『犬と猫にとっての最大の不幸とは? ~劣悪な環境で犬猫を飼育する業者にもの申す!~』

【犬の飼育数を制限】

ペットを愛する人たちにとってとても気になるニュースがありました。
環境省の検討会で、一部の悪質な業者から動物を守るため、飼育できる数に上限を設ける案が取りまとめられました。(8月12日)
検討会では、悪質な一部の業者から犬や猫を守るため、動物愛護法に基づく省令の作成を進めているということです。

背景には、一部のペットショップやブリーダーによる、劣悪な環境でペットが飼育されていることがあります。

検討会での焦点は、ペットショップやブリーダーが飼育できる数(特に犬)だといいます。
検討会での最終案は以下の通り。

犬の場合、
「ブリーダーは親犬を1人15匹まで」
「ペットショップは従業員1人につき20匹まで」
を飼育の上限とします。

猫の場合、
「ブリーダーは親猫を1人25匹まで」
「ペットショップは従業員1人につき30匹まで」
を飼育の上限とします。

その他にも、繁殖の回数やケージの広さ、爪の手入れが適切に行われているかなども取り入れられました。

ニュースでは、埼玉県のとあるペットショップのバックヤードが映し出されていました。
そこには小さなケージや段ボールに入れられた犬や猫が窮屈そうにしています。
これは直視することが辛い光景です。
入れられているケージの大きさに犬や猫の身体のサイズが全然あっていません。ある猫は足を真っ直ぐ立てることができずに、人間で言えば半腰状態でいます。
しかも、狭いケージは何段にも重なっています。

これがもし、人間だったら「拷問」ですね。
刑務所でさえもっと自由な空間があります。

狭いケージから出られるのは、糞尿の世話をするときだけ。
そんな劣悪な環境では、犬猫の心身がまいってしまわないか心配になります。

《杉本彩さんの訴え》

動物環境・福祉協会Eva杉本彩代表理事は、

「バックヤードで小さな自分の体のサイズにも合わない小さなケージに閉じ込められっぱなしで具合が悪くなっても医療も受けられず放置されている。問題になった繁殖場では400頭を2人で面倒をみていた」

と述べ、動物たちの命が軽視されているとし、一人あたりが飼育する数を制限するべきだと訴えました。

杉本さんが提供した写真では、ほとんど身動きできないケージに入れられた犬や猫が悲しい目をしてなにかを訴えているようにこちらを見つめています。
とても胸が痛みました。
(ニュースで流れたペットショップの写真は杉本彩さんが代表を務めるEvaが提供したもの)

【繁殖数制限に繁殖業者が抗議!】

この環境省の犬猫の繁殖数制限に繁殖業者が猛反発しているそうです。
環境省には、抗議のメールや電話が殺到しているという。

悪質な繁殖業者がいるようだが、きちんとしたブリーダーもいる。
しかし、「悪貨は良貨を駆逐する」という現象によってまともな業者は悪質な業者の犠牲になる。
一部の悪質な業者がいるせいで、ちゃんと犬猫の世話をしている業者が迷惑を被る。

逆に言うと、こうした規制に猛反発しているのは悪質な業者だということを自ら証明しているようなものだ。
まともな業者は、多少の戸惑いはあっても基本的にはこうした動きには賛成する。
(ただ、混乱はあるだろう)

それでも、現状では役所などが悪質な業者を指導するための指針(数値等)がないことで、人類のベストフレンドが劣悪な環境に置かれているとしたら、救済処置を取るべきだろう。

ほんの一部だと思いたいが、数十匹を繁殖させたあげく、引退後に処分されるケースもあるという。
それはまさに犬猫を“金を生み出す工場”としか見ていないものだ。
拝金主義のなれの果てにしか過ぎない。

犬や猫の命を尊重せず、愛情もない業者は駆逐されるべきである。

【なぜ規制が必要なのか?】

なぜこうした規制が必要なのか?
それは、規制がない限り行政側が飼育されている動物たちの適正な育成のための指導ができないからです。

「400頭を2人で面倒をみていた」
なんて、あり得ません!

