【自民党憲法改正草案編③】
憲法を守らない権力者とは独裁者
これまでの記事
【自民党憲法改正草案編①】~自民党憲法改正草案は国民家畜化の暗黒な未来に向かうもの!~
【自民党憲法改正草案編②】~憲法とは何か?~
自民党憲法改正草案の比較と現状
《自民党憲法改正草案の比較》
この後の記事で、自民党憲法改正草案(2012年草案)の分析をしますが、それに関する大切なお知らせをします。
すでに多くの方がご存じだと思いますが、いまだに知らない国民も多くいると思われるため、又はこの記事の内容を誤解しないために注意事項をお伝えします。
【自民党憲法改正草案編】で取り上げた自民党憲法改正草案は、2012年(平成24年)4月27日決定の全文改正草案です。2012年の草案は第二案ですが、それ以降全文の改正草案は公式には存在しません(自民党から発表されていません)。
その代わりに、2018年3月に「改憲4項目(たたき台素案)」をもとに憲法改正の議論を進めています。
2018年のたたき台素案は、一部の改正を示しただけであって、2012年のような憲法条文の全体を改正するような前文改正草案ではありません。
2026年10月5日の時点では、2012年改正案のような全文改正草案は提示されていません。
〈2012年全文草案と2018年たたき台素案の比較〉
2012年の全文改正草案と2018年のたたき台素案を比較します。
2012年の全文改正草案の特徴
・現行憲法の全文を見直した包括的な改正草案(前文全面書き換え、約100条の構成)。
・天皇を「元首」と明記。
・日章旗、君が代を明記し、国民に憲法尊重義務を明記。
・第9条(戦争の放棄)の章名を「安全保障」に変更。戦争放棄を残しつつも自衛権を明記し、「国防軍」を明記。戦力不保持と交戦権否認の2項を削除。
・人権条項では、個人としての尊重を「人として尊重」に言い換え、「公益及び公の秩序」による制限を強調。他にも家族の尊重、助け合いの義務、環境保全の責務などを追加。基本的人権の「侵すことのできない永久の権利」の規定を削除。
・「緊急事態」の新章を追加。宣言、人権制限、緊急政令などを規定している。
・憲法改正手続きでは、発議要件を両議院の総議員の過半数に修正(緩和)。
2012年改正草案に対する自民党の公式見解は、「当時の議論の総括」であり、現在の公約や憲法審査会への提示は行っておらず、「歴史的文書扱い」としている。
2018年のたたき台素案の特徴
・4項目(自衛隊の明記、緊急事態対応、合区解消と地方公共団体、教育充実)に限定した一部の改正。
(詳しくは記事②をお読みください)
・現行9条の1項2項を維持したまま、自衛隊を明記(国防軍の表現はない)。
・2012年改正草案が包括的だったのに対し、たたき台素案では、主に「議員任期延長」「緊急政令」など限定的としている。
・天皇を元首とする明記はない。
・憲法改正については変更なし。
・緊急事態の適用範囲を災害時(災害中心)の国会機能維持と緊急政令に限定し、私権制限の包括規定は見送りとする。
2012年の全文改正草案を非公式(歴史的文書扱い)とし、代わりに2018年たたき台素案を政権公約に記載し、公式な改正案としている。
2012年全文改正草案は「自主憲法制定」に近い全面書き換えに近かったが、2018年たたき台素案をもとにしている現在では、与野党合意、国民投票の現実性を重視した「最小限の部分的改正」としている。
《部分的改正にシフトした隠れた狙いとは?》
〈全文改正草案にせず、部分的改正にシフトした理由とは?〉
全文改正草案から部分的改正にシフトした理由(狙い)とは何か?
