『嘘を平気でつく人間、嘘を繰り返す人間にもの申す! ~嘘つき人間の特徴とは?~』

【嘘を平気でつく人間の特徴】

根拠や証拠もなく「事故の原因は、車両の異常にある」と「嘘」をつく飯塚被告。

お金を受け取ったという証言者がいるにも関わらず「選挙(当選)が目的でお金をくばったのではない」と「嘘」をつく河井議員夫妻。

豊胸手術をしてバストアップ商品などを騙して販売していたにも関わらず、自身のバストアップは努力の成果だと「嘘」をつくユーチューバーの“てんちむ”。

このように平気で嘘をつく人間、嘘を繰り返している人間には「嘘つきの特徴」が見られます。

《嘘つき人間の特徴》

平気で嘘を繰り返す人間、嘘をついて人を騙し、少しも反省しない人間の特徴とは?

1.「自己愛が極めて強い」

一番大きな特徴が「自己愛が極めて強い」ということです。
平気で嘘ばかりつく人は「自己愛の塊(かたまり)」と言ってもいいでしょう。

つまり、自分のことだけ愛しているのです。
他人のことなどどうでもいいのです。
すべては「自分、じぶん、ジブン・・・」なのです。

この「自己愛が強い」人の特徴は、他人に親切にしているようで、結局は「自分のため」なのです。
ですから一見「優しい人」に見える人の中にも、こうした親切や善を行っているように見えて実は「自分のことを愛しているからそうしている」という人がいるのです。
物事の判断基準が「自分によかれ」なのです。
あるいは「自分のためになるかどうか?」なのです。

要するに、「自己愛が強い人」は、本当は他人のことなど興味も関心もないのです。
他人を愛しているようで、それは回り回って結局自分を愛しているにしか過ぎないのです。

あなたの周りにも「自己愛の塊」の人がいませんか?

2.「他人の傷みに鈍感である」

嘘を平気でつく人、嘘を繰り返す人は「自己愛の塊」ですから、当然その続きとして「他人の悲しみ、苦しみなどに鈍感」です。

自分が苦しむこと、悲しむこと、何かを失うことには非常に強い関心を持つにも関わらず、自分以外の人が苦しんでいても、悲しんでいても、それに対して真の共感はありません。
なぜなら、「愛しているのは自分だけ」だからです。
通りいっぺんの慰めやいたわりはありますが、それは“建前”にしか過ぎません。

ですから、飯塚被告は、松永さん遺族の気持ちを踏みにじるような発言(嘘)をするのです。
ですから、河井議員夫妻は、議員辞職した地方議員が出たにも関わらず自分たちの罪を認めないのです。
ですから、てんちむは、バストアップ出来ない商品を売りつけて儲けることができるのです。

3.「真実に虚偽を織りまぜて結論を捻じ曲げる」

嘘を平気でつく人間、嘘を繰り返す人間の語ることが何から何まで嘘かというと、そうではないことが多いです。
(もちろん詐欺師のなかにはそうした全部嘘という人間もいます)

なぜなら、人は他人の嘘を見破ることができるからです。
(人間は超能力がなくても、そうした能力が本質的に備わっている)
全部が嘘だと騙せないからです。
(全部が嘘だと他人に信じてもらえないと思っているからです)

ですが世の中には嘘に騙される人がいます。
なぜか?

それは「事実」の中に「嘘」を織りまぜるからです。
「本当のこと」の中に「虚偽」「嘘」「ありもしないこと」を織りまぜて話します
「本当のこと」「事実」を入れることで「信憑性」を持たせて、嘘つきの話を信じさせるのです。

これは他人を騙すときに使用します。

この嘘を織り交ぜるということに似ていることで、「大げさにする」という特徴もあります。
つまり、「1のことを10に拡大して語る」ということです。

元々は本当のこと(事実)ですが、それを拡大してデフォルメすることで「質の違ったもの」にしてしまうのです。
つまり、「大げさにする」ことで「本当のこと」「真実」を捻じ曲げるのです。
「大げさにする」というのも結局、「嘘」の一形態なのです。

これは相手を責め立てるときに使用します。

さらにこの逆もあります。
「縮小」「矮小」です。
本当のことを矮小化する手口です。
つまり「10のことを1に縮小して語る」のです。
「本当のこと」「真実」を小さくして歪ませることで別のものにしてしまうのです。

これは、自分の罪などを逃れるために使用します。

要するに「嘘つき」は物事の本質を隠し、善悪を曖昧にすることで「真実を捻じ曲げて、自分に有利な結論に持っていく」のです。

「真実に虚偽を織りまぜて結論を捻じ曲げる」という手口は悪魔が良く使う手口なのです。

4.「虚栄心が強い性格」

嘘つきの人は、おしなべて「虚栄心が強い」「見栄っ張り」です。

他人から自分がどう見られているか、ということを常に気にします。
「他人から見て羨ましく見える」という環境や状況を好みます。

その尺度は「自分独自のもの」ではなく、「自分と他人を比較して自分が有利」であることを求めるものです。
嘘つき人間は、常に他人からどう見られているのかを気にします。

もっというと「他人から羨ましがられる自分であるかどうか」を気にしているのです。
他人から羨ましがられることによって自分の価値を感じるのです。
歪んだ価値観がそこにあります。

しかし、他人から羨ましがられる状況、環境が常にあるとは限りません。
さすればどうするか?
そこで「嘘」を使うのです。
虚栄心を満たすために嘘をつくのです。
他人から羨ましがられることによって優越感を感じ、喜びを味わうのです。

