『“保守の憲法論”最終結論【自民党憲法改正草案編⑥】~「前文」「天皇」「国民の権利と義務」について~』

【自民党憲法改正草案編⑥】
「前文」「天皇」「国民の権利と義務」について

これまでの記事

【自民党憲法改正草案編①】~自民党憲法改正草案は国民家畜化の暗黒な未来に向かうもの!~
【自民党憲法改正草案編②】~憲法とは何か?~
【自民党憲法改正草案編③】~憲法を守らない権力者とは独裁者~
【自民党憲法改正草案編④】~自民党憲法改正草案の“真の狙い(目的)”は主権者を「国民」から「政権」に変更する革命に他ならない!~
【自民党憲法改正草案編⑤】~自民党憲法改正草案は自由と人権の破壊に他ならない!~

憲法前文について

《自民党憲法改正草案「前文」》

自民党草案
(前文)
 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
  我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

〈前文修正の趣旨とは?〉

自民党憲法改正草案の「前文」を点数で評価するならば、とても得点は入りません。逆にマイナスの点数となります。
以下に問題と思われる箇所への反駁をします。

天皇を「戴く」という表現は、天皇の権威を強化していることに他ならない。これは現憲法が定める天皇の地位を戦前に近づけるものである。
続いて、「国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」とあるが、天皇の権威が強化されるということは、天皇の側にいる人間が権力を増大させることであり、天皇の名のもとにさまざまな統治権に“似た”権力が発生する恐れがあり、国民主権と言いながら、実質的に現憲法が定める国民主権をひたひたと奪う狙いが読み取れる。当然、三権分立も崩れていく。つまり、「国民主権」と「三権分立」という言葉は、国民を納得させ、憲法改正をするための「罠」と見ることが出来る。
天皇制こそ日本国の歴史だから、その伝統を大切にしろ、と言っていると見て取れる。その真意は、国民主権の剥奪でしょう。

現行憲法が「日本国民は」ではじまっていたのを、草案第一段落は「日本国は」に、第二段落では「我が国は」に変えました。このことは、「国民」よりも「国家」を尊重し、国民主権を後退させていると言えます。

この“主語の入れ替え”は重大な問題です。
現行憲法の「日本国民は」という主語を、「日本国は」や「我が国は」と変更することの意味は、国家の主役が国民から国家となることに他なりません。
前文を修正した目的は、「国民」よりも「国家」を尊重し、国民主権を後退させることにあります。
前文は憲法条文全体にかかってくるものなので、1条から始まる条文が「国家を主役とした憲法」に入れ替わることになります。これは緻密に表現していますが、国家の主権を入れ替える革命と呼ぶべきものです。
決して認めてはいけません。

というのですから、国家と郷土つまり国土を守ることを国民の義務化とする内容となっています。しかも「国民自ら」と言うのですから呆れます。「自ら」という意思の表明は、他人や国家から言われてするものではありません。なのに、自民党の憲法改正草案では、国家が「国民自らの意思で守れ」と言っていることとまったく同義の内容となっている。これは国民個人の意思(良心の自由)を無視した、国家からの強制に他なりません。
こんな草案を認めてしまえば、国民は国家の奴隷となります。
決して認めてはなりません。

さらに指摘すると、前文の冒頭では「日本国は」と言っておきながら、最後の文で「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」としています。要するに国民の目を国家主権に向かせないような姑息な構成となっているということです。多くの国民は勘違いすると思われます。「国民主権という表現がある」「憲法が日本国民の名で制定されている」として、あくまでも国民主権が維持され、民主主義国家に変わりはないと勘違いするでしょう。

ズバリ言えば、勘違いするような構成となっているのです。しかし、現実に自民党の議員たちは憲法違反を繰り返している者たちです。解釈を身勝手に行わないという保証がどこにあるでしょうか。解釈次第でいくらでも国民主権は後退していきます。この前文は国民から主権を取りあげ、国家に移すことを狙っているものです。ただし、騙しの要素を加えてです。ですから、第二弾、第三弾の憲法改正(憲法改正が実現した後に行われる改正)が行われた場合、完全に国家権力主導の国家へ変貌するでしょう。すると国民主権などと言う国家体制は間違っていたのだという価値観が日本中を覆うことになるでしょう。

さらに自民党の憲法改正草案前文では、現行憲法にある「平和的生存権」を削除しています。
何を削除し、何を追加し、何を修正したのかと言う点に改正の意図又は狙いがあります。
国民にとって重要であり、国家の使命というべき「(国民の)平和的生存権」を削除したということは、国家として国民の平和に生きる権利を認めないということです。それが意味することとは、「戦争」であり、国民の自由や人権を奪った「国民奴隷状態」とつながります。
こんな恐ろしい憲法がありますか?