ズバリ指摘すると、与野党で合意を得やすくすること及び国民の抵抗、反対を消し込むことと言える。
つまり、「なんとしてでも憲法改正を実現したい」という自民党の怨念にも似た執着があるということ。
彼らは、2012年の全文改正草案では、国民が納得しない、というか大反対をして憲法改正が実現しない可能性が高いと見積もったはず。
そのため作戦変更をし、部分的改正にとどめることで国民の抵抗心を削ぎ落し、憲法改正を実現しようとしているということ。これには限定的な改正であっても憲法改正を実現したという“既成事実”を作らせることとなる。
要するに、自民党は「憲法改正」という結論ありきの姿勢であるということ。
なんとしてでも憲法改正を実現したいがために、妥協することで成立させようとしているということ。
〈2018年たたき台素案の問題点とは?〉
2018年のたたき台素案は限定的な改正だから問題がないかといえば、大きな問題がある。
まず「戦争放棄条項」の現行9条の1項及び2項を維持しながら、新たに「第9条の2」を追加していることは問題がある。
現行9条の1項及び2項を維持するならば、「第9条の2」は必要ない。矛盾している。
〈「2012年の全文改正草案は公式ではないので、分析は意味がない」という主張に対する反論〉
おそらく、2012年の全文改正草案は非公式の歴史的文書扱いとなっているから、その草案を分析することは意味がない、という意見があると思われる。
確かに一理はある。
だが、逆に言うと一理しかない。
2012年の全文改正草案を分析することは非常に大きな意味がある。
それが何かといえば、結局のところ、憲法改正の草案とは、改正者の政治思想の果実であることだ。
政治に関すること、政策、政治活動、そして憲法改正について最も重要な論点とは、改正草案の執筆者がどんな政治勢力(誰)なのかということ。
次に重要なことは、その政治勢力(誰)の政治思想とはどのようなものなのかということ。
憲法の改正をするならば、改正をする側の政治思想は、憲法をどのように改正するのかという中身を見れば分かる。
さらに、改正草案にはどのような国家像を描こうとしているのか、国民の立場や人権などがどうなるのかということが見える。
だから、全文改正草案である2012年の全文改正草案を分析することは、自民党の政治思想及び政治姿勢を見ることに他ならない。
だから意味がある。
いくら改正草案が変っても、政治思想が変わらない限り、その政治思想はどこかで必ず実現(憲法改正)される可能性がある。
ですから、私の記事で自民党の政治思想を読み取っていただきたいと考えている。
もう一つの問題があります。
憲法改正をする際に、その改正憲法全文が公表されないということは、そこに危険性あるいは危惧する事態が潜んでいる可能性がある。
憲法を改正する際に、全文が公表されないということは、あとの部分はどうなるのかが不明ということです。
あとの部分(限定的改正以外の条文)がそのまま維持されると保障していますか?
あとの部分は絶対に現行憲法のまま維持すると公約としていますか?
もし、土壇場または直前で他にも改正があると言い出したらどうしますか?
つまり、たたき台素案で議論を進めるということは、「見えない部分」があるということであり、それに対する国民の不安を解消していないことになるのです。
たとえ限定的な改正であったとしても、その“本質”が同じものであるならば、“効果”も同じものがでるのです(効果が薄まっても)。
さらにもう一つ、危険性が潜んでいます。
全文改正草案から限定的なたたき台素案としたことは、「なんとしてでも憲法改正を実現したいから」ですが、その一回で改正が終わりますか? ということです。
私は、一度改正するとその後(続き)があると睨んでいます。
なぜならば、「緊急事態条項」を入れるからです。
これ一つで、日本国憲法はその性質と方向性を大きく大転換することになります。
はっきりと言えば、4項目の改正で終るはずがないのです。
必ずその先があるはずです。
だから、一度憲法改正を許してしまえば、怒涛の如く日本国は大変革していくはずです。
これは“騙し作戦”なのです。
私は20代で兵法書に親しみました。だからわかるのです。これは「兵法」なのです。
「なんとしてでも憲法改正を実現したい」から、「見せかけの憲法改正」をして、後に本丸の憲法改正をすると思われます。
詐欺師は人を騙す際に「前提」で騙します。この詐欺師の手法の前提にあたるのが「見せかけの憲法改正」です。国民の抵抗心、反発心を抑えて憲法改正の既成事実を作られたならば、その後に待ち受ける本丸の憲法改正を受け入れざるを得なくなります。
