『パンデミック条約締結及び国際保健規則(IHR)改訂を拒絶(阻止)するための“理論武装”!【学説優位論・前編】~国際法は世界を律する法(世界法)ではない!~』

先に【日本国憲法編】をお読みいただくと、【学説優位論・前編】がより理解できます。

国際法は世界を律する法(世界法)ではない!

《国際法は、世界を律する法(世界法)ではない》

京都府保健医協会より引用

憲法を頂点とする国内法と国際法の関係は、1つの法体系と捉える考え方(その中で国内法上位説と国際法上位説がある)と、次元の異なる別々の法体系と捉える考え方(世界には主権国家が併存し、実際の国際法は世界を律する法=世界法ではない)があると言われています。

〈国際法と国内法の関係は「主権国家ありき」〉

国際法と国内法との関係においては、条約を含む国際法が日本国で承認されたとき、いったいどちらが優先されるのかという問題があります。
この問題は、結局のところ、条約が憲法に優位するのか、憲法が条約に優位するのか、という問題にぶち当たります。
しかし、国内法(憲法含む)と国際法との関係は、明らかに1つの法体系としては成立していません。「国内法と国際法の関係は、1つの法体系と捉える考え方」は詭弁論と言ってもいいでしょう。
国内法と国際法は別物です。
別物ですが、影響する関係にあることは間違いありません。

はっきりと言えば、上記のような「国内法と国際法の関係は、1つの法体系と捉える考え方」は、“グローバリズム思想に繋がるもの”であると指摘しておきます。
この発想はDSにとって“好都合な思考”であると言っておきます。

現実的にも理論的にも「主権国家が併存し、各国家が独自の法を持つ」というのが正しい認識です。
なにより肝心な論点は、「国際法は世界を律する法=世界法ではない」ということです。

現実的に見ても国際法違反は数知れず起きています。
本来「法」とは、課する権限(強権)があり、法を守る義務があり、破った場合は罰があるという性質のものです。
国際法とは「条約」や「憲章」などであり、条約は主権国家が賛同し、批准することによってその効力を有するものであり、主権国家が存在するその理由によって自動的に課されるものではありません。
条約を結ぶか否かの権限は各国家にあるのです。
また、国連憲章などは、国連に参加してはじめてその影響力を有するものであって、国連加盟していない国家があったならば、関係ない話となるのです。
(ただし、現時点では世界のほとんどの国家が国連加盟している)

つまり、国際法と国内法の関係において重要なことは、「主権国家ありき」という点なのです。
主権国家が存在しなければ、国際法そのものの存在意義が成り立たず、国連という国際組織も存在理由を失うのです。
要するに、「世界は主権国家の併存で成り立っている」ということです。
ですから、国際法は各主権国家の上位に存在するものではあり得ないのです。
具体的に言うならば、だからWHOはアドバイザーに過ぎず、提案、サポーターとしての行為しか出来なかったのです。
もし、国際法が国内法より上位に位置するならば、アドバイザーやサポーターではなく、初めから「強制力」を発揮していたはずです。
この国際秩序を捻じ曲げようとしているのがいまの動きであり、その目的は「地球統一政府の樹立」であり、それを企んでいるのがDS(グローバリスト)なのです。

《条約優位説と憲法優位説》

国内法と国際法の関係においては2つの学説があります。
その議論において最終決着がついていない2つの学説が、「条約優位説」「憲法優位説」です。

この2つの学説の場合、憲法優位説を取れば、条約の全部または一部が国内で効力を有しないことになりますが、国内の治安及び秩序においては何らの変化も混乱もありません。
そこにあるのは他国または国際機関との関係性だけです。
しかし、条約優位説を取る場合、ある問題が発生します。
これは【日本国憲法編】ですでに語っていますが、国内法よりも条約が優先するとなれば、憲法改正手続きを経ることなく、実質的に憲法を改正したことと同じ効力が、憲法を改正手続きより簡単な国会承認で成り立ってしまうのです。
つまり、条約優位説は、「憲法を蔑ろまたは無効にする力を有する」ということになりますが、その法的根拠はいったいどこにあるのか、という問題にぶつかります。

なお、前記事の【日本国憲法編】で語ったことは、憲法優位説の話です。

《条約とは?》

〈条約法に関するウィーン条約から読み解く〉

条約とは何でしょうか?
条約法に関する一般条約である「条約法に関するウィーン条約(条約法条約)」では、以下のように定義しています。

第2条1
(a)「条約」とは、国の間において文書の形式により締結され、国際法によって規律される国際的な合意をいう。
(単一の文書によるものであるか関連する2以上の文書によるものであるかを問わず、また、名称のいかんを問わない)。

◆補足説明:『条約法に関するウィーン条約』とは?
「条約法に関するウィーン条約」とは、条約法に関する一般条約として、1969年に締結されたもの。
条約法とは、条約に関する諸規則から成る国際法の一分野で、簡単に言えば「条約に関する国際法上の規則を統一したもの」です。
これまで慣習法として発展してきたが、条約法の内容をより明確にするため、国連国際法委員会が条約に関する慣習国際法を法典化した(1980年発効)。

