はじめに
今回は武田邦彦氏のブログ『武田邦彦ブログ』のある動画(ブログ?)に対する反論記事となります。
はじめに伝えますが、アチキは日頃から武田氏のブログ(YouTubeチャンネル)の意見を拝聴している者です。
武田氏を尊敬もしています。
その科学的な見解と真実を真実として発言する勇気には頭が下がる思いです。
ですが、武田氏にも苦手な分野があるように見受けられます。
それは「宗教に関する分野」「政治に関する分野」だと感じています。
要するに武田氏は「理系の分野」には強いが「文系の分野」には弱いと感じています。
これはアチキとは逆です。
今回以下のタイトルの記事(YouTube)に対して少しも納得がいかないため反論させていただきます。
YouTubeチャンネル『武田邦彦ブログ』タイトル「武田先生、実はね…ある新聞社幹部から聞いた『絶対に表に出ないヤバい話』!メディアがひた隠しにする闇の部分について触れたいと思います」(10月2日の記事)
陰謀論が多い?
《陰謀論が多い?》
武田氏は冒頭でいきなりこう切り出します。
「世の中にはものすごく“陰謀論”が多いんですね」
「ネットをみると10に1つは陰謀論じゃないかと思うぐらい陰謀論が多いんですね」
〈陰謀を陰謀論と呼ぶ語彙のすり替え〉
まず、重要な点を指摘する。
「陰謀」と「陰謀論」という語彙を同一のものとして議論することは間違いである。
「陰謀」と「陰謀論」の違いは記事の最後で論じるが、陰謀を陰謀論という語彙にすり替えて問題を誤魔化すのが陰謀を企む者たちの常套手段である。
武田氏はみごとにその手法(罠)に陥ったということである。
議論をするならば、正確な語彙表現をもとに論じることだ。
《陰謀論の主体者は誰か?》
武田氏は陰謀を企む存在をこう述べています。
「主に陰謀論はユダヤの人たちの陰謀、国際金融機関の陰謀、資本の陰謀。そればかりではなく、ロックフェラーやロスチャイルドなどの具体的な会社の名前をだした陰謀論」
「それが極端な場合、世界の政治のほとんどすべてを牛耳っている」
「陰謀論の大きなところは国際的な超金持ちとユダヤ系が主流じゃないかと思いますね」
〈武田氏の弱点とは?〉
これは馬淵氏等が指摘している論調(著書)を否定することであり、馬淵氏等の主張に対する冒瀆とも受け取れる。
馬淵氏は外交官として世界中の政治の裏側をその目で見てきた人物である。
その馬淵氏が指摘している「ディープステート=国際金融資本家」を否定するほど歴史や政治に精通しているのか、と武田氏に問いただしたい!
武田氏の弱点は「歴史=政治」にあり!
《武田氏の主張する民主主義の前提は崩れている》
武田氏は陰謀論と民主主義について以下のような発言をした。
「私が陰謀論を使わないのは、私が民主主義を信奉しているからなんですね。あの民主主義っていうのはですね、基本的には万機公論に決し、報道の自由があるということが前提にありますね。現在の日本が必ずしも万機公論に決していないところもあります。それから報道の自由が守られているといってもあまり守られていないような感じもいしたします」
「民主主義というものがその根幹である報道の自由があって正確な情報が国民に伝わり、しかも万機公論に決して議論が十分に行われるならばですね、たとえ最初に陰謀があってもですね、その陰謀が露見するはずなんですね」
「だから、もしも陰謀というものがこの世の中を支配しているとするならば、逆に言えばこの世の中は民主主義じゃないってことです。報道の自由が無いと、万機公論に決してもいないということです」
「私の言っていることが万機公論に決していれば、どれもこれも受け入れられるんですが…」
〈万機公論も正しい報道もなされていない〉
武田氏には「民主主義信仰」があるようだ。
だが、現実の社会は「民主主義の仮面をつけようとも万機公論はなきが如しであり、報道は大きく偏向している」のが現実である。
武田氏の指摘している「民主主義の前提」が万機公論と報道の自由であれば、現実の社会は民主主義とは呼べないこととなる。
その矛盾に武田氏は気づいていない。
そもそも民主主義の根幹を「報道の自由」としている点が間違いである。
民主主義の根幹は「言論の自由」である。
報道の自由はメディア等が主体であり、言論の自由は個人が主体である。
民主主義とは国民一人ひとりが主役であるという政治システムなので、民主主義の根幹は報道の自由ではなく言論の自由となる。
報道の自由は、主権者である国民の言論の自由を担保するために介在するものでしかない。
重要な点は、日本という国家において「報道の自由」とは憲法などの法的根拠を持っていない、ということである。
普段、憲法に反するなどと発言する武田氏が憲法に規定のない報道の自由という言葉を持ちだすのは笑止千万でしかない。
ここで持ちだすべきは報道の自由ではなく「言論の自由」であり「表現の自由」であるべきだ。
報道機関はNHKを除けばみな民間企業である。
民間企業とは営利目的の組織である。
自社の思想や方針に沿った報道をして当然といえるものである。
それが武田氏には理解できていないと見える。
「現在の日本が必ずしも万機公論に決していないところもあります。それから報道の自由が守られているといってもあまり守られていないような感じもいしたします」
と語っているではないか?
