『よそ者こそ変革する力を持つ者! ~時代を変える人材とは?2~』

求めよ時代の変革者

シリーズ「時代を変革する人材」の2回目です。
今回は時代を変革する三者(「若者」「よそ者」「ばか者」)のうち、「よそ者」を取り上げます。

【よそ者とはなにか?】

そもそも「よそ者」って、なんでしょうか?

よそ者を別の言い方で表わすと「部外者」です。
つまり、その組織、集団からみれば畑違いの人物ということです。

その組織文化の中で過ごしてきた者ではなく、その組織風習に染まってきたわけでもなく、その組織と違う経歴を持っている者、ということです。

日本人は普段あまり意識しないですが、世界中から見れば、明らかに違う点があります。
それは“異質なものをなかなか受け入れない民族”である、という特徴があります。
それは地政学的に周りを海に囲まれた島国であること、単一民族で長くやってきたことが深く関係しています。

それと日本が農耕民族であったことも日本社会を形成することに深く関係しています。
農耕民族と狩猟民族の違いは、強いリーダーシップを必要とするかしないか、ということと集団で同じことをするのか、それぞれが違う役割をするのか、という社会の違いです。

安倍総理などを見ていると、農耕民族のリーダーの代表選手としか思えません。
つまり、強力なリーダーシップを発揮するのではなく、周りのおぜん立てで指揮を取る御神輿型の政治です。

話は戻ります。
農耕はみな同じ作業をします。
特別他人と違うことはしません。
(創意工夫はのぞく)
そこに平等主義、同質主義が生まれます。

一方、狩猟はそうではありません。
狩りをするには実力がものを言います。
狩りには能力が必要なのです。
集団で狩りをするにはリーダーの存在が欠かせません。

日本社会は単一民族が島国に住んでいたことと農耕民族であったことによって、平等意識が強く社会に根付いたのです。

これが企業であるとその企業の風習、慣習に染められる、ということになります。
そして同質の企業文化をもつ者に対して仲間意識を持つと同時に、部外者には疎遠、阻害、場合によっては迫害することに繋がります。
(現代社会では、さすがに露骨にする人はほとんどいませんが・・・)

日本の官僚組織が縦割りなのは、これらの意識、慣習が日本人の社会の根底に深く根ざしていることをなによりも表しています。
自分の所属部署とそれ以外の部署とを意識的に分けているのです。

日本人は、同質性を本能的に求め、集団外の存在を簡単に受け入れない深層心理を持っているのです。
(これは日本人全体をみたときのこと。個々には違う性質である)

【よそ者はなぜ変革者となりうるのか?】

諺に「岡目八目」というものがあります。

意味は、

「物事の是非や損得は、当事者よりも利害関係のない第三者の方が事の善し悪しがよく見えて、正確な判断ができる」

ということです。
(「大きい活字の故事・ことわざ辞典」より)

つまり、部外者であるがゆえに客観的に物事を見て考えることが出来るということです。

部外者は、その組織の中で形成されてきた慣習、風習、行動様式、掟などに縛られていません。
その組織文化の色に染まっていません。

だからこそ、違った視点で見ることが出来、その組織の純粋培養の人物では考えられないことを発想することができるのです。

何かを大きく変革(改革)するときは、いままでの常識、慣習を疑わねばなりません。
ですが、長年その組織の風習、慣習に染まってきた人物は、そうした組織色から脱却した思考を持つことが難しいのです。

ビジネス用語にボトルネックという言葉がありますが、企業体が事業を進めていくと必ずどこかの時点でボトルネックにぶつかります。

そして、そのボトルネックをクリアしないと先に進めない、それ以上発展しないようになっています。

しかし、ボトルネックを解決するには、いままでの延長線上の発想では解決できないことがほとんどなのです。
こうしたときに必要なのが「よそ者」の発想なのです。
よそ者は、その集団の慣習、慣例に染まっていないがゆえに、その組織からすると異質な発想をする、これが一つ。

もう一つは、人間関係のしがらみがない、ということです。
ある集団、組織に所属してずっと過ごしていると、当然その中で人間関係が形成されます。
ところがその人間関係は良い面もたくさんあるのですが、「改革」「変革」となると支障をきたすことがあるのです。
ある改革案を思いついても、そのためにはある人物を排除しなければならない。
また、ある人物が改革案に反対している。

こうした事態が起きることで、改革が進まない、もっというと改革そのものが起きてこないことがあります。
「いままで通りやってりゃいいんだ!」
という意識です。

こういう人間が上層部、上司にいると部下や現場の人間は組織改革、業務改革をしたくてもできないのです。

これはその組織にずっと所属してきたがゆえの“人間関係の縛り”です。
また、人間は自分が所属する組織を大切にするがゆえに、所属する組織の立場でしか物事を見なくなります。
それはその組織を好きであればあるほど、その組織に恩を感じていればいるほど、そうなります。

よそ者は、この“人間関係のしがらみ”がないのです。

ですから、改革の発想が出やすく、改革への抵抗感が少ないのです。
よって改革者となるのです。
(よそ者であれば誰でも改革者になれるわけではないのでご注意ください。)

【ビジネスで活躍するよそ者】

古い話ですが、アサヒビールの商品で“スーパードライ”というビールがあります。
このスーパードライはビール業界では、革命的な商品だったのです。
また革命的だからこそ大ヒットしたのです。

なにが革命的かというと、すでに世に広く知られているので、いまさら言うまでもないですが、ビールの味における「コク」と「キレ」が合わさった商品だからです。

スーパードライが生まれる前は「コクのあるビール」か「キレのあるビール」のどちらかで、両立はあり得ないと言われていました。
それがビール業界の常識でした。
常識ですから、ビール業界の人たちは誰も「コクがあってキレもあるビール」なんて発想しませんでした。
初めからそんな商品は出来ないと決めつけていました。
これはビール業界でずっと過ごすことでその組織に存在している知識や経験にとらわれてしまったということです。

しかし、当時のアサヒビールはキリンビールとサッポロビールに差をつけられた、どちらかというと負け組だったのです。
当然経営は傾きます。

そこで傾いたアサヒビールを立て直すために、アサヒビールに送り込まれたのが、主要銀行であった住友銀行(だったと記憶しています)からきた樋口廣太郎さんだったのです。
つまり、銀行マンがビール会社(ビールだけではないが)の経営をすることになったのです。
樋口さんは、ビールという商品の製造方法に通じていたわけでもないのに、ビール業界に関してド素人なのに経営することになったのです。

樋口廣太郎さんがアサヒビールの社長に就任してやったことは?
キャンペーンガールを集め大々的に世間の人にビールを試飲して感想をもらった。
ライバル企業であるキリン、サッポロの経営者に会いに行き、自社への批判と意見を訊いた
それによって、時間が経ったビールの味が落ちていて、それが評判を落としていたことを知り、時間のたった商品(味の落ちた)の在庫を惜しげもなく処分した。(これには莫大な経費がかかりました)
消費者が求めているビールの味が「コクがあってキレがあるビール」だと知って、スーパードライを生み出した。

簡単にいうとこうなりますが、これはアサヒビールという組織の中で純粋培養して出世した人間では不可能なことです。
また、ビール業界で長く仕事をしてきた人にも不可能です。
なぜか?

それはすでに示しましたが、要するに、いままでの常識を当たり前だとして、常識を疑うことをしないからです
いままでの慣例に従うことが正しいことだと信じて新しい発想をしなかったからです。

樋口廣太郎さんはアサヒビールからすれば「よそ者」です。
ビール製造、販売という観点から見ても「よそ者」です。

「よそ者」だからこそ、組織文化が当然とすることに縛られず、組織の人間関係に縛られることなく、大胆な経営が出来たのです。

ですから、もし停滞、衰退している組織体、企業などがありましたら、「よそ者」を起用する、または「よそ者を参謀につける」などを行うことで改革することです。

大胆な改革は、純粋培養の社員では無理に近いくらい難しいのです。
(なかには改革できる人材もいますが、その場合「時代を変革する三者」の他の二つに該当していると思われる)

経営が傾いた日産をV字回復させたカルロス・ゴーン氏もよそ者でしたが、よそ者らしくよそへ行ってしまったので、この話はしません。

【歴史上で活躍したよそ者】

明治維新も「よそ者」が起こした革命です。

江戸時代の権力者は徳川幕府でした。
もう少し広く見ると御三家、親藩、譜代大名などを含めた勢力と言えます。

ですが、新しい政府(時代)を作ったのは薩摩藩、長州藩を中心とした外様藩でした。
薩摩藩と長州藩は関ヶ原で西軍に属した、いわゆる負け組です。
徳川幕府の主流は、関ヶ原の合戦で東軍に属した勝ち組の藩が中心です。

「よそ者」を別な見方で表現すると「傍流」です。
主流派でない傍流に属する人(存在)と言えます。

明治維新とは、当時の政治権力でいうと「よそ者」であり「傍流」の薩摩と長州の志士たちが起こした革命なのです。

また、もう一つ政治的にみて「よそ者」という意味があります。
それは明治維新の志士たちの多くは武士の世界での傍流なのです。
武士の世界には階級があり、上士が権力を握れる存在であり、下士は直接政治にタッチできませんでした。
ですが、実際に時代を動かしたのは、当時の権力をもつ上士たちではなく、地位の低い下士たちでした。(あくまでもその多くがという意味)

これは政治集団の中で見たときに(権力構造からみて)、実質的には「よそ者」または「傍流」の下士たちが新しい時代を作ったということになります。
傍流だからこそ、その時点での政治勢力の人間関係に縛られることなく、その時代の常識にとらわれることなく行動できたのです。

明治維新とは、その当時の傍流でよそ者たちが起こした政治革命だったのです。

【歴史に現れる見えざる力(法則)】

歴史には必ず見えざる力が働きます。

歴史に現れる見えざる力とは?

時代を変革するのはその時点での傍流派(よそ者)だということです。

傍流な人たちが立ち上がり時代(社会)を変革し、やがて主流派となります。
それが時間の経過と共に力を失うと、やがて傍流にいる者たちが主流派を倒します。
または主流派に取って代わります。

「傍流が主流になる(主流派が傍流派に倒される)、主流派と傍流派が入れ代わる」、この繰り返しが歴史の流れなのです。

この場合の傍流派とは、よそ者であると同時にその時点での生まれたばかりの勢力、または主流派に属さない小さな勢力という意味を持ちます。

【マスメディアに見るよそ者の存在(主流と傍流との攻防)】

よそ者の存在は、政治の世界や企業だけではありません。
マスメディアの世界にもこの力(法則)は働いています。

いまの時代における主流のマスメディアとは?
それは「ネット」です。

世間の人はまだ強く意識していないかもしれません。
まだまだテレビの影響が大きいと思っている。
テレビがメディアの中心であり、主流だとの認識を持っている方も多いのではないでしょうか?(特に中高年以降の年代の人たち)
もしかしたら当のテレビ局の人たちがそう思い込んでいるかもしれません。

ですが、2020年のこの時点でのマスメディアの主流はテレビ業界からみれば「よそ者」で「傍流」で「小さな勢力」にすぎなかった「ネット勢力」に取って代わられています。

すでにマスメディアの入れ替わり(主流の)は起きています

危機感を感じたテレビ業界はネットに上がる投稿を引用、紹介したり、またネット勢力と同居することで生き残りを計ろうとしています。

すでにマスメディアの主流派の座をネット勢力に譲り渡しているテレビ業界ですが、テレビもその昔、ラジオや新聞がマスメディアの主流だった時代に「よそ者」「傍流」として現れ、やがて時代を取って代わった、という歴史を持ちます。
ラジオと新聞が主流の時代を駆逐して、テレビの時代を築いてきたのです。

江戸時代のメディアは瓦版です。
瓦版が明治の世に新聞となります。
新聞がメディアの主流となり時が流れると、ラジオやテレビが登場します。
すると、ラジオやテレビに主役の座を明け渡しました。
(新聞はいまでも情報源として有効)
ですが、そのマスメディアの主流の地位をいまはネットにほぼ奪われています。

あいつぐテレビ業界の不正な報道姿勢がネット勢力で暴かれ、叩かれることでテレビ業界はその正体を世間に知られると同時に信用を失いつつあります
テレビ局がネット局にでもならない限り、テレビ局という企業体は不要となる時代がもうそこまで来ています。

さあ~、どう生き残るでしょうか?

そして、いまのネット勢力であるTwitter・Facebook・インスタグラム・YouTube・ブログなどもいずれかの時点で新たなメディアに取って代わられるでしょう。
(ただし、動画勢力は一番強いメディアとなることが予想されます)
次なるメディアの主流はVRなどの三次元的メディア、または仮想メディアと思われます。

新しい時代の勢力は、小さな力しかなく、傍流と見られる存在から始まります

時代の変化には必ず“兆し”があります。
その兆しを発見するコツは時代の「よそ者」「傍流」に目を向けることです。

時代は変化しなければいけません。
「脱皮しない蛇は死ぬ」という諺がありますが、企業体も政治勢力も新しい力が発生しないと、停滞、衰退するだけとなります。
社会の停滞と衰退は人々の幸福を生み出しません。
よって見えざる法則(力)が働くようになっているのです。
新しい時代をつくることで、新しい社会の幸福をつくる見えざる歴史の力が働くのです。

【改革、革命を求める人や組織へのアドバイス】

政治を改革したいなら、現政権以外、現職の議員以外の新しい政治家を求めることです。
傍流の未知なる人材や勢力を求めることです。
既存の勢力外の勢力へ目を向けることです。

企業を衰退から救い発展させるには、部外者を起用し、部外者の知恵を借りることです。

社会を変革したいなら、社会の傍流に目を向け、その人たちの意見に耳を傾けることです。

時代の変革の先端には「よそ者」がいるのです。

ですから、時代が変わっていくのを見つけたいのなら、「よそ者」に注目することです。

同時代に生きていると時代を変える「よそ者」を見つけ出すのは非常に困難ですが、歴史が教える教訓からすれば、そういった「よそ者」は、必ずどこかに存在しています。

時代は「よそ者」によって変革される。
それが人類の歴史の法則です。

【ご意見番は改革を求める!】

国家にしても企業にしても、その組織を変革するためには“よそ者”の力が必要となる! よそ者を重要視することが変革と発展繁栄への道となる!

お読みいただき、ありがとうござんした!


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