もう一度言います。これは作戦です。憲法改正の既成事実を作らせてはいけません。
このことを頭の中に入れて、【自民党憲法改正草案編】をお読みください。
憲法を守らない権力者とは独裁者
《憲法を守らない権力者とは?》
書籍『「憲法改正」の真実』より引用
小林節氏発言
憲法を守らない権力者とは、すなわち独裁者だからです。
〈独裁者が誕生する瞬間とは?〉
2015年9月19日に可決され施行した「平和安全法整備法」と「国際平和支援法」は明らかに憲法第9条に違反しています。
国民が深く理解しなければならないこととは、憲法とは権力者から自由や人権、幸福追求権を守るものであり、権力者が暴れないように鎖でつなぐことで身の安全を確保するものなのです。ですから国民は権力を与えられた政治家(本当は政治屋)たちに憲法を守らせなければならないのです。
憲法を守りながら、憲法が示す法秩序の範囲内で法律等を作り、行政を行うのが政治家の役割なのです。当然、その目的は国家の維持、国民の生命と財産、自由と人権を守ることにあります。
であるにもかかわらず、国民から「主権」を取り上げ、自由を奪い、人権を剥奪するような改憲をすることが意味することとは、「独裁者の誕生」に他ならないのです。つまり、自民党の本質とは「独裁的気質を持った政治勢力」であることで、戦後最大の独裁者がすでに誕生しているのです。ですが改憲前の現在は、その独裁者の力はまだ不完全なのです。これを完全な独裁体制に持っていくものこそが「緊急事態条項(国会機能維持条項)」を憲法に明記する憲法改正なのです。
参考書籍の発言者である小林節氏はもともと自民党内で憲法講義などを行っていた改憲派でした。しかし、自民党の改憲案の悪質性に気づき、自民党の改憲に反対の立場を取っているのです。小林節氏は自民党がもくろむ改憲を「壊憲」と表現しています。
単に憲法を「改める」ではなく、憲法(秩序)を「破壊する」ものだと指摘しているのです。
高市総理大臣による解散権の発動(2026年の衆議院解散)は明らかに憲法違反(第7条違反)です。
また、国民の多くが憲法改正を望んでいないにもかかわらず、憲法改正をしようとすること自体が、とんでもない横暴であり、憲法違反に他なりません。
国民による「憲法改正のうねり(要望)」がない中で、政治家主導の憲法改正は憲法秩序(法の支配)に逆らうものであり、違憲行為なのです。
日本国憲法第99条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。
自民党の党是が「改憲」であるということは、GHQが占領下で作った(押しつけた)憲法を排除し、戦前のような強い国家権力を持つ社会に造り変えようとする意図があることを意味しているのです。なぜならば、自民党とは、戦前の保守層(当時の権力者たち)の子孫や思想的系譜につながる者たちだからです。そのなかに紛れ込んでいるのが統一教会(国際勝共連合)の反日政治勢力なのです。
高市早苗氏を見る限り、憲法の意味をまったく理解していないどころか、身勝手で致命的な間違った考えを持っています。だからこそ憲法を守る気などさらさらなく、平気で憲法違反をするのです。
国民が脳みそに刻まなければならないことは、「憲法を守らない権力者とは、すなわち独裁者(独裁勢力)」に他ならない、ということです。
《憲法改正論議の順番》
書籍『「憲法改正」の真実』より引用
樋口陽一氏発言
憲法の改正を議論する際には、順番があります。前提抜きで単純に○か×かという議論からはじめてはなりません。そもそもどんな必要性があって、どんな政治勢力が、なにをしたいために、どういう国内的・国際的条件のもとで、どこをどう変えたいのか、それによって賛成も反対も分かれる。これが憲法問題の本体の議論の仕方です。
〈憲法改正で最初に来るものとは何か?〉
高市早苗内閣が進めようとしている憲法改正の動きとは、「前提」をすっ飛ばした違憲行為なのです。またそれは同時に民主主義制度を実質的に破壊する行為でもあるのです。民主主義とは、ある問題に対する情報を提示し、主権者である国民が意見を出し合い、その議論を反映した上で政治家たちがさらに議論を重ねていき、最終的に社会規範等を作り出すものです。そのなかには「やらない(法律等を施行しない)」という選択肢も当然出てくるわけです。
おそらく憲法について考えたことがない人、日本国憲法の内容を読んだことがない人は、私が何を言っているのか理解できないかもしれません。