前文を読むだけで、自民党という政治勢力の正体が理解できます。
「平和的生存権」を削除したということは、「国民一人ひとりの平和を享受する権利」を剥奪したということです。
これは「平和主義」を否定するものです。
「平和主義の下」という表現がありますが、前文全体に言えることは、相矛盾する表現が入り混じっていることです。
こうした手法は詐欺師の手法です。真実の中に嘘を入れ込むという手法と同じ効力を持つものです。
国民は「平和主義の下」という表現があるから、この先も日本は平和主義を維持するのかと勘違いしてしまうのです。ですが、「(国民の)平和的生存権」を削除しているのですから、国民個人の平和主義は廃され、国家における平和主義が台頭するということを意味するのです。前文の主語は「日本国は」で始まるので、「平和主義の下」という表現があてはなるのは国民個人ではなく国家であると推測されます。
この前文の変更に隠された狙いは、「戦争を肯定する国家体制」です。
決して認めてはなりません。

まだあります。
「我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる」というのですから、国家を成長させるために国民が存在している、という国家ありきの視点になってしまいます。
つまり、国民は国土と自然環境を守り、国家を繁栄させるために努力しろ、と言っているようなものです。これは国家が国民に奉仕する国家像ではなく、国民が国家に奉仕する国家像でしかありません。
現行憲法の意味とは、真逆となってしまっているのです。
決して認めてはなりません。

まだまだあります。
それは「憲法を制定する趣旨」についてです。憲法前文とは具体的条文全体の趣旨を表わすものです。別な言い方をすれば憲法条文全体の方向性を決めるものです。
そもそも自民党の改正草案は改正ではなく、新憲法制定の趣旨が隠れています。彼らの狙いとしては改正ではなく新憲法制定と認識しているはずです。
自民党が新憲法を制定する趣旨は、「伝統と国家を子孫に継承するため」としているため、国家が主役となっています。これは憲法の存在意義である「国民個人の尊重を実現するために国家権力を縛る」又は「国家権力を規制する規範」という趣旨を骨抜きにしているものです。
このように自民党の憲法改正草案前文の内容は、国民を統治するための規範として復古調の条文を明記するものであり、近代立憲主義を放棄する内容となっています。明らかに戦前の日本社会を目指すものと言うしかありません。
決して認めてはなりません。

《憲法前文について》

〈矛盾する自民党の説明〉

自民党の改正案前文について、片山さつき議員が以下のような発言をしている。

「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権説をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するためには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!2012年12月6日」

しかし、2015年4月に当時の安倍総理がアメリカの連邦議会で以下のような演説をしている。

「日米同盟は、米国史全体の、四分の一以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。
自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です、それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです」

2012年に人権を制限させる改正草案を書いておきながら、2015年に安倍氏はぬけぬけと「法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観」と言っている。まるで自民党の政治は、法の支配に添い、法秩序を遵守し、国民の自由と人権を尊ぶ政治思想を持っていと言わんばかりの発言をしているが、これは2012年の憲法改正草案の条文の内容とも、片山さつき議員の発言内容とも、高市早苗氏の「その憲法観を取りません」という発言とも、相容れない矛盾したものでしかない。
国民のみなさん、こうして国民を騙していることを理解してください。
詐欺師がどうやって人を騙すのかと言えば、善人の仮面をかぶって、良いことを言うからです。しかしその仮面の下に隠した本性は口から出たきれいごととは真逆のものなのです。
本音を言っても従ってくれないから、きれいごとを言って賛同させ、隠した意図を実現するのです。
安倍晋三氏については、さすが高市早苗氏の師匠と言えます。
(何が“さすが”なのかは、読者が想像してみてください)

〈非理法権天〉

自民党には以下の言葉を贈ります。

「非理法権天」とは、非道(理に外れたこと)は「道理」に勝てず、道理は「法律」に勝てず、法律は「権力」に勝てず、権力は「天道(自然の摂理・神仏の意思)」には勝てないという意味。
人間は騙せても、天(神仏)は騙せないということであり、政治権力者が最高の権限を持つものではないということ。

