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エールを送る!

『ワクチン後遺症の患者を治療する長尾医師が刑事告訴に出た! ~医者ならば患者に寄り添い治療に全力を傾けるべき!~』

「意見」は、相手の主張に反することであっても、相手の人格を否定するものではありません。 単なる「考え」の違いを提示するものです。 ですが、「悪口=誹謗」は、相手を傷つけるために発されるものです。 議論と喧嘩が違うように、意見と誹謗もまた違うものなのです。

『嘘つきとの論争に困っている人にエールを送る!【後編】 ~嘘つきは地獄へ落ちる!~』

嘘つきは、 素直に相手の苦言を聞き入れることができないのです。 素直に自分の過ちを認めて謝罪することができないのです。 素直さの欠如、謙虚さの欠如、そして反省ができない、これが噓つきに共通する特徴です。 要するに、自己愛が強く、うぬぼれが強いのです。

『嘘つきとの論争に困っている人にエールを送る!【前編】 ~嘘つきの論法とは?~』

嘘つきはなんでもありです。 ルールを守って闘う者と、ルールを無視してやりたいことをする者とは、一見ルールを守る方が不利な展開になることもあります。 しかし、宇宙を貫く法則は捻じ曲げることができません。 嘘は必ずいつの日か、バレます。 ですから、嘘つきとの論争において「議論に負けた」と思った方がいましたら、そんなことはないと言っておきます。 なぜなら「真実を語ること」そのものが「勝利」だからです。 「嘘をつくこと」そのものは「敗北」だからです。 それが宇宙を貫く法則です。

『実名、顔出しでイジメと闘う佐藤和威さんにエールを送る!【後編2】 ~イジメ撲滅を阻害する要因(大人たち)とは?~』

イジメ問題の最深部とは、「イジメ問題に深く関わろうとしない教師」の問題である。 イジメをする人間に共通する要素がある。 それは「悪いことをしても悪いとは思わない」ということと「悪いことを指摘されても反省しない」ということ。 反省して改めるのではなく、「自己弁護」「自己防衛」に励む傾向がある。 善悪の区別がつかない子供を育てた責任は親にあり!

『実名、顔出しでイジメと闘う佐藤和威さんにエールを送る!【後編1】 ~裁判の限界と裁判官に潜む問題とは?~』

イジメ被害者が教師(学校側)に申告、相談しない原因は被害生徒にあるのではなく、教師(学校側)にあるという認識が正しい教育の姿勢であり、ことの是非の判断である! 重要なことは「真面目な人がバカを見る社会」「悪いことをした人が罰せられない社会」「落ち度のない被害者が救済されない社会」は人間不信と社会不信を生み出す、ということだ。

『実名、顔出しでイジメと闘う佐藤和威さんにエールを送る!【中編】 ~学校側と保護者には、本当に責任がないのか?~』

「私は、12歳だった当時の僕のため、そして、同じようにイジメ被害に苦しむ人のために、もう一度、勇気を振り絞って闘いたいと思います。この裁判を通じて、イジメで苦しむ子が少しでも減るような世の中になることを心から願っています」 「市側にあった加害行為(安全配慮義務違反)は認められませんでした。第一審と同じように、“こういう被害行為にあった子どもは、死んだほうがいい”と言われているようなもの。このような判決だと、当時の自分を含め、同じような被害にあっている子というのは救われることはない」

『実名、顔出しでイジメと闘う佐藤和威さんにエールを送る!【前編】 ~これはイジメと呼ぶべきではなく、犯罪と呼ぶべき(一審裁判)~』

「イジメ」とは何でしょうか? 「イジメ」は、なぜなくならないのですか? 「イジメ」はどうすればなくなるでしょうか? 2013年3月に当時の教育長は記者会見で以下の発言をしている。 「本件はイジメではなく、犯罪である」

『新型コロナワクチン特例承認取消訴訟にエールを送る!【後編】 ~東京地裁の裁判長の暴挙は法治国家と国民への冒瀆!~』

この裁判の重要な意義は、「国が長期安全性の確認もしないまま特例承認し、全国民に接種させようとしている安全管理上の是非、人道上の是非を問う」ということです。 傍聴者の報告の通り、「木原弁護士が係官4人の腕力によって退廷させられ、廊下に投げ飛ばされた」のならば、これは立派な暴行事件となります。 ひとりでも多くの人が、真実を求めるべきです。 そうした意味でも、この裁判のゆくえを見守り、訴訟を起こした人たちにエールを送ります!

『新型コロナワクチン特例承認取消訴訟にエールを送る!【前編】 ~メディアの偏向報道にもの申す!~』

この訴訟はワクチン特例承認取り消しに対する訴訟ですが、問題の本質は引用したコメントにあったように「この訴訟は死者、重篤者の多すぎるワクチンにたいして是非を問う大切なもの」なのです。 その本質から国民の目をそらそうとする報道は報道機関としてはあるまじき行為です。

『どこがポリシー違反なのか? 理不尽極まりないYouTubeからのペナルティ【後編】! ~真実と正義を求める「言論という刀を持つサムライたち」にエールを送る!~』

基本的なスタンスは、「ポリシーは人類の普遍的な価値観に基づくこと」、「自由な意見による発言の場と議論の場、または多様な価値観の表現の場を提供すること」でなければなりません。 プラットフォーム企業とは『場』を提供する存在であって、何が良くて何が悪いかという善悪を判断する『場』ではないからです。 結局、言論統制、言論弾圧をするということの意味するものはビッグテックやメディアが“統治者”になるということです。 「言論の自由」を守る戦い、「表現の自由」を維持する戦いとは、ディープステートとの戦いなのです。