ここで言っている「前提」とは、主権者である国民が現憲法である日本国憲法についてどう受け止めているのかということであり、政治勢力による憲法改正案があるならば、その改正案を全国民に知らしめ、国民に検討してもらい、国民が自分の意見を形成し、それを声に出し、自分たちが選んだ(?)権力者に伝えるという段階のことです。
ここで、国会で発議した後に国民投票で国民に問うのだから、それは間違いではないかという指摘があると予測される。だが、それこそが間違いだ。なぜならば国会議員、国務大臣には憲法を尊重し擁護する義務があるからに他ならない。
つまり、憲法改正について最初に来るのは「国民による憲法改正の意見の総意」なのです。この段階で国民の総意として憲法改正が否定されたならば、政治勢力が憲法改正を行うことはできません。したいならば、改正案を変更するか、時間がかかっても説得をつづけるかしか選択肢はありません。これが日本国憲法から生まれる憲法改正秩序です。
要は、国民の考え(意見)の総意を無視して、政治家たちが両議会で「発議」を起こすこと自体が間違い(憲法秩序に反する行為)だということです。
改正続きの前に憲法擁護義務が立ちはだかっているということです。
憲法改正を政治勢力が行いたいならば、改正案を全国民に周知徹底しなければならず、国民が改正案の中身についてよく考える時間を与えることが必要であり、その結果としての国民の判断の総意を政治勢力は受け止めなければならないということです。もし国民の総意が改憲であるならば、そこで初めて両議会で発議し、さらに最終段階である国民投票を実施することで、もう一度国民に考えるチャンスを与えなければならないのです。
これは主権者である国民とその奉仕者である政治家などの公務員との関係性から導き出されるものなのです。
樋口氏は憲法学者であるからこそ、この「前提」について指摘しているのですが、憲法について知識を持たない国民は「前提」について考えもしないのです。だからこそ改憲しようとする政治勢力はその弱点を突いているのです。
ですから、憲法改正を行いたいと政治勢力が考えるならば、まず改正案を全国民に知らしめ(告知広報の徹底)、考える時間を与え、現憲法と改正案との比較をした結果として国民が望む総意を政治勢力が受け止めて改憲するべきか、改憲を諦めるかを決めなければならないのです。
この「前提」の部分を高市早苗政権はすっ飛ばしているのです(安倍政権でも同じ)。
はっきりと言えば、改憲草案を周知徹底しないということは、一種の騙し戦術なのです。
一種の奇襲攻撃と同じ意味なのです。
樋口氏が指摘しているように、憲法改正を政治勢力がしたいと考えるならば、最初にやることは「改正をする必要性」、「改正後に変る社会の姿」、「具体的な変更点(修正・削除・追加)の内容」を最初に全国民に知らしめなければならないのです。
この憲法改正の前提を高市早苗政権はすっ飛ばしているのです。
この動き自体が民主主義的ではなく、憲法秩序に反し(99条違反)、国民を蔑ろにする行為なのです。これが意味することとは、独裁的手法による権力(政治)の行使なのです。
高市早苗氏の憲法理解は大きな間違い
《憲法とは国家権力を制限するもの》
書籍『「憲法改正」の真実』より引用
憲法とは国家権力を制限して国民の人権を守るためのものでなければならない
〈高市早苗氏の憲法観とは?〉
小林節氏が「憲法とは国家権力を制限して国民の人権を守るためのものでなければならない」という話を高市早苗議員(総理になる前)にしたことがあったという。その際に高市早苗氏が放った言葉とは、「私、その憲法観、とりません」なのです。高市早苗氏は小林節氏が指摘した憲法の存在意義を否定する議論を議場で展開したのです。
そもそも「憲法観」って何でしょうか?
まるで小林節氏の個人的な意見でしかないとでも言いたげな表現ですね。
高市早苗氏は憲法学者である小林節氏よりも憲法に詳しいのでしょうか?
憲法とは明記された法秩序であり、政治家が「取る」「取らない」の選択肢がある問題ではないのです。それさえも理解していない人間が国会議員となっていることに、私は背筋が凍る気持ちになります。
はっきり言って、高市早苗氏の発言内容は異常です。
2026年9月の時点では、高市早苗氏という人物がどんな政治思想を持っているか、支持者が誰なのか、ということは広く国民に知られるようになりました。
憲法第99条にあるように、憲法擁護義務がある国会議員が「私、その憲法観、とりません」などと発言すること自体が憲法を理解していない証拠であり、同時に独裁的気質を持っていることを自ら証明するものでしかありません。
では、国民が施行された新しい法律に対して「私は、その法律に従いません」と言って、違法行為をしたならばどうなるでしょうか?
