『“保守の憲法論”最終結論【検閲編②】~焚書による隠蔽~』

【検閲編②】~焚書による隠蔽~

これまでの記事

【検閲編①】~検閲とは言語空間を閉鎖すること~

検閲とは言語空間を閉鎖すること(つづき)

《公然の秘密》

これらの人々に対してCCDは、語学力と引替えに少なくとも七百円、ときには千二百円もの高給を提供した。そして、これらの人々がCCDの提供する報酬を手にしたとき、彼らは自動的にあの闇の世界に属する者となったのである。
そのなかにはすでに故人となっている人々もあり、現存して活躍中の人々もいる。CCDに勤務した五千有余人の日本人要員にATIS勤務の日本人を合わせれば、その数は優に一万人以上にのぼるものと思われるが、そのなかにのちに革新自治体の首長、大会社の役員、国際弁護士、著名なジャーナリスト、学術雑誌の編集長、大学教授等々になった人たちが含まれていることは、一部で公然の秘密となっている。もとよりそのうちの誰一人として、経歴にCCD勤務の事実を記載している人はいない

〈GHQに協力した日本人〉

GHQ(主にCCD=民間検閲支隊)が行った検閲には日本語が達者なアメリカ人、日系人の他に日本国内にいた日本人が含まれている。
GHQの方針に、「GHQの占領政策に“協力的な日本人”を見つけて協力者とする」というものがあった。

彼らは日本人でありながら、GHQの占領政策の片棒を担ぐことを行った。しかも大多数の国民が貧困に苦しんでいる中で高給を得ていた。
当然、戦後の日本社会において排除されるのではなく、社会の中心に位置することができたはず。

そうした人たちはある意味ではGHQの協力者なので、GHQの悪口は言えない。
言えば天に唾するように己にはね返ってくるからだ。

現代に生きる日本国民が知るべきこととは、GHQの検閲に対して同じ日本人が協力していたこと。検閲自体が秘匿されていたことだろう。
私が許せないのは、そうした経歴を無かったことにしていることだ。

《検閲の対象とは?》

昭和21年11月末の時点で、検閲指針がまとめられていた。
江藤淳氏が米国立公文書館分室所在の資料から見つけたCCDが行った検閲の指針(検閲の対象)が明らかとなっている。

削除または掲載発行禁止の対象となるもの

①SCAP――連合国最高司令官(司令部)に対する
②極東国際軍事裁判批判
SCAPが憲法を起草したことに対する批判
④検閲制度への言及
⑤合衆国に対する批判
⑥ロシアに対する批判
⑦英国に対する批判
⑧朝鮮人に対する批判
⑨中国に対する批判
⑩他の連合国に対する批判
⑪連合国一般に対する批判
⑫満州における日本人取扱についての批判
連合国の戦前の政策に対する批判
⑭第三次世界大戦への言及
⑮ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及
戦争擁護の宣伝
⑰神国日本の宣伝
⑱軍国主義の宣伝
ナショナリズムの宣伝
大東亜共栄圏の宣伝
㉑その他の宣伝
戦争犯罪人の正当化および擁護
㉓占領軍兵士と日本女性との交渉
㉔占領軍軍隊に対する批判
㉕飢餓の誇張
㉖暴力と不穏の行動の煽動
虚偽の報道
㉘SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及
㉙解禁されていない報道の公表

※補足説明:米太平洋陸軍総司令部(AFPAC)と連合国軍最高司令部(SCAP)ともに「GHQ」と呼ぶ。

上記の「削除または掲載発行禁止の対象となるもの(検閲対象)」を見ればお分かりのように、占領政策を実施するGHQを含めた連合国に対する一切の批判を認めていない。認めていないどころかそうした考えや情報を日本社会からシャットダウンしようとしている。
また逆に日本国を擁護すること、日本が戦争に踏み切ったことを正当化する日本側の価値観さえ日本社会から排除している。
江藤淳氏はこう言っている。