片山さつき議員が語った、「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権説をとるのは止めよう」という価値観は、深く読み解くと「神仏の否定」です。神仏の存在を否定するということは、地上にある最高の権力者が自分たち政治家であると暗に言っていることと同じです。さらに、この考えと同じ思想があります。
それが「共産主義」です。
共産主義とは、法律や憲法の上位に共産党という政治勢力が君臨し、共産党を率いる書記長または国家主席が国家体制の最上位に君臨するというものであり、法の支配から抜け出た権力が支配するというものです。
当然ながら、共産主義は唯物論であり、無神論です。
要するに、神仏を否定し、その否定した神仏の立場に座るのが共産党であり、書記長(または国家主席)となる政治体制なのです。

おわかりですか?
片山さつき議員が語った内容も、国民主権の否定であり、民主主義の否定なのです。目指しているのは共産主義国家と同等の強大な権力を持つ政権であり、国民を従える国家像なのです。
自民党の日本国憲法改正草案の中身とはそういうものなのです。

宗教的価値判断から見ると、自民党の憲法改正草案(政治思想)とは、神仏への叛逆と言うべきものなのです。
「神仏への叛逆」、どこかで聞いた言葉ですね。
そう、ディープステートと呼ばれる闇の世界権力(=黒い貴族)の価値観です。

天皇条項について

《自民党憲法改正草案「天皇」》

自民党改正草案
第一章 天皇
(天皇)
第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

(国旗及び国家)
第二条 国旗は日章旗とし、国家は君が代とする。
2 日本国民は、国旗及び国家を尊重しなければならない。

(天皇の国事行為等)
第六条 天皇は、国民のため、国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命し、内閣の指名に基づいて最高裁判所の長である裁判官を任命する。
2~3(略)
4 天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による。
5 第一項及び第二項に掲げるもののほか、天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う。

〈元首とは何か?〉

では、問題点を洗い出す。
まず、1条で「天皇は、日本国の元首」としている。
では、「元首」とは何か。
「元首」とは、対外的に国家を代表し、対内的には国家の最高機関として位置づけられる存在。外国に対して国を代表し、条約の締結や外交使臣の接受などを行う人のこと。
つまり、国家の統治者として国政を統括するか、国家の象徴・儀礼的な最高位を務める存在で、国家の最高責任者を指す。
明治憲法では、天皇が「国の元首」と明確に規定されていた。

しかし、自民党の改正草案では、前文でも見たように「矛盾」が存在する。天皇を「元首」としながらも、その後で「日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」としている。これでは元首なのか象徴なのかが明確ではない。こうした矛盾がなぜ起こるのかと言えばその理由は2つ。自民党の憲法改正草案を執筆した者たちの頭が悩乱しているか、策略があるかのどちらかであると言える。

改正理由に「…天皇が元首であることは紛れもない事実」とありますが、憲法学説ではむしろそれとは異なる考えが多数であり、立論の出発点にまず問題があります。
また、元首であると明記することは、天皇の権能(権利を主張し行使できる能力)を実質化・拡大させるおそれがあり、ひいては天皇主権を強化し、国民主権を弱めるおそれがあるでしょう。

伊藤真氏よりも、私は強い懸念を抱いている。自民党の憲法改正草案は必ず続きがあると予想している。その先に続く本丸(本流)の改正草案を成立させるための布石としての改正草案であると考えている。とするならば、「天皇は元首」とする改正草案とは、いずれくる天皇制を復活させるための仕掛けにすぎなくなる。しかし、この場合の天皇が本当の天皇なのか、易姓革命的に神武天皇の血流を受けていない者が天皇を名乗るのかは不確かなことと言える。物事は、相対的に見るべきであり、個々の事象を切り離してみるべきではない。自民党による皇室典範改正、皇位継承問題はこの憲法改正とつながっていると見るべきだ。

「…天皇が元首であることは紛れもない事実」?
一般的に元首とは、国家統治の権能を持つ者を指す。現憲法下では天皇には統治権も権能もない。あくまでも国民統合の「象徴」にしか過ぎない。だからこそ元首とは言いきれないということが、憲法学、国家論から導き出される答えである。
それを自民党は「天皇が元首であることは紛れもない事実」という嘘(誤魔化し)を使って、自分たちの描く憲法に改正しようとしている。
詐欺師は必ず“前提で騙す”ことを理解する必要がある。
「天皇は元首」とする改正案の前提こそが「天皇が元首であることは紛れもない事実」であり、この前提を受け入れてしまうと、その後は騙され続けることになる。
元首であるならば、天皇は国際会議等に出席しているのか?
現天皇の立場は、統治権、権能を奪われた状態であり、伝統的な国家の象徴的立場以外のなにものでもない。
自民党の憲法改正草案天皇条項とは、明治憲法の時代に戻ることを意味する。

