアを使用すべきであって、怒りや恨み、妬みを増幅し、嘘を拡散するための道具として使用すべきではないのです。

【世直しご意見番がもの申す!】

ソーシャルメディア運営者は、善と悪を分ける倫理を持て!

ソーシャルメディアを使用する人は、「嘘をつかない」「他人を傷つけない」「テロや暴動の道具としない、させない」「ネット上でいじめをしない」

こうしたことを守りなさい!

お読みくださって、うれしうござんす。


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