『YouTuber張陽氏の「桜、花之世界の侍」にもの申す!【前編】 ~現代によみがえる武士道精神の体現者~』

YouTuber張陽氏、「桜、花之世界の侍」にもの申す理由について!

まず初めに述べておくことがあります。
今回の記事は、張陽氏を批判するものではありません
それどころか、アチキは張陽氏のファンであり、彼の情報収集能力、情報分析能力に尊敬の念を抱いておりんす。

しかし、第100回の動画「桜、花之世界の侍」を視聴し、少し“物足りなさ”を感じたので、ご意見番としての「武士道諭」を世間の人に伝えることにいたしました。
それが、今回の記事を出す理由です。
誤解なきようお願い申し上げる!

Youtuber 張陽氏が語る「桜、花之世界の侍」とは?

Youtuber張陽氏の第100回「桜、花之世界の侍」を拝見いたしました。
しかし、張陽氏の語る「桜の花」「武士道」に関することについて、いささか“物足りなさ”を感じました。
(内容自体はすごく良い話です)

そこでまず張陽氏の語ったことを振り返ってみます。
張陽氏の語った内容は、どちらかというと武士道よりも桜の花の精神を語ることに比重が置かれていたと思います。

以下は張陽氏のYouTubeから多くを引用しています。

《張陽氏の語る桜と武士道について》

張陽氏は、冒頭でこう述べています。

「桜は武士道の中で重要な部分でもあります」

張陽氏は、2000年に『武士道』という著書に出会って、桜が武士道の象徴であると認識したと述べ、著者である新渡戸の言葉を引用しています。

「武士道は日本の象徴である桜花に勝るとも劣らない日本の土壌に固有の華である」

(注:『武士道』は新渡戸稲造が欧米に対して日本人の精神的支柱を紹介したもの)

張陽氏はこう述べました。

「桜が必ず武士道のある気質や美徳を代表しているに違いないと思っている」
「でも、武士道の何の気質?何の美徳を代表しているのか分からないです」

張陽氏は、武士道と桜の花の関係をずっと考え続けたのです。
そして、あるとき(2003年春)、帰宅途中で街灯の下にあった桜を見て悟ったのです。
その悟りとは?
張陽氏が見た桜は、すでに満開の状態を過ぎた散る寸前の桜でした。
張陽氏がずっと桜を見上げていると、どこからともなく風が吹いてきて、桜の花びらがハラハラと落ちていきました。
張陽氏は、このときある種の瞑想状態となり、散って行く桜の花びらと同化したような感覚を味わったといいます。
そのとき突然ひらめきます。
そのひらめきとは、「桜が武士道の象徴であることの真意」でした。

それは桜という花が他の花と違って蕾(つぼみ)が芽吹いて開花してから三分咲き、五分咲き、七分咲きとなり満開になる。そして桜の花は満開の状態からパッと散っていく。
桜の花はしなびて枯れて散っていくという過程を踏まずに一気に散るという特徴がある。

張陽氏は本当の侍を「仁」「義」「弱者を助ける」と定義してこう語っています。

「本当の侍は、いくら高い地位を持っていても、いくら尊い名誉を持っていても、いくら金持ちになっていても、いくら高い権威を持っていても、いくら高い官職に就いていても、いくら人生の頂点に立っていても、仁、義、弱者を助けるために躊躇なく自分の命まで堂々と捨てていくことができるということは、満開している桜がパッと散っていくことと似ていませんか?」と。

つまり、仁、義、弱者を助けるために命を捨てるという気質があるということは、桜が持っている気質そのものだ、と認識したということです。
そして、花の世界では桜だけがこの気質を持っていると語っています。

要するに、美しく咲いている状態からパッと散る気質はサムライの気質だと言っているのです。
桜の花の気質=サムライが持っている最も精華のもの。
だから、桜が武士道の象徴となっている。
そう張陽氏は悟ったということです。

《天安門事件を経験した張陽氏》

張陽氏は若き頃、天安門事件を経験していたのです。

「天安門事件」とは、1989年4月15日~6月5日に中華人民共和国の北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していたデモ隊(学生、労働者、市民たち)に対して、軍隊が武力行使を行い、多数の死傷者を出した事件。
「六四天安門事件」とも言う。

張陽氏は、当時デモ隊に参加し、耳元を銃弾がかすめていく中で、銃弾に倒れた人たちを病院まで運んだと自らの体験を語っています。
この体験が意味するものは、張陽氏が命の危険を顧みず民主化運動の行動に出たサムライスピリットの持ち主だということです。

そんな張陽氏ですが、桜の花の意味を悟ったときに、自分の自大さや自慢の心は桜の花の偉大さに遠く及ばないと強く感じたそうです。
そのことによって桜の虜(とりこ)となったのです。
張陽氏は桜の花が持つ、他人のために自分を犠牲にする精神に魅了されたということです。

わかります?
桜は満開の状態からパッと散ることで、それを見る人間たちの心に美しさ、儚さ、潔さなどを与えているということです。
つまり、自己保存をしないで(萎れるまで咲く)、美しい状態で散ることで(自己を犠牲にすることで)、世界を美しくしている(潔い美しさ)、ということです。
(この部分はご意見番解釈です)

桜の花に魅了された張陽氏は、桜の花のように生きようと決意したそうです。
要するに、桜の花に自らの生き方を“なぞらえた”ということでしょう。

《張陽氏は、何を言いたかったのか?》

桜の花と武士道の話で張陽氏がなにを言いたかったのか、その真意はなにかをご意見番なりに解釈すると、結局、2つに集約できるのではないかと思えます。

ひとつは、張陽氏自身の生き方について。
もう一つは2020年のアメリカ大統領不正選挙について。

2つ目については、選挙違反をして大統領に就任したバイデン氏と自分たちの利益のためにトランプ氏から大統領の座を奪った共産党主義者とディープステートたちへの批判であると思えるのです。

《張陽氏のやっていることは?》

張陽氏が自身のチャンネルでやっていることは、中国共産党の邪悪さを暴いていることです。
張陽氏はこう語りました。

「桜精神を持つ心の前にいかなる邪悪もびくびくするでしょう」
「この精神は世の中のいかなる精神よりも強いです」
「日本社会には、この精神を取り戻したら中共は毎日びくびくするじゃないですか?」

要するに、日本人は武士道精神(桜の精神)を取り戻せ、と言っているのです。
そして、その精神で邪悪な帝国である中国共産党政府と戦うべきだと言っているのです。
日本の人たちに、武士道精神を取り戻して欲しい、邪悪な勢力と戦って欲しいと訴えている。
アチキにはそう聞こえました。

この動画の最後に張陽氏は自身の和歌を詠み、結んでいます。

満開の
艶(つや)と香りを
顧みず
仁義の風に
散る大和魂

後編に続く。

最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!


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