二つ目に問題なのは、「日本国民は、国旗及び国家を尊重しなければならない」と国家に従う義務(尊重)を明記している点。
これは、国民の上位に国家を置く狙いがあることは明らかであり、この条文によって国家に逆らうことを権力で抑える口実を与えることとなる。この条文に基づいて法律を作れば、戦前の「治安維持法」という悪法が蘇えることができる。何しろ国家の最高法規に「国民は国家を尊重しろ」と明記されているのだから、法律の裏付けがばっちりできていることとなる。国民には抵抗する術がない。もちろん国民が憲法改正を望んでも「国家を尊重」しなければならないために憲法改正は不可能になる。
著者の伊藤真氏はこう言っている。

「個人と国家という二つの価値が衝突したとき、国家が尊重されるのであれば、そのことが国防義務や徴兵制の法制化に根拠を与えるとともに、国家の元首である天皇に対しても、天皇尊重擁護義務すら引きだされうるのです。ひいては、現行憲法では削除された不敬罪のような刑罰をもって、天皇や国旗、国家への尊重・忠誠を法律上強制されかねないと言えます。

国民が理解しなければならないことは、憲法とは国家の最高法規であり、法律等は憲法秩序に従って制定されることです。ですから憲法に何が書かれているのかということは、次の問題としてどんな法律が制定されうるのか、という問題につながってくるのです。ですから、自民党の憲法改正を単なる「憲法改正」という限定した問題に捉えずに、その後に待ち受ける法律の制定を視野に入れて考える必要があるのです。
自民党の憲法改正草案は明らかに立憲主義に背くものであり、憲法に国民の義務を明記することは抑制的でなければならないのです。ですから現行憲法では「納税」「教育」「勤労」の3つしか国民の義務としていないのです。

何より恐ろしいことが、「国家を尊重しなければならない」という条文は「義務」であり、国民個人の自由や人権と国家の運営と衝突した場合、国民はこの条文によって「国家を優先しなければならなくなる」ということです。この義務は思想・良心の自由を侵害する恐れが大きい。また人権も踏みにじられる恐れが大となる。

重要なことを指摘する。自民党の憲法改正草案にある「国家」とは、国家権力を意味し、その本質とは「時の政権」となる。つまり、国民は政権に従わなければならないと言っているのです。この“真の狙い”を読み取る必要があるのです。
自民党の憲法改正草案とは羊の皮を被った狼に他ならないのです。

三つ目の問題は、天皇の国事に関する全ての行為に関することで、「内閣の進言を必要とする」こと。及び「衆議院の解散が、天皇の権利ではなく事実上内閣総理大臣(の進言)に移った」こと。
「進言」という語彙の意味は、目上の人や上位の人に対して、自分の考えや意見を言うときに使う言葉です。逆に上位者からアドバイス等をもらうときに「ご進言ください」などと使うことは誤用であり失礼な表現となります。
天皇が国事行為をするためには、「内閣の進言が必要」とするということは、内閣より上位者が天皇ということになり、国家権力の最高位に天皇が位置すると捉えることができます。
また、天皇が国事行為をするためには、「内閣の進言が必要」というのですから、実質的には内閣が天皇をコントロールする権限を持つことになります。内閣の進言がなければ、天皇は国事行為をすることは出来なくなるということです。
著者の伊藤真氏はこう言っている。

進言とは本来、目上の者に対して意見を述べることを言います。この言葉をつかうことによって、上下関係を意識させることは、天皇の権能を強化し、国民主権を後退させることにつながるでしょう。一般に、天皇の権能を強化することが問題なのは、それを政治的に悪用されると、国家権力の中枢部分を都合のいいように動かせるからです。

さらに指摘すると、「衆議院の解散が、天皇の権利ではなく事実上内閣総理大臣(の進言)に移った」とする条文の意味は、本来「衆議院の解散権」は現行憲法では天皇の権利となっていますが、実質的に衆議院解散権が内閣の独立した権限となることを意味する。
しかし、現行憲法では、“明確に”衆議院解散権は明記されていない。それを内閣に規定する狙いがあると言える。

自民党の憲法改正草案の(天皇)(国旗及び国家)(天皇の国事行為等)の条文の特徴が、天皇の地位を強めるという隠れた狙いが一貫して見える点にあります。
これはGHQがやったことの逆をやろうとしているのです。GHQは天皇の統治権を奪うために国民に主権を移した。今度は自民党が国民から主権を奪うために天皇の地位を強め、あわよくば権力を持たせようとしているのです。しかし、実態は、天皇が権力を持つことではなく、天皇の名を悪用する政治家たちが強い権限を持つことになることは、戦前の社会を思い出せば簡単にわかると思います。
この手法は、明治維新を成功させた手法なのです。
虎の威を借りる狐戦法です。