重要な論点を指摘します。

「条約は、国の間において文書の形式により締結される国際的な合意」

つまり、主権国家の「合意」によってなされるものが条約ということです。
合意するかしないかは各主権国家の判断であって、判断の主体は各主権国家にあるのです。
このことを見ても、国際法が主権国家の最高法規の上位に位置すると考えることは非常に無理があります。
別の言い方をすると、「合意」しなければ、合意した際に発生する国際法の規定はその国家に効力を有する(発揮する)ことは出来ないということです。
これを国内法と照らし合わせれば関係性が理解できます。
国内法は、その国家の国籍を持つ人間にすべて等しく当てはまります。
原則、その国の国民であれば、無条件で国内法の制限及び保護を受けています。
しかし、条約などの国際法は、主権国家が合意などの行使をしない限り、効力を持つことはできない性質のものです。
よって、国内法と国際法の位置付けは、上下関係ではないという論理的帰結が導き出されます。

〈条約の形式〉

条約では、『締結』『締約』という言葉があります。
基本的には締結も締約も同じ意味として用いられることが多いですが、締結のほうが広い意味で用いることが多い。
2つの意味の違いは以下の通り。

『締結(ていけつ)』とは、簡単に言うと条約や約束を結ぶこと
(硬く締めて結ぶことの意)
国家観の合意によって、文書の形式で結ばれる「約束」であり、締結後は国際法によって規律されるもの。
「締結」という言葉は、“条約や拘束などを結ぶこと自体”を指して用いられる。

一方『締約(ていやく)』とは、国同士などが条約を結ぶことを指して用いられ、“条約を結んでいるその形を指す”ことが多い。
条約に批准、加入、あるいは継承していることで、条約の実効とその進み具合や状況を報告しなくてはならない。
締約は、国同士などが条約を結ぶことを指して用いる。

◆形式

条約が成立し、国家が条約の「締約国」となるための手続き(形式)には、『採択』、『署名』、『加入』、『批准』などがあります。
意味は以下の通り。

1.『採択』
『採択』とは、各国の代表者が集まって話し合い、国際条約の内容に合意し、調印すること。
別の言い方をすると、議案などについて出席者に賛成と反対の意思表示を求め、なおかつ集計し、集団の意思決定をすること。
意思表示のひとつであり、議決された内容を対外的に表明すること。
意思決定を否定することを「不採択」という。

「条約に関するウィーン条約」第9条(条約文の採択)では、以下のように規定されている。

1.条約文は、2つの場合を除くほか、その作成に参加したすべての国の同意により採択される。
2.国際会議においては、条約文は、出席しかつ投票する国の三分の二以上の多数による議決で採択される。ただし、出席しかつ投票する国が三分の二以上の多数による議決で異なる規則を適用することを決定した場合は、この限りでない。

2.『署名』
『署名』とは、条約の趣旨と内容に基本的に賛同すること。ただし、この場合、条約に法律の力によって縛られることはなく条約の実行は義務ではない
条約の内容が確定した際、国家の代表者が、条約の趣旨や内容を公式に確認し、基本的な同意を表明することで、その証拠として「記名」するもの。
つまり、条約に賛同するが、内容の実行に義務を持たないものということです。

なお、署名によって条約の内容は確定し、それ以降は修正することはできない。
「署名」だけならば、条約(内容や趣旨)に賛同しただけであって、条約に国際法としての縛りはなく、条約の実行は義務でもない。

3.『加入』
『加入』とは、署名の順序を省略して、そのまま条約を受け入れること。
「加入」は、条約に参加する一形式で、すでに効力が発生している条約に対して、後から入って条約に拘束されることも含まれる。

「条約に関するウィーン条約」第15条では以下のように規定している。

第15条(条約に拘束されることについての同意の加入による表明)
条約に拘束されることについての国の同意は、次の場合には、加入により表明される。
(a)当該国が加入により同意を表示することができることを条約が定めている場合
(b) 当該国が加入により同意を表示することができることを交渉国が合意したことが他の方法により認められる場合
(c) 当該国が加入により同意を表示することができることをすべての当事国が後に合意した場合

4.『批准』
『批准』とは、条約を国会で議論して承認し、条約に「署名」した後、条約の規定に拘束される(条約の規定を法的に遵守する)意思があることを正式に(国際的に)宣言すること。
批准は条約に拘束されることの同意の最終表明でもあります。
批准に関する“重要論点”は、手続きは各国家の憲法の規定に従って行われ、日本においては「国会の承認」が必要なこと。

「条約に関するウィーン条約」第14条では以下のように規定している。

第14条(条約に拘束されることについての同意の批准、受諾又は承認による表明)
1.条約に拘束されることについての国の同意は、次の場合には、批准により表明される。
(a)同意が批准により表明されることを条約が定めている場合
(b)批准を要することを交渉国が合意したことが他の方法により認められる場合
(c)批准を条件として条約に署名することを国が意図していることが当該国の代表者の全権委任状から明らかであるか又は交渉の過程において表明されたかのいずれかの場合