国民に対する法律と国家権力に対する憲法は同じ法の秩序が発生しているのです。「取るか」「取らないか」という個人的な選択はどこにも存在していないのです。そうした民主主義国家のどこにも存在しない選択を取ろうとする人物のことを、他人(ひと)は独裁者と呼ぶのです。
高市早苗氏という人物は、国民と民主主義国家にとって非常に危険な存在です。
《制限規範と授権規範》
高市早苗氏は小林節氏に対して「国家に新たな役割を担ってもらう授権規範的な要素もいくらかは必要」「授権規範的な考え方が自民党の草案(第一次草案)のなかに入った」と言ったという。
「制限規範」とは、憲法が権力を制限するという側面。権力者が主権者である国民の自由や人権を奪わないようにするために制限をかけるものであり、国民が国家権力を管理するための法規です。
これに対して「授権規範」とは、「授権」とあるように、特定の権限を国民(憲法)が国家機関に与えるもの。たとえば国会が立法権だけを、裁判所が司法権だけを、内閣が行政権だけを行使できるように制限された権力を主権者である国民から「与えられる=授権」権限という側面のこと。
高市早苗氏の論理は、憲法理解の前提が真逆なのです。憲法は国家権力のための道具であり、国家権力の側にあるものが自由に(本当は身勝手に)国家像を描くもの、と考えているのです。
すでに国家権力の座にあるものが、自分たちが国民を管理し、従わせるための憲法秩序に変える(改正)ということの意味は、憲法という最高法規の上位に国家権力者が君臨するということです。しかし、憲法という国家の最高法規とは、国家権力の上位に位置し、国家権力を縛るもの(制限するもの)なのです。
高市早苗氏が主張した「授権規範的な考え方が自民党の草案(第一次草案)のなかに入った」
ということはこの記事を読んでいけばその意味と危険性が分かると思います。
この考えは高市早苗氏のオリジナルではなく、安倍晋三氏の主張そのものなのです。
書籍『高市早苗という病』の著者適菜収氏は冒頭でこう言っている。
書籍『高市早苗という病』より引用
高市早苗は女安倍晋三である。名実ともに、安倍の正当な後継者である。
安倍晋三という政治家がどのような存在だったかは、多くの国民に知られるようになった。祖父の岸信介氏は、総理官邸の土地の一部を統一教会本部として提供し、統一教会の政治部門である国際勝共連合を創設した人物。つまり、統一教会という反日勢力を日本政界に解き放った売国奴。その孫の安倍晋三氏も当然ながら統一教会とズブズブの関係の人物だった。その系譜につながる高市早苗氏もTM特別報告書に何度もその名前が記載され、統一教会側から「高市早苗が日本の総理になることが天の最大の望み」などと言われている人物。
高市早苗氏の政治思想は安倍晋三氏の政治思想と同質であり、同時に統一教会の目指す政策と高市早苗氏の政策はほぼ丸かぶりであることは、多くの国民が知るところとなっている。
過去のこととはいえ、上記の高市早苗氏の発言内容は何の変更もなく、現在実現の真っただ中にある。この危険性を全国民は知るべきである。
高市早苗氏の憲法観(本人の言葉を借りる)は、間違いでは許されないものであり、それが意味することとは、主権者である国民の幸福が破壊されることに他ならない。
書籍『「憲法改正」の真実』より引用
樋口陽一氏発言
国家に与えられている権力は、国民の権利は自由、基本的人権を侵害しないという「制限規範」に縛られた条件付きなのです。そういう認識が彼らにはないのです。
〈自民党の政治思想とは?〉
高市早苗氏を筆頭にして改憲派の政治家たちが、「国家に与えられている権力は、国民の権利や自由、基本的人権を侵害しないという“制限規範”に縛られた条件付き」という憲法の原則を理解していない理由がどこにあるかといえば、彼らの政治思想の中に原因がある。
自民党などの改憲勢力の政治思想とは、戦前の国家のような国家権力が強大な権限を持ち、国民を管理、支配する社会を描くものなのだ。これは反自由主義でもあるが、別な言い方がある。それが「全体主義」に他ならない。
国家のために国民は犠牲になれ、という政治思想であり、国家権力者が国民の上位に位置する国家像なのです。この政治思想は結局のところ民主主義国家の破壊思想であり、主権者を国民から国家権力者に移行する政治思想なのです。
この流れこそが、新世界秩序(=地球統一政府樹立)につながるものなのです。
日本国はいま、新世界秩序完成への道のりに歩き出しているということです。
新世界秩序=地球統一政府が実現(完成)するということが意味することとは、(純粋な)日本民族抹殺であり、伝統的な日本国の滅亡なのです。
つまり、日本人であるあなたとあなたの愛する家族が死ぬか家畜となるかの社会となるということです。
国家権力を構成するものとは?