1匹、2匹だってちゃんと面倒をみようとすれば大変です。
人間ですから限界はあります。
2人で400頭などというのは、もはや面倒を見ているとは言えません。

悪質な繁殖業者は、犬や猫を牛や豚などの家畜としか思っていないのでしょう。
そうでなければそんな飼育環境はありえません。

犬と猫には人間に対する愛情があり、人間に“癒し”を与えてくれる“生命”だということを理解していないのでしょう。
犬と猫は、人間に近い動物なのです。

だから、こうした規制をしようという動き自体は正しいものであると思うでありんす。
犬と猫は人類にとっては特別な存在。
他の家畜とは違い、ベストフレンドと呼んでいい。
犬猫を家畜のように扱って、繁殖の機械として扱い、挙句の果てに廃棄するようなことは許してはいけません。

【不幸なペットを無くすために人間がなにをするべきなのか】

《ペットにとって一番の不幸とは?》

ペット(主に犬と猫)にとって何が一番不幸なことなのかというと、それは飼い主に捨てられて、役所の人に捕まり、殺処分されることだと思います。
この人生(犬生? 猫生?)の結末以上に悲しくて不幸なことはないと思います。
また、捨てられて食べる物もなく死んでいくことも、とても不幸なことです。

たとえ飼い主が先に亡くなっても、たとえ捨てられても、新しい飼い主が見つかり、飼い主の愛情を受けて、飼い主の愛情のもとで虹の橋(あの世の橋)を渡るなら、幸せでしょう。

人間の人生でもそうですが、苦難困難、不幸、逆境があっても、人生の最後で愛を受けながら旅立つことができれば、「いい人生だった」と呼べるのではないでしょうか?

しかし、裏切られ独りぼっちで死を迎えるとしたら、人間でも悲しすぎます

役所に捕まった犬や猫は数日の後に、殺処分されます。
それまで冷たい空間の中で死を待つのみ。
飼い主もいない。
誰も愛情をかけてくれない。
誰も名前を呼んでくれない。
無機質な空間での孤独は耐えがたいものです。
それは人間でも犬猫でも同じではないでしょうか?
孤独恐怖におびえながら、1秒が1時間に感じるような精神的苦痛を味わうのです。
不吉な予感に苦しみながら、見捨てられて死を迎える。
犬猫にとって、これ以上の不幸があるでしょうか?

もし、そうした状況が人間におきたらどうでしょうか?

これはナチスが行ったアウシュビッツなどの強制収容所と同じではないでしょうか?
捨てられて孤独のなかで死んでいく犬と猫は、ナチスによって殺された状況と同じとしか思えません。

もちろん、行政の人がそれを望んでいるわけでもないでしょう。
ですが、殺される犬と猫とすれば、人間でさえ味わったことのない恐怖を感じているのではないかと思います。

《人間が友である犬と猫のためにできることは?》

人間は人間のための社会を築いてきました。
近年まで、法律的には犬猫は家畜と同じ扱いでした。
それがいま変わる転換点となるかどうか、という時期にようやくなったのです。

車に乗る方はたまに見ると思いますが、道路で猫が車に轢かれていることがあります。
どうして猫を車が轢いても犯罪にならないのでしょうか?
どうして轢かれた猫は物として処分されてしまうのでしょう?

猫好きの人間には、とても耐えられない悲しみです。
まして飼い主ならば、我が子が悲劇にあった苦しみと同じです。

猫の事故死が物として扱われる社会は、人間重視社会であり、他の動物の命を軽視する社会であると思うのです。

そういっても、犬や猫に選挙権を与えろとか市民権を与えろとかいっているわけではありません。
人間に近い生き物として、犬と猫の命の尊厳を守る社会にするべきだと思うのです。

そのためには、

「ペットを捨てない」
「愛情を持って最後まで育てる」
「もし、なんらかの事情が出来てペットを飼えなくなったら場合に、飼い主のいなくなった犬猫の引き取りを行政と民間で行う」
「犬猫などの伴侶動物の殺処分禁止の法を施行する」
「もっと身軽にペットを探し、引き取れるシステム(アプリ)を作る」
(婚活アプリのようなもの)

こうしたことが必要ではないかと思います。

アチキは、犬猫の殺処分を禁止する法案が一日もできることを願います!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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