国民の権利と義務について

《国民の権利と義務》

現行の日本国憲法の特徴が、基本的人権を書く際、保障したことです。
自民党の憲法改正草案は、国民にとっての幸福の基である基本的人権を剥奪するに等しい改正をする内容となっています。

自民党草案
第二章 国民の権利及び義務
(国民の責務)
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

(人としての尊重等)
第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

〈自由と権利の関係性〉

自由、権利には「責任」と「義務」が伴う??
何を言っているのでしょうか?
めちゃくちゃな法的価値観です。

そもそも人間は個人としてこの世に生を受けたことによって「自由」と「人権」が与えられなければならないのです。自由と人権がない世界とは自然界のように弱肉強食の世界でしかありません。人間に自由を与えたのは権力者ではなく、創造主なのです。それを創造主気取りで、「人として自由と人権を与えるが、当然責任と義務を課す」とは何様でしょうか?
「権利」と「義務」は別物であり、法秩序においては区別される概念です。
「自由」には「責任」がともないますが、国家権力側は国民の自由を、国家権力の恣意的な考えに依らずに、最大限尊重しなければならない立場にあるのです。
国家権力者の役割とは、国民個人の自由と人権を守ることにこそあるのです。
なぜならば、国民あってこその国家だからです。国家とは国民を幸福にするためにこそ存在しているのであって、国民が国家を幸福にするために存在するのではないのです。国家は国民のためにこそ存在するのです。

「個人」を「人」に変えることは、たいへん重要な変更点です。個人の尊重とは、人権・宗教・性別などを超えて一人ひとりを大切にするということであり、個人のための国家であって国家のための個人ではない、つまり全体主義ではなく個人主義(利己主義とは異なり、個々人の主体性を重んじること)であるという、とても重要な考えだからです。
立憲主義は「個人の尊重」と結びついています。近代立憲主義は、中世までの身分制秩序から個人を解放し、自由な意思を有する自律的個人の人権保障を目的とする考えです。

国民一人ひとりの自由や人権を制限する法秩序(憲法改正草案)とは、全体主義に他ならない。決して民主主義でも立憲主義でもない。
「全体主義憲法」、これが自民党の改正草案の正体である。

立憲主義がなぜ「個人の尊重」と結びついているのかと言えば、中世までは貴族制または王制による統治がなされていたが、それは言葉を変えれば「身分制」なのです。人は生まれによって尊い存在と卑しい存在に分けられるという考え(秩序)です。しかし、生まれによって人はその価値が決まらないということが、世界的宗教の教えなのです。
身分制は、王族や貴族たちが無能でも統治者としての器が極小でも、権力の座につくことができ、その結果、庶民は嫌なことでも苦悩することでも我慢して耐え、従うしか選択肢がない世の中なのです。
近代憲法の発生理由は、こうした不当な支配からの変革にあったのです。
いうなれば、不当な支配からの解放こそが、近代憲法の果たした役割であり、成果なのです。
自由に考え、自由に発言し、自由に職業を変え、自由に住居を変え、自由に恋愛や結婚ができ、不当な権力者の要求から自由になるために「人権」が保障されるようになったのです。
自民党がやろうとしていることは、近代憲法が人々に与えた「自由への解放」を「隷従の檻」に閉じ込めることなのです。
自民党の改正草案は、明らかに国民個人よりも国家全体を重視または上位に位置付けていることは明白です。その言葉こそが「公益及び公の秩序」という鎖です。この言葉によって国民を縛ろうとしているのです。
これは本来の憲法の存在意義と真逆であり、本末転倒の事態と言えます。
重要な指摘をすれば、自民党の改正草案では、国民一人ひとりの人権より「公益及び公の秩序」が上位概念となっていることです。「公益及び公の秩序」の発信者は誰ですか。国家であり、国家権力を握る者たちです。
この恐ろしさに国民は気づくべきです。

【自民党憲法改正草案編⑦】につづく

参考書籍

書籍名:『「憲法改正」の真実』
著者名:樋口陽一、小林節
出版社:集英社新書

書籍名:『【決定版】白熱抗議!憲法改正』
著者名:小林節
出版社:ワニ文庫

書籍名:『赤ペンチェック 自民党憲法改正草案』
著者名: 伊藤真
出版社: 大月書店

書籍名:『高市早苗という病』
著者名: 適菜収
出版社: ベスト新書

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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