自分で民主主義が機能していないと言っているのだ。
実際、武田氏は自身のYouTubeチャンネルの記事をYouTube側から削除されるなどの言論弾圧を受けているではないか!
それのどこが万機公論で報道の自由(言論の自由)なのか?
武田氏の論調は、万機公論と報道の自由らしいが、そのどちらも現実の社会では存在しない(完全なかたちでは)。
武田氏の考える民主主義とは「万機公論」と「報道の自由」であるならば、すでに民主主義でない社会となっているということだ。
自分の主張に大きな矛盾があることに気がついていないようだ。
《科学的実験主義では陰謀を暴けない》
武田氏には政治に関する認識に誤りがあり、宗教は素人と思える。
政治は一色で染め上げることもできないし、裏も表も、またさらなる裏もあるものだ。
そうしたことが武田氏には理解できないようだ。
結局、武田氏の思考は「科学的実験第一主義」であり、「データ重視主義」でしかない。
「アメリカの大統領の政策にも陰謀があり、民主党の政策にも陰謀があり、共和党の政策にも陰謀があり、すべての国のすべての政策はディープステート、つまり国家の下に深い国家があって、その深い国家を支配しているのが国際金融資本だったり、ユダヤ人だったりして、その人たちの思うさまに世界がコントロールされているという風に言っておりますね」
「もし、それが本当ならば民主主義っていらないじゃないですか。なんで選挙なんかするんですか。なんで新聞があったりテレビがあったりするんですか。それが全部無駄だと言っているわけですね。これは逆に言えばですね、記者クラブが機能しないとか、NHKが国民に本当のことを知らせないとか、そういうことになるわけですね」
「今度の新型コロナウイルスですね、これは国際金融資本家(ディープステート)はあまり関与していないと思いますが、やはり本当のことは非常に流れにくくなってますね。報道されないし、議論も出来ないかたちになってますので…」
〈民主主義を誤解している〉
「それが本当ならば民主主義っていらないじゃないですか。なんで選挙なんかするんですか。なんで新聞があったりテレビがあったりするんですか」
武田氏の主張は、選挙が行われ、新聞があるのだから民主主義であり、ディープステートが存在するはずないという論調である。
日頃尊敬する方に言うのは失礼であるが、「幼稚な論理」だと言っておく。
メディアとはディープステートの手足である。
メディアとディープステートは切っても切れない関係にある。
また、ディープステートが存在することと選挙が行われること、報道機関が存在する事とは別問題である。
それを一緒に論じるのは偏見でしかない。
正しい見解は、「民主主義だからこそ、ディープステートはメディアを利用できる」ということだ。
もし、プラトンの主張するような完全な徳を持つ哲人王が善い意味での独裁をしていれば民主主義は必要ない。
なぜなら、常に市民を幸福にする判断をし、社会を良き方向に導くからだ。
民主主義の最大の目的は、悪王(独裁者)を輩出させないための制度である。
しかし、盲点は悪王=独裁を企てる者が権力の座についていない場合、支配を企む者が大人数(集団)である場合、民主主義のメリットが機能しなくなる、ということだ。
そこをディープステートが利用していることを武田氏はまったく理解できていない。
だから武田氏には政治が苦手だと言っているのだ。
《武田氏は陰謀についていくつも自身で語っている》
武田氏は発言の中で陰謀を認めている。
「万機公論によらずに否定されるケースが多いんです。その場合は何かの陰謀があるわけなんですね。例えば血圧が高い方が健康に悪いと、これ陰謀なんですが、この陰謀が成立するためには厚生労働省とお医者さんがグルになって、あと製薬会社ですね、降圧剤を売るためにそういう間違ったデータを出し、間違った解説をする。するとみんながそれで洗脳されますんでね。自分の頭が洗脳されたものはそれと違うことを聴くと腹が立つという原理がありまして…」
〈陰謀を語る武田氏の矛盾〉
武田氏は、「ダイオキシンの問題」「地球温暖化つついて」「高血圧が健康に悪いという科学的見解について」「NHKの石油枯渇報道について」などの問題を指摘しているが、それはまさしく陰謀論を自身で語っていることになる。
その矛盾に気がついていないのはどうかしている!