《主権国家に選択権がある》

専門的な知識を示しましたが、なぜ書いたのか?
条約が成立し、国家が条約の「締約国」となるための手続き(形式)に、『採択』、『署名』、『加入』、『批准』などがある。
これが意味することが分かりますか?
要するに、主権国家に「選択権」があるということを意味しているのです。
批准するか、署名だけにするのかなど、各国家が独自に選べる(決められる)ということですから、その論理的帰結は、条約が主権国家の上に存在しているわけではない、ということです。
条約は締結後に法的拘束が発生しますが、それは「お互いルールを守りましょうという約束」なのです。
約束ですから、主体は約束を守る者(主権国家)なのです。
もし、条約の内容の実行に従いたくなくば、あるいは自国の憲法に触発するならば、賛同だけ(署名)だけの参加を選択する権限が主権国家にある、ということです。

しかし、DSはこの構図を逆に利用しているのです。
これについての解説は別記事にて提示します。

★ポイント

「条約」とは国家間で結ばれる国際的約束、または国家と国際機関で結ばれる国際的約束。
締結後は、法的拘束力を持つが、選択権は各主権国家にあり
条約に批准、加入などをしなければ、主権国家に何の影響力も与えない。

《国際法上の原則?》

京都府保健医協会より引用

しかし一方、締結された条約が憲法に反すると考えられるときでも、その条約は効力を持つとするのが国際法上の原則といわれています。(違反が明白、かつ基本的な重要性を有する国内法にかかわる場合を除いて)

〈保守の思想は「自国ファースト」〉

「締結された条約が憲法に反すると考えられるときでも、その条約は効力を持つとするのが国際法上の原則」
これが“グローバリズム思想”なのです。
ただし、まだ“ましなほう”と言えるでしょう。
なぜならば、「違反が明白、かつ基本的な重要性を有する国内法にかかわる場合を除いて」とあるからです。

「締結された条約が憲法に反する」ということは、その条約は憲法を無効にする権限がある、ということを意味します。
これが“国際法マジック”なのです。
もしもの話ですが、憲法に反する条約が乱発したならば、その国家の法秩序は滅茶苦茶となるでしょう。
これが意味することは、「条約とは各国家の法秩序を崩壊させかねない力を有する」という意味となるのです。
程度の問題、内容の問題ですが、そうしたことになりかねない“可能性を秘めている”ということです。
ですから、自国よりも他国を愛するような思想を持つ人にとっては、このようなグローバリズム思想は魅力的に見えるのです。
そして、自国を貶める可能性のある思想に傾くのです。
その思想の持ち主が権力者であった場合、売国奴となるのです。

また、グローバリストではなくても、国際機関(国際組織)に憧れや権威を感じている人たちはこのような思想に染まってしまうのです。
しかし、国民にとって最優先するべきは自国の法であり、法が保障する自由や基本的人権なのです。
国民の自由や権利を奪うような条約が上に立つと考える思考はDSの思考と波長同通する思考であり、グローバリズムに飲み込まれてしまう運命共同体に入ったことを意味します。
それは自国を危険にさらす可能性を持つものです。

グローバリズム思想とは、「世界のために」「地球全体のために」と考える思想であり、各国家よりも世界単位のことを統一基準で考える思想です。
別名「全体主義思想」です。

逆に保守(真の)の思想とは、一言で言えば「自国ファースト」なのです。
そうです、トランプ元大統領が主張した思想こそ反グローバリズム思想であり、DSと対抗する思想であり、真に自国を愛する思想であるのです。
間違ってはいけないことは、自国ファーストとは自国勝手ファーストではないということです。
自国の国体、価値観、伝統、文化などを大切にする思想が正しく機能すれば、他国の国体、価値観、伝統、文化など尊重するはずなのです。
しかし、グローバリズム思想は、世界単位(地球規模)で文化、価値観を集約しようとするため、各民族、各国家の文化や伝統を破壊するのです。
それはまるで戦車のように各国家の伝統文化慣習などを踏みつぶして破壊し、地球規模の価値観を建設するものなのです。
大切なことは、自国の伝統や文化、法体系を守りながら他国と協調・調和することです。
本来、その役割を果たすべきなのが国際組織なのです。
ですが、DSが考える国際組織とは、未来の世界統一政府の前身でしかないのです。
国連が隠していたその真の姿を現すとき、地球統一政府が出現するのです。
その動きが、いま、始まっているのです。
それは主権国家にとっての危機でしかないのです。
主権国家の危機とは、各国家の国民の自由と基本的人権が奪われる危機を意味するのです。

【学説優位論・後編】すべての公務員(国会議員含む)は、「憲法」を尊重し擁護する義務を負う!

参考情報

『京都府保健医協会』
憲法を考える41 「憲法と国際条約」

『条約に関するウィーン条約』

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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