『国民には政治家を批判する権利があり、政治家は国民からの批判を受け止める義務がある!』
この国が民主主義国家であると言うならば、この国が法治国家であると言うならば、憲法という法の理念に則って国民は政治家を批判する権利を有している! 国民は主権者なのだから、政治家の言動に注視し、国民を不幸にし、国家を誤らせると信じる政策に要望・反論・批判・非難するべし!
この国が民主主義国家であると言うならば、この国が法治国家であると言うならば、憲法という法の理念に則って国民は政治家を批判する権利を有している! 国民は主権者なのだから、政治家の言動に注視し、国民を不幸にし、国家を誤らせると信じる政策に要望・反論・批判・非難するべし!
すでに日本乗っ取り計画は深刻な段階にきている! そのことに日本全体が気付き抵抗(対抗)しなければ、近い将来、日本は日本人のものではなくなるでしょう!
今後、放射線育種米が全国的に広がり、既存の品種を扱わないような行政指導・政策が行われるならば、それが意味することは「放射線育種米を作りたくない農家は廃業しろ!」なのです。 それは回り回って日本の農業の衰退でしかなく、同時に外国産の安全性が疑わしい米の輸入にもつながっていくのです。 食の危機は「国民の命と健康の危機」であり、食料自給率は「自国防衛」を意味しているのです。
農水省穀物課の方の回答は「詭弁」以外のなにものでもありません。 こういう手法を何というか? 「ごまかし」と言うんです。 主権者である国民、それも農業に携わっている人(石原さん)から「放射線育種米の問い合わせ」がきたにもかかわらず、危険性については「害がない」「語弊がある」などとはっきりと答弁しているにもかかわらず、カドミウムの被害(米の)に関しては「無回答」なのです。 国民は知るべきです、「官僚が無回答をする理由」を!
人間が浴びたら死ぬであろうレベルの放射線(放射能)をかけて奇形変種にされた米を、あなたは食べたいですか? 不自然な奇形品種米を食することを、いったい、誰が望んだのでしょうか?
「努力義務」という騙し言葉の肝心な点は「任意の否定」です。 「努力義務」という矛盾に満ちた語彙を使用した隠れた理由は、「責任回避」です。 国民主権と自由が否定された社会へ変貌するための移行期間を構成する要素、または全体主義から独裁主義への意向する中間的な社会としてその“つなぎ”を担うのが「努力義務が幅を利かせる社会」なのです。
『努力義務』とは国民への“誘導装置”(誘導する言語表現)であり、国民を思うままに操るための道具にしか過ぎない、と言っておきます。 今後の日本のあり方を決める意味でも、『努力義務』という言葉を受け入れるか、意義を唱えるか、どちらの勢力が多いかで決まってくると言っておきます。
「昆虫食」の最大の問題は、はっきりとした理由、科学的根拠を持った“昆虫食を食べなくてはならない理由”がないことです。 食品を提供する側が有意な立場に立つという現象は、自由主義経済ではなく社会主義経済の姿なのです。 昆虫食の推進は社会主義経済の始まりであり、自由主義経済の死滅への道なのです。
基本的に、人間が昆虫を食べるという食文化は不必要です! 人類の食の歴史から昆虫を食べる理由は導き出されません! そもそも食料危機と昆虫食を結び付ける科学的根拠はありません! うじ虫やコオロギ、ゴミムシダマシなどのゲテモノを食べたいと思う人は、どうぞ食してください。 しかし、食べたくない人に押し付けたり、それが人間にとって必要不可欠だと主張することは絶対に止めてください! と言っておきます。
歴史が教える教訓とは、新しい国家をつくるには新しい人材が必要だということです。 既存の政治家、既得権益に縛られた政治家、背後にいる存在に操られている政治家では、真に新しい国家をつくることはできません。 いま必要なことは明治維新のように人材の“全入れ替え”です。 それなくして日本は主体的な国家運営はなされず、日本はいつの日か乗っ取られてしまうでしょう。 新しい時代を創造するのはいつの時代でも“新しい人材”なのです。