そして虚栄心が強いということは、別な言い方をすると「ありのままの自分をさらけだせない」「正直に自分の生き方を見せられない」ということです。

ですから、嘘というコーティングが剥がれようとすると抵抗します。
嘘が剥がれてもそれを認めるのではなく、嘘の上塗りをしていきます。
虚栄心を保てなくなることをとても嫌がります。

だから、飯塚被告は自分の運転ミスを認めないのです。
だから、河井議員夫妻は議員辞職しないのです。
だから、てんちむはYouTubeを止められないのです。

5.「自己責任を感じることが弱く、逆に他人のせいにする傾向がとても強い」

嘘つきは基本的に反省ができません。

口では上手いことを言います。
嘘をついて物事を脚色し、他人を騙すくらいですから、上手いことをいうのが得意です。

噓つきがなぜ反省できないかというと、「自己責任の原則」を無視し、「他人の責任にする傾向がとても強い」からです

自分を庇い、他人を責める傾向性がとても強いのです。

気をつけなければいけないのは、この嘘つきは口では上手いことを言うところです。
常識的な発言、謝罪の言葉、反省の弁などを言います。
ですが、そこに心はありません。

本当は自分の責任だとは思っていないからです。
「俺がこうなったのはあいつの責任だ」と本当は思っているのです。
「私がこうなったのはあの人が悪い」と心の底では思っているのです。
そのように腹の底では考えていて、自分の不幸の原因を他人のせいにします。

たとえ間接的に自分に責任があっても、そんなものは“どこ吹く風”とばかりに気にしません。
それよりも相手を責め、相手に責任を求めます。
だから、反省できないのです。

反省とは素直な心で、ありのままに物事を見つめることから発生するものです。

他人に罪をなすりつけ、他人に責任を押し付ける人間は永遠に反省など出来ません。
嘘つきの「反省しました」は信用しないことです。

ですから、てんちむはYouTubeを再開したのです。
てんちむは騙してバストアップ商品を販売したということの責任を本当は感じていないからです。
彼女の「YouTubeを止めようと思います」というのは虚言だからです。
そんなことは腹の底で思っていなかったからです。
ただ、世間の反応(ファンの反応)を見ていただけなのです。

反省が出来ない人間が「自己変革」することはありません。
嘘つきは嘘つきのままです。

6.「自己中心的でエゴが強い」

「自己愛が強い」と述べましたが、それと似ている特徴で、自己愛が強いから物事を自分中心にしか考えることができません
エゴ、欲望が強いのです。

この特徴から導き出されるのが「所有欲の強さ」です。
嘘つき人間は「足ること」を知りません。
あくなき欲望を追求します。
地位、収入、名誉などをどこまでも求めます。
地球は自分のために回っていると思っています。

しかも、嘘つき人間には、この「自己中心的な自分」がまったく見えていません。
「自分はただ自分に正直に生きているだけ、なにが悪いの?」と思っているのでたちが悪いのです。

嘘つき人間は、常に自分という主観でしか他人や物事を見ることができないので「他人から見た自分」「客観的な見方」「第三者の視点」で見ること、考えることができません。
だから、平気で嘘をつくのです。
嘘をついても「なにが悪いの?」と思っているのです。

他人から見ると「強欲人間」に見えるのですが、噓つき人間にはそれがまったく理解できないのです。
これが嘘つき人間本人と世間の人とのギャップです。

7.「卑怯でズルい性格」

嘘つき人間の特徴を見てきましたが、その帰結としていえることが「嘘つき人間は卑怯でズルい性格」をしている、ということです。

嘘つき人間は自分のことしか考えていませんから、自分の利益、欲得のためなら他人を騙しても恥じることがありません。
常識ある人から見ると「卑怯なこと」「ズルいこと」が嘘つき人間には「ただ自分に正直なだけ」となります。

嘘つき人間には「ズルい」「卑怯」という発想が自己の内部にはありません。
ところが他人にたいしては「ズルい」「卑怯」をいう感覚を持ちます。

ですから嘘つき人間は、他人から何かを奪っても平気です。
罪悪感を持ちません。

他人から何かを奪っても、自分が欲しいものを手に入れたのなら、それでいいのです。
他人を傷つけても、自分が傷つかなければ、それでいいのです。

自分が得たものを手放そうとしません。
たとえそれが他人を傷つけることであっても。

だからこそ、飯塚被告は根拠もない「車両の異常」などと主張して遺族の気持ちを踏みにじるのです。

〈嘘つき人間の末路〉

嘘を平気でつく人間、嘘を繰り返す人間は死ぬまで直りません!
あの世で閻魔大王にすべてを裁かれ、地獄の苦しみのなかで悟るしかないのです。
それは人間としてとても悲しい姿です。

【嘘つき人間にもの申す!】

法律に反することだけが悪ではない。
法律以前に人としての道がある。
法律以前に人として大切に守るべきものがある。
法律以前に人として「やっていいこと」と「やってはいけないこと」がある。

「嘘をついて他人の心を傷つけること」
「嘘をついて人を騙すこと」
「嘘をついて他人から何かを奪うこと」
これらはすべて悪です!

「嘘をつく」ことそのものが悪なのです。

「嘘をつかない犯罪者はいない」
「嘘は犯罪の始まり」
「嘘は地獄の始まり」

人間の素晴らしさは「正直さ」「素直さ」「誠実さ」「責任感」「真に反省する姿」にあるのです。

最後までお読みくださり、ありがとうござりんした。


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