一見して明らかなように、ここで意図されているのが、古来日本人の心に育まれてきた伝統的な価値の体系の、徹底的な組み替えであることはいうまでもない。

注目すべきは、②の「極東国際軍事裁判批判」と③の「SCAPが憲法を起草したことに対する批判」だ。

この二つは単なる戦争の後始末にとどまらず、戦後の日本社会を形作るための価値観の入れ替えに他ならない。

「連合国の戦前の政策に対する批判」「戦争擁護の宣伝」「大東亜共栄圏の宣伝」「戦争犯罪人の正当化および擁護」を禁止する(検閲)ということは、連合国(特に米軍)の行ったことは正義であり、日本国は戦争犯罪を行ったと刷り込むための必要条件でもあった。
日本国憲法のGHQ草案には「言論の自由」が入っているし、ポツダム宣言でも「日本国民の自由に表現された意志にしたがって平和的傾向があり責任のある政府が樹立されれば」という条規にも反することを堂々と行い、それを隠蔽し、なおかつ善悪を入れ替えようとしている。
GHQが行った検閲政策は、日本社会を完全なる「言論封鎖空間とすること」だった。

憲法論に直接絡むことで言えば、「SCAP(GHQ)が憲法を起草したことに対する批判」を禁止した(検閲した)ということが意味することとは、GHQが国際法違反をして占領地の法秩序を変えたことを隠蔽することである。またこのことが意味することとは、「憲法を押し付けた」という主張の証明となっていることである。
GHQが憲法草案を作成した当時、その作業はGHQ内部でも秘匿されていて、本国のアメリカ政府も占領政策の最終的権限を持つ極東委員会も知らなかったのである。
これに加えて同じ意味のことがある。それは「SCAP(GHQ)が憲法を起草したこと」を隠すと同時に「GHQ草案の土台に日本人(憲法研究会草案)があった」と宣伝すること。
つまり、日本国憲法は日本人の手による憲法であるという風評を広げることによって、国際法違反である「占領地の法秩序を変えてはならない」という批判を消し込んだことになる。

CCD(GHQ)による検閲が秘匿されたことのもう一つの理由として、合衆国議会および米国市民による検閲政策への批判を避けるためであった。
つまり、日本国民にも自国のアメリカ市民にも知られないようにして検閲を行っていたということ。

GHQが行った占領政策は、日本社会の言語空間を完全にシャットダウンした。その真の目的とは、日本社会(日本国)を米国が考える国家に変貌させるため、である。
だが、当時の日本国民は気づいていた。
気づいていない(知らない)のは現代の日本国民の方だ。

《検閲の実態》

GHQは上記の内容を検閲したが、その最大の目的とは、日本国民が何を考えているのか、であることは間違いない。
CCDは400万通におよぶ私信を開封し、毎月350万冊の電信を検閲し、2万5千に達する電話の会話を盗聴していた。

日本全国を九つの地域に分割し、その各地域について毎日500通、都合4500通の私信をランダムに抽出し、開封して、あらかじめ定められた諸項目について世論の動向を調査するのである。
~中略~
この結果、CCD当局は、いかなる世論調査機関が企てても果たし得ない、精密極まる日本の世論動向を把握するにいたったのであった。

CCD当局が特に注目しつづけたのは、戦犯容疑者と東京裁判に対する国民感情の動きであった。
つまり、おとなしく日本国民がGHQによる洗脳に従うのか、逆らって戦犯容疑者を擁護したり、東京裁判を不当なものとして批判してくるのか、ということをGHQは何よりも注目していたということ。
なぜかと言えば、そうした世論が形成されてしまえば(押さえ込めなければ)、占領政策における洗脳が完成しないからである。
要するに、検閲を行うことで、GHQ(連合国)にとって不都合な真実を隠し、WGIPによる洗脳プログラムでGHQが描く“犯罪国家像を押し付ける”ためだということ。
つまり、検閲とWGIPはお互いに呼応しあっている関係にあり、その真の目的は日本人に戦争犯罪という自虐的価値観(自虐的歴史観)を植えつけること。

《辻褄の合わない話》

いうまでもなく、GHQ民生局の原案によって制定された現行日本国憲法は、その第21条において、
《集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない》
と規定している。
米国は、かかる憲法を日本人に採択させ、そのことによって少なくとも建前の上では、日本の言語空間を、合衆国憲法修正第1条の保障する言語空間と、ほぼ等質なものに改造したはずだった。しかし、その当の米占領軍当局が、みずから大規模かつ徹底的な検閲を実施し、しかもその事実を秘匿し続けているというのは、どう考えても辻褄の合わぬ話というほかない。