「陰謀なんです」と認めているではないか!
重要なことは「陰謀」を「陰謀論」という「仮説」=「議論レベル」に置き換えないことだ。
《民主主義のもとでこそ陰謀は生まれる》
武田氏の認識の根本の間違いがここにある。
「実は私はね、陰謀論というかたちで処理すると、本当は陰謀論じゃないと思うんですよ。つまり、報道が正確じゃなく、かつ万機公論に決しない、つまり議論を避けてある人にレッテルを貼り…」
「ある意味では陰謀論であっても議論ができるわけですね。つまり、正確な報道と万機公論があれば、陰謀というのは民主主義の下では存在しないはずなんですね」
「なぜ陰謀論が展開されるかと言うと正確な報道がなくて、万機公論がないから、陰謀が幅を利かせるんだ。もし、正確な報道があり、万機公論があって、国民がそれでいいと思ったのなら、陰謀でもなんでもなくて、事実が伝えられ、国民の議論を経て、正しいという方向に進んでいるんですから、何も悪くはないんですよね」
〈武田氏の根本の間違いとは?〉
「陰謀論であっても議論ができる」
議論ができることと陰謀が存在するかどうかは、別次元の問題である。
議論ができるから陰謀は存在しないという理論は成り立たない。
武田氏の根本の間違いがここにある。
「正確な報道と万機公論があれば、陰謀というのは民主主義の下では存在しないはず」
いまの新型コロナウイルスおよびワクチン(ワクチン接種被害等)の情報を見れば万機公論もなく、議論さえ全くなされていないことは明白ではないか。
武田氏の主張通りで解釈すれば「正確な報道」と「万機公論」がないのだから、「陰謀は民主主義の下で存在する」となる。
ご自身が言っておられる発言の意味が分かっているのか??
《陰謀論は民主主義に反しない》
このポイントも武田氏の根本の間違いを示すものである。
「露見している陰謀は陰謀じゃないと思うんですよ。露見してみんなが支持して実施した。一番最初が陰謀でも、その陰謀が露見して…。そんなの陰謀じゃないと思うんですよ」
(大東亜戦争について語っている)
「陰謀論は民主主義と反するので、私としては事実としても存在しないし、事実ではないと考えております」
〈露見と陰謀(企み)は別問題〉
「露見している陰謀は陰謀じゃない」
これはまったく議論になっていない。
露見したから陰謀ではないという定義が完全に的外れであることを武田氏は気がつくべきだ。
露見したかどうかではなく、何らかの利益や目的のために企みを企てたかどうかが、陰謀があるかどうかなのだ。
理論にさえなっていない!