《国家権力を構成するものとは?》
書籍『「憲法改正」の真実』より引用
立憲主義とは、憲法によって権力を制限し、憲法を権力に遵守させるということです。
~中略~
国民が主権者であるということは、国家権力を構成しているものは「国民の意思」です。
〈自民党の憲法改正草案が狙う本丸とは?〉
自民党の憲法改正の意味は、民主主義国家の破壊でもありますが、それは立憲主義政治の破壊でもあり、その本丸は国民主権を奪うことです。国民主権を奪わないと全体主義または独裁主義国家にならないからです。
民主主義とは、「国民の意思」によって国家権力を構成し、運営されるというものです。
そのために立憲主義が必須となるのです。
ですから「国民の声」が無視され、「国民の生活が苦しくなる」にもかかわらず、一向に国民の生活を守らない政治がまかり通り、重要な政策や法案が国民の目から隠されて施行されたりすることが意味することは、「国民の意思」への叛逆に他なりません。
これは民主主義国家から全体主義国家(独裁体制国家)へと変貌する前兆であり、その途中経過なのです。
民主主義とは、実は情報を操るものにとっては、全体主義体制とほぼ同義なのです。
国民に真実や重要情報を知らせず、国民の興味関心を別なものに向けることで政治に無関心にする。これらはすべて「愚民化作戦」と呼ばれるものであり、国民から正確な情報、必要な情報を奪うことによって、良識と良心を奪うことによって、民主主義の仮面をつけた全体主義体制で国家を運営する方法なのです。
そもそも民主主義とは、国民による支配であり、立憲主義とは、法による支配です。
ですから、法(憲法)に従わず、国民の声を無視して蔑ろにする権力者とは、民主主義及び立憲主義の側にいない存在となるのです。
民主主義と立憲主義の側に立たない政治家とは何かといえば、全体主義の側に立つ存在でしかないのです。
この指摘は、この後指摘する自民党の憲法改正草案の分析で具体的に指摘します。自民党の憲法改正草案を正確に理解すれば、自民党という政党が民主主義、立憲主義の側にいないことがよく分かるでしょう。もちろん自民党の改憲に賛成している政党も同等となります。
自民党のロジック
《自民党のロジック》
書籍『「憲法改正」の真実』より引用
樋口陽一氏発言
立憲主義を民主主義のロジックによって否定しておきながら、民主主義をも放棄しようとしているのが、今の自民党なのです。
立憲主義という「法の支配」も、民主主義という「人民による支配」も否定して、今進んでいるのは、自分たちに都合の良い、「法で」「人民を支配」する政治。それを自民党はやろうとしている。
〈浮き彫りになる日本の危機〉
上記の樋口氏の発言の中に、自民党の正体と日本国と国民の危機的状況が浮き彫りになっています。
自民党とは「自由」と「民主主義」の政党という党名ですが、それは単なる仮面の役割をするものであり、その正体(真の狙い)は、「立憲主義という“法の支配”を否定し、民主主義という“人民による支配”も否定して、国家権力者の“身勝手な法”による独裁政権の支配体制の樹立」なのです。
この流れは、ディープステート研究をしている私の眼には明らかに、「新世界秩序=世界統一政府樹立」へと向かっていると見えます。
世界統一政府とは、世界で唯一の政府、世界で唯一の軍隊、世界で唯一の通貨、世界で唯一の宗教、世界で唯一の経済原理で成り立つ社会であり、支配する側と支配される側には超絶された差があり、支配する側はすべてを牛耳る者たちであり、支配される側はすべてを牛耳られる存在となる世の中なのです。
いま、自民党が進めている動きは明らかに全体主義体制の樹立であり、それが意味することとは、国民から主権者の立場を剥ぎ取り、自由と人権を奪うことで出来上がる強権を持つ全体主義権力の出現なのです。
単純に、民主主義が破壊される、立憲主義が蔑ろにされる、という事態では済まないのです。
【自民党憲法改正草案編④】につづく
参考書籍
書籍名:『「憲法改正」の真実』
著者名:樋口陽一、小林節
出版社:集英社新書
書籍名:『【決定版】白熱抗議!憲法改正』
著者名:小林節
出版社:ワニ文庫
書籍名:『赤ペンチェック 自民党憲法改正草案』
著者名: 伊藤真
出版社: 大月書店
書籍名:『高市早苗という病』
著者名: 適菜収
出版社: ベスト新書
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!