言っていることとやっていることが真逆であり、こうした手法を悪びれず、罪悪感を持たずに行うことができるのが欧米の国家である。
およそ日本人には無理な所業である。
GHQの占領政策(検閲、WGIPなど)は、日本社会を完全に封鎖したが、占領期間が終了したあとに開かれた空間は、それまでの日本社会とは大きく変貌した社会となった。
これこそが植えつけられた価値観であり、この価値観のことを私は毒水と言っている。
護憲派(左翼)の多くが、この毒水に汚染されていることは間違いない。これは日本国憲法の内容の評価とは別次元の問題なのだ。日本国憲法の内容には、国民の自由や人権が戦前より大幅に拡大したことは間違いなく、それによって国民を益していることは間違いない。憲法に込められた「平和の理念」も立派である。だが、おそらく日本国民が考える「平和の理念」の奥底にあるGHQが押し付けた「価値観」があることに気づくべきだ、と私は言いたい。

《民間諜報局(CIS)》

この民間諜報局(CIS)は、「日本人が占領政策を忠実に遵守しているかどうかの情報の収集・分析、公安機関との連絡などを担当した。すなわち、通信・出版・芸能・放送などの検閲、電話の盗聴、流行歌の歌詞、映画の台本に至るまでチェックすることによって、日本人の思想動向を調査したり、警察・消防・刑務所行政の改革、指導、監督を行った局である。

この民間諜報局(CIS)は、1946年5月3日で廃止され、その機能は対敵諜報部の機能とともに参謀第二部内に新設された民間諜報課に吸収された。
だが、その三か月後(8月29日)に幕僚部として民間諜報局を復活させ、実際の運営は参謀第二部の民間諜報課で行うことになった。
この参謀第二部の下部組織として検閲を行ったのが、民間検閲支隊(CCD)であり、その活動は、膨大な量の情報を入手し、分析し、日本人の思想、世論の動向を徹底的に調査し、それを占領政策決定に反映されていった

〈占領政策の基本目的とは?〉

なぜ検閲は行われたのか?
それはアメリカ政府が立案した占領政策の基本目的に沿う形で行われた。
占領政策の基本目的とは、『日本がアメリカおよび他の太平洋諸国に対する脅威となることを防止する』および『日本に他国の権利と国際的義務を尊重するような政府を樹立させることにある。
この目的を達成するために、占領軍、連合国、占領政策などを批判することを歴史から消し込む必要があった。
つまり、そうした占領期間終了後に戦前の日本社会に戻す傾向性を持っている情報(思想)を見つけ出すために検閲が必要だったということ。

〈情報操作の手口〉

GHQが生み出した法秩序は日本国憲法だけではない、新聞を規制するために「日本新聞法」を作成し、日本の新聞社に対して事前検閲を開始している。

ところが占領軍は、検閲した痕跡が残らないように記事の書き換えを命じ、それでも足りない場合は記事を差し替えたのである。もし、差し替え記事が間に合わない場合は、占領軍のCIE(民間情報教育局)が用意した広報宣伝記事が、いかにも日本の新聞記者が書いたふうに装って掲載された。

これは情報操作、洗脳の手口そのものなのです。
結局、GHQが行った占領政策とは、日本国をアメリカ風の社会に強制的革命によって変えることだったのです。その特徴は、自虐的史観を持ち、軍国主義あるいは軍事力そのものを嫌悪する思想を持ち、決してアメリカに逆らわず、むしろアメリカの属国となる社会と言える。

「記事を書き換えさせる」ということは完全に日本のメディアがGHQの言い成りになることであり、言論の自由および表現の自由を奪われた状態を意味し、思想・言論を占領軍の思い描く社会に変貌させることを意図したことであり、それが意味することは、日本国がアメリカに「隷従」させられたことに他ならない。

しかも差し替え記事(日本側の)が間に合わない場合は、いかにも日本の新聞記者が書いたふうに装ってCIE(民間情報教育局)が用意した広報宣伝記事に差し替えた、というのだから占領期間における日本の言語空間は完全に閉ざされ、隷従させられたことは間違いない。
こうした「嫌らしい」ことをするのが白人国家であることを、日本人は深く理解するべきでしょう。

「いかにも日本の新聞記者が書いたふうに装う」というのは騙しの手法であり、姑息なやり方でしかない。

また新聞通信課による検閲後の削除、保留あるいはボツについての説明は、次のように一切なかったという。
「CCDとその下部機関(新聞社の場合、特に重視したのは市政会館内の新聞通信課)はG2、民間諜報局の指令に基づいて新聞検閲を行っていたのだが、その指令内容は完全秘密で、連合軍検閲機関だけで封鎖を厳守していた。政府関係者も国会議員も知る由もなく、占領軍とともに多数来日していた米人記者も全く知らされていない。新聞社に対しても、なぜ保留になったのか、保留後にボツになったのか、一部削除されたのか、一切説明されない。完ぺきなまでに問答無用なのである」

これは検閲における秘密作戦だが、なぜ保留になったのか、なぜ削除されたのか、ということを説明するということは、検閲の指針(判断基準)を教えることに等しい。ある意味では、日本側に検閲されないためのヒントを与えることになる。だからこそ完全秘密で行われた。
そもそも占領軍(米軍)は、日本人を見下しているので、「奴らに教える必要は無い」と思っていたのだろう。だが、当時の日本国民は検閲されていることを感じ取っていたと思われる。

〈戦争の範囲〉

注目すべきは、次の論点。
日本政府や国会議員に知らせないというならまだしも、「来日していた米人記者も全く知らされていない」ということは、アメリカ市民に知られて、市民から反感、抗議、批判などが上がってくることを阻止したかったと思われる。
これが意味することとは検閲が「極秘作戦」だったということ。
これはGHQ民生局による草案作成と共通している。
GHQ草案は、本国(米国政府)も極東委員会も、そして民生局内の他部署にも知られずに起草作業が行われた。これも超極秘作戦と言える。
こうした徹底した作戦を展開できるというのも米国の持つ能力であることを理解するべきだ。戦争とは単に兵器による戦闘だけではない。戦争計画立案、思想戦、情報戦、工作作戦、そして後始末(占領政策)と一連の流れはすべて戦争の範囲である。
こうした能力を持っている米国と戦争をしたことは、ある意味で日本にとって不幸とも呼べるが、国民は主権者となり、自由と人権を保障された点において利益を得たと言える。だが、それに不満を持っていたのが当時の保守層および指導者層であり、その末裔、後継こそが現代における憲法改正派なのだ。

彼らにしてみれば、自分たちの政治形態を奪われたことなので、それを取り戻そうとするということは必然と言える。

《検閲を免れた論評》

東京裁判に対する批判は検閲対象だった。
だが、検閲を免れた出版物や論評がある。
その理由とは、発行部数が少ないこと、一般書ではなく専門書であること、増刷していないこと(初版だけしか出版していない)等であった。要するに批判しているが社会的な影響力が少ないがために、見逃されたということ。また被告側と原告側の両者の言い分をバランスよく主要していることによって、世に出ることとなった。

焚書による隠蔽

《焚書による隠蔽》

GHQは、単に検閲するだけではなく、都合の悪い書籍を「焚書」とした。
『連合国軍総司令部司令「没収指定図書総目録」』という本には7,000刷以上にのぼるGHQによって抹殺された(焚書)出版物がリストアップされている。
GHQが焚書としたにもかかわらず、残っているものがあるが、その理由は個人(家庭)の蔵書があって、それが古書市場に流通したことで存在が知られた。

「焚書」に関しては、GHQが隠したい情報を狙い撃ちしている。
焚書となった書籍の内容は以下のものがある。

・日本の大東亜戦争を肯定するもの
・白人国家による植民地支配を批判するもの

これらの書籍等は出版社と書店にあった在庫はすべて没収された。
これは明らかに「焚書」と呼べるもの。
これによって、日本が大東亜戦争に突き進んだ正当な理由や大義の情報がほぼ消失したのです。
これは洗脳の手口なのです。植えつけたい価値観が有効となるためには、それまでの記憶(価値観)を消去する必要があるのです。それまであった価値観を消去してこそ、新たな価値観を植えつけられるのです。

何のためにGHQは7000冊以上の出版物を焚書したのかと言えば、

国を亡ぼしてやろうと思ったら、その国の歴史と文化を国民から奪って、忘れさせてしまえばいいんだからね。

つまり、特定の国家の歴史観と文化を別のものに入れ替えることと言える。

最初の焚書は1946年(昭和21年)3月17日、それから1948年(昭和23年)4月15日までの2年2カ月で、計48回に渡って7,000冊以上の本が没収(焚書)となった。

GHQの占領政策は「日本がおこなった戦争は『悪(戦争犯罪)』である」という意識を植え付けるためには検閲だけではなく、日本における戦争を肯定する言論や逆にアメリカが行った国際法違反の行為などを隠すためにそうした内容の情報(主に書籍)を無かったものとして歴史から抹殺する必要があった。そうしないとGHQが押し付けた「日本国犯罪国家」という洗脳が完成しないからだ。

日本を操作しやすい従順な国にしてアメリカに隷属させるために、邪魔なものは容赦なく追放し、破滅させた。

〈焚書の最大の狙いとは?〉

重要なことは、GHQがおこなった焚書のなかに「ユダヤ論」に関する書物が混じっていたこと。
高度なユダヤ論を展開した書籍が軒並み焚書の対象となった
日本社会全体を見れば、現時点でも世界を操る世界権力の正体を見極めている日本国民は極わずかしかいない。しかし戦前の昭和6年、7年から敗戦までの間に、相当水準の高いユダヤ分析をしていた人物がいた。四王天延孝中将、東北帝国大学の奥津彦重教授、長野朗などである。

われわれの先達は昭和初期にすでに見抜いていたのね。ユダヤが世界支配を目論んでいるって。
私の考えでは、知られてはまずい「ユダヤ論(ユダヤ分析)」を抹殺することがGHQによって最重要課題であったと判断している。澤龍氏は「ユダヤ論こそがGHQ焚書の本丸だった」と指摘している。

〈GHQの奥に潜む者たちが恐れたこととは?〉

彼らは恐れたはずだ。白人国家を驚愕させる軍事力(戦闘力)を持ち、なおかつ人種差別撤廃を主張する日本国家を。武士道精神を持つ日本国家の国民がユダヤ論(世界を支配している者たちの正体)を知ることは何としても避けたいことであったはず。
要するに、白人国家と肩を並べ、まともに戦争ができる日本国家が本気で世界を支配する闇の権力に国家ぐるみで対抗してきたならば、世界支配の完成は困難を伴うと考えたと思われる。
戦前のユダヤ論が戦後も広まっていくとしたなら、GHQによる洗脳作戦は破られ、闇の世界権力の前に立ちはだかることになることをも恐れたと思われる。
ここで出てくる「ユダヤ論」とは、新世界秩序、すなわちニュー・ワールド・オーダーのことである。

正確にユダヤ分析を行った人物たちは、第二次世界大戦がユダヤ人が仕掛けた戦争であり、連合国は騙されて戦争に参戦したこと、ボリシェヴィキ革命もプロレタリアによる革命ではなく、その本質はユダヤによるユダヤ解放運動であったことなどを理解していた。

ユダヤ分析者の一人である四王天延孝中将は、明治以来広まった「日猶同祖論(日本人の祖先が追放されたイスラエルの失われた十支族の一つとする説)」を否定している。
現時点での私の判断では、「日猶同祖論(日本人の祖先が追放されたイスラエルの失われた十支族の一つとする説)」とは“陰謀の一側面(下地作り)”であると捉えている。

アメリカ人でユダヤ論を正確に分析できていたある人物がいる。
それは自動車王と呼ばれたヘンリー・フォード
ヘンリー・フォードは、『国際ユダヤ人』という書籍を出版し、そのなかで「アメリカはその国家構造の全てをユダヤ人に支配されており、今やアメリカはユダヤ国家でしかない」と主張している。

焚書が目的とした最大のものこそが、真実の隠蔽(不都合な真実を消すこと)であり、闇の世界権力の正体を隠すことである。
この影響は2026年の日本社会に大きな影を落としている。それは日本が完全にグローバリズムに飲み込まれ、実質的に日本国は滅び、日本民族が根絶やしになる未来が待ち受けていることである。

騙すものは、必ず「真実」を隠す。
その上で「嘘」を真実として刷り込んで信じ込ませる。
これは高度な洗脳の技術である。

検閲の本質とは?

《検閲の本質とは?》

「検閲」とは、人の思考から生み出された価値判断や論理などを表明する権限を奪いとることでしかなく、その本質とは「自由の剥奪」である。
「自由の剥奪」とは、「基本的人権の強奪」でもあり、人としての尊厳を奪うことである。
宗教的な価値判断からみれば、「自由の剝奪」とは悪魔の所業となる。
情報論として見れば、「情報操作」以外のなにものでもなく、その先にある特定の価値観を植えつけるための「洗脳」の手段である。

検閲をする側は絶対的権力を持つことであり、検閲される側からすれば抵抗する統べなく服従するしかない状態でしかない。

「検閲」における重要な問題点は、その性格上自由な判断を許さず、一方にとって「虚偽」でしかないものを「唯一の真実」と認めることを強制することであることに他ならない。
実際に、GHQは禁止したいどんな記事についてもどんな理由でもつけることができたし、かつそれを禁止できた。
すべての基準はGHQが禁止したいかどうかの判断によっており、それが意味することとは言論空間を封鎖し、一歩的な価値判断を押し付けるものでしかない。

〈政府による国民の言論弾圧〉

いま日本国内で起こりつつあることは、GHQではなく日本の内閣による日本国民に対する言論弾圧である

表の世界の「解放」は、影と闇の世界の黙契を支える「恐怖」を得て、はじめて日本人の「精神にまで立入り」、これを変質させる手がかりをつかんだのである。
重要なことは、検閲の存在をあくまでも秘匿するというCCDの検閲の構造そのもののなかに、被検閲者にタブーを伝染させる最も有効な装置が仕掛けられていた。

文化人類学者によれば、「タブーは伝染する」という。
秘匿された検閲はタブーそのものであり、被検閲者はタブーとの接触することで「もとのタブー同様危険なもの」となり、「新たな汚染の中心」となる。そしてこの伝染現象の動因となっているものこそ「恐怖」である。
政治または統治において「恐怖」とは人類の歴史上、常に為政者たちが人々を抑え込むために使っていた手法である。
統治者側の恐怖は統治される側の恐怖に置き換えられる。
恐怖による統治は、安易な手法であり、悪質なものであり、自由の敵でもある。
統治する者(権力の座にある者)は統治される側に無制限の自由を与えることに恐怖を感じ、統治される側は自由を制限されることに恐怖を感じる。
恐怖による支配は悪である。
正しい統治者の姿とは、統治される側の人々に自由を与えるものである。
恐怖を最大限使った統治(国民の自由を奪う法律の制定や政策)とは、独裁者が地上に出現したことを意味する。

民主主義制度は善にも悪にも成り得る制度

《過剰な愛国心は見識に歪みを生み出す》

話しは逸れる。
私が現時点で注目している人物(の発言および思想)について語る。

日本人の中に過剰な愛国心、強い天皇尊崇の念を抱いている人がいるが、そうした人は、「日本が世界で一番強かった」と主張していることを耳にする。
(祖国への愛国心を持つことを否定していないし、自国の伝統を守ろうとすることも否定しない)

何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」であり、過剰に日本が好きな人の見解は少し歪みが発生しているように見える。
大国清と大国ロシアに勝利し、アジアにおいてイギリスなどの西洋国家を駆逐した日本は確かに強かった。だが、日本には“戦争勝利の方程式”なるものがあり、それは「短期決戦によって敵を駆逐し、戦闘に勝っている状態のときに第三国の力を借りて講和に持ち込む」というもの。
日露戦争がこの典型であり、もしロシアと全面戦争に入ったならば日本は徐々に破れ、最終的には敗北をしたはず。いかに戦闘に強い日本軍であっても、総力戦となれば、国力の差が如実にでる。当時の指導者たちはそれを分かっていたから、講和によって戦争を終結せたのだ。

「日本が好き」「自国への愛国心がある」ことを否定しないし、むしろ自分の国を愛せない国民は不幸であると考えている。だが、「“過剰に”日本が好きな人」の見解は如何に情報を得ることに長け、国際情勢に対する分析力を持っていたとしても、他国へのものの見方に偏見が混じってしまうと私には思える。

つまり、「“過剰に”日本が好きな人」は、意識せずに“民族的優劣主義”を含んでいることが多い。この場合の民族優位主義とは日本人は他の民族より優れているという意味。
たしかに日本または日本人は優れているが、「“過剰に”日本が好きな人」は無意識に特定の国家や民族を下に見ていることがある。それは“本人が気づいていないレベル”において発生している。だが、私から見れば「少し偏見が混じっているのではないか」「主張の9割は正しいが見識の歪みが1割入っている」と見える。

誰のことを言っているのか読者には分からないでしょうが、「“過剰に”日本が好きな人」の特徴を知れば自ずから判断できるでしょう。(その方の動画を視聴したり、勉強会に参加している人ならばわかるでしょう)

「“過剰に”日本が好きな人」の特徴とは、「天皇崇拝(が強い)」であり、見分けるコツは「皇紀〇〇年」という“歴”を使用している人である。
こうした方は日本の伝統や文化を大切にしているし、日本という国家および日本国民を守ろうとしている点において、評価すべき人物でもある。
現時点では名前は出さない。その理由は私がその方を尊敬しているから。また国家滅亡の危機的状況にある日本において、現時点で必要な人材だと判断しているから。
だが、批判的思考を離さない私には、その方の物の考え方に「歪み」が見える。
日本国民は気づくべきです、天皇崇拝が強い人、天皇中心主義の方の政治思想は必ず「民主主義」を肯定しない。もっと言うと民主主義を否定している政治思想を持っていることを。
私はある方を注目しているが、その方から「民主主義を肯定する意見」を聞いたことがない。逆に「民主主義は○○○○○が考え出したもの」という否定的な意見は出ている。
この方は民主主義について以下のような発言をしている。
「多数決でやると必ず間違える」
つまり、「民主主義制度はダメだ」と言っているのです。
しかしこの考えは間違っている。
どこがどう間違っているかと言えば、「民主主義」という制度そのものが「悪い政治制度」なのではなく、良くも悪くもなり得る制度であることを理解していないこと。
真実や重要情報を得た上で多数決を取るのと、真実や重要情報を知らずに多数決を取るのではまったく違った結果となること。
民主主義制度の良い点は、「悪王」または「絶対的権力者」を生みにくい制度であること。その反対に欠点とは、民衆が愚民化されれば、実質的に民衆がミスリードされてしまうこと。
つまり、前提である人々の認識如何によって善なる制度にも、悪なる制度にもなり得るということ。国民に良識と必要な情報があるかないかによって結果が違ってくるということ。
民主主義制度自体が悪ではないということです。これをある人物は理解していない。
ただし、ディープステート(黒い貴族)が民主主義制度を悪用していることは事実です。

私が現代の日本社会を見て思うことは、ほとんどの国民が「国民主権」「民主主義」を維持したいと考えているはず。だが、「“過剰に”日本が好きな人」が政治権力を持った場合、部分的に自民党とは真逆の政策を取り、それが国民から受け入れられるはずだが、最終的な日本社会の姿は必ず「天皇中心主義」(戦前の天皇制国家とは違う政治形態)となると推察できる。それが意味することとは「国民主権の削除または制限」となる。なぜならば、天皇中心主義と国民主権は相反する政治形態だから。
ただし、天皇という存在が文化的、宗教的な範囲に限定されるならば国民主権(民主主義国家)は成り立つはず。
その方の発言をずっと観察しているが、現時点では強く「天皇中心主義」をあまり前面に出さず、日本を守るという趣旨の意見を多く発信している。だが、私はその方の中にほとんどの現代に生きる日本国民が望まない政治思想が隠れていることを見抜いている。
誰のことでしょうか?
読者の想像にお任せします。

【東京裁判編】につづく

参考書籍

書籍名:『閉ざされた言語空間』
著者名:江藤淳
出版社:文春文庫

書籍名:『東京裁判を批判したマッカーサー元帥の謎と真実』
著者名:吉本貞昭
出版社:ハート出版

書籍名:『ルネサンスvol.12 GHQが隠した「本当の日本」』
発行人:小川忠洋
出版社:ダイレクト出版

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