「陰謀論は民主主義と反する」
武田氏の主張の核がこの主張だと思われる。
要するに、武田氏には「民主主義信仰」があるのだ。
しかし、現代社会において民主主義が取られたのは歴史の必然であるが、その最大のポイントは悪王などの独裁者を防ぐための政治的手段として民主主義が誕生したことだ。
そして民主主義の最大の欠点が、「衆愚制」である。
衆愚制とは民主主義の主体である国民が正しい選択、正しい判断ができないときに、その集団が多数決によって決することが間違った方向に進んでしまうということだ。
要するに、民主主義とは国民に良心や高度な判断力が必要であり、正しい知識や真実の情報を得ていない状態または思考停止状態であれば、洗脳や誘導をされ、間違った方向に進んでしまう、ということだ。
この原理をディープステートたちは利用していることに武田氏は気がついていないのか、論じていない。
結局、武田氏の論理は「民主主義における衆愚制」を考慮しない幼稚な政治理論ということになる。
要するに、民主主義と陰謀は切っても切れない関係にあり、ディープステートにとって民主主義があればこそ支配体勢(裏側からの)が作り出せるのだ。
よって、民主主義と陰謀は結びつくのだ。
《武田氏の論調はNHKそっくり》
とにかく、今回の武田氏の論調には矛盾が多い。自身が NHK の言っていることは「全部嘘」だと言っているではないか。
公平な報道機関として存在するはずのNHKが嘘ばかり言っていると武田氏は主張しているではないか。
なのに、万機公論、報道の自由があれば民主主義の下では陰謀は存在しないとはどういうことか?
武田氏の今回の主張はNHKが制作した「陰謀論にかんする番組」と瓜二つである。
(注:夏ごろにNHKが放送した『ダークサイドミステリー』「なぜ人は陰謀論にハマるのか?イルミナティとアメリカ」という番組とそっくりな主張をしている)
自分で否定しているNHKの論調とまったく同じことを言っていることに気がつかないならば、論客としての資格はない、といっておく。
NHKの言っていることが「全部嘘」ならば、NHKの番組と同じことを言っている武田氏の今回の主張も「嘘」となるが、それでよろしいか?
陰謀とはなにか、陰謀論とはなにか?
《陰謀と陰謀論は別次元の言葉》
武田氏に限らないが、「陰謀論」を否定する人たちの間違いが「陰謀」と「陰謀論」をごちゃまぜにして論じる点にある。
〈陰謀とは?〉
陰謀とはなにか?
陰謀とは、
「ひそかにたくらむ悪いはかりごと」
「人に知られないようにねる計画のこと」
歴史的表現では「~の変」と呼ばれる。
別な言い方をすると、
「特定の人や集団が自分たちの利益を生み出すために、他者を犠牲にして密かに企むこと」
「特定の人や集団が自分たちの目指す政治目的を実現するために、敵対する勢力や存在を陥れる企み(はかりごと)を計画すること」といえる。
歴史上には陰謀が溢れている。
その事実を直視しないのは正直な論理とは言えない。
〈陰謀論とは?〉
陰謀論とは何か?
陰謀論とは、「偶然の一致から起こった出来事などを、何者かの企みだとする“論”を意味する」
「ある出来事や事件について、事実や一般的に認められている説とは違う謀略によるものであると“解釈”する考え方」
「強大な権力を持つ人物や組織が、一般市民に知られないように不正な行為をして操作をしていると“推論”するもの」
一般的に「陰謀論」という語彙は、偏見や不十分な証拠に基づいているという否定的な意味をもって使用される。
つまり、「陰謀論」とは、「論」であり「解釈」であり、「推論」なのだ。
陰謀論とは陰謀が土台にあって初めて成り立つ議論や仮説でしかない、ということだ。
「陰謀」は「企み」「計画」そのものなので、陰謀と陰謀論は別次元の問題となる。
《陰謀論という語彙を使用し、陰謀を否定することこそDSの狙い通り》
要するに、「陰謀」を「陰謀論」と語彙のすり替えを行うことで、問題の本質を巧妙にすり替えて陰謀を否定または目を逸らす手法なのです。
ですから、陰謀を陰謀論と呼んではいけないのです。
陰謀は陰謀です。
陰謀論という仮説(議論)に置き換えることで陰謀の隠蔽を企むものなのです。
「陰謀論」という語彙表現は、陰謀を企む存在が、陰謀を否定するため、または陰謀を暴こうとする者を攻撃するために使用している武器としての語彙なのです。
ですから、陰謀論という議論はあっても良いが、陰謀を陰謀論という次元に落として否定することは危険なのです。
要するに、陰謀論という語彙は陰謀を否定する議論レベルでの“陰謀”なのです。
なお、付け加えると武田氏の新型コロナやワクチンなどの真実を伝えようとする姿勢には大いに共感と尊敬の念を抱いています。
ですが、今回の内容は陰謀を企む者たちへの援護射撃と成り得る、という一点で論破いたします!
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした