- 1 これまでの記事
- 2 日本の命運を決める日
- 2.1 《日本の命運を決める日》
- 2.1.1 〈青天の霹靂〉
- 2.1.2 〈GHQによる脅迫〉
- 2.1.3 〈世事に疎い松本国務大臣〉
- 2.1.4 〈日本政府の苦悩〉
- 2.1.5 〈「国民主権」が削除される〉
- 2.1.6 〈GHQが譲れなかったことと譲ったこと〉
- 2.1.7 〈憲法誕生の一番長い日〉
- 2.1.8 〈寝耳に水のニュース〉
- 2.1.9 〈対日理事会・極東委員会VSマッカーサー〉
- 2.1.10 〈「噓八百」を並べたてたホイットニー〉
- 2.1.11 〈日本国憲法草案発表を急かした理由〉
- 2.1.12 〈第90回帝国議会開催〉
- 2.1.13 〈日本政府が削除した重大なものとは?〉
- 2.1.14 〈極東委員会のもの言い〉
- 2.1.15 〈日本国憲法誕生〉
- 2.1 《日本の命運を決める日》
- 3 参考書籍
これまでの記事
【日本国憲法の源泉編①】~マッカーサー草案へのプレリュード(前奏曲)~
【日本国憲法の源泉編②】~マッカーサーの日本改造プログラムとは?(2)~
【日本国憲法の源泉編③】~日本国憲法の「原液」とは?~
【日本国憲法の源泉編④】~マッカーサー・ノートについて~
【日本国憲法の源泉編⑤】~密室の9日間(2月4日)~
【日本国憲法の源泉編⑥】~密室の9日間(2月5日・6日)~
【日本国憲法の源泉編⑦】~密室の9日間(2月7日~9日)~
【日本国憲法の源泉編⑧】~密室の9日間(2月10日~12日)~
日本の命運を決める日
《日本の命運を決める日》
〈青天の霹靂〉
2月13日、この日が日本国の命運を決める日となるのだが、知っているのはGHQ側だけであり、日本政府側にとっては、先に提出した日本政府による改正案(松本案)について話し合う場だと思っていた。
13日、ホイットニー准将は体調を崩していた。おそらく一国の憲法を作成するという重圧、重責が大きなストレスとなったと考えられる。
心配したケーディス大佐がホイットニー准将を抱きかかえるようにしてジープに載せ、ハッシー、ラウエルと共に外務大臣官邸に向かった。
ホイットニー准将以下の4人は約束の時間である午前10時きっかりに到着した。出迎えたのは終戦連絡事務局次長の白洲次郎。白洲は4人をサン・ポーチ(庭に面した長い廊下がある和室)に案内した。
待ち受けていたのは吉田茂外務大臣、松本丞治国務大臣、そして通訳として外務省嘱託の長谷川元吉だった。
この13日の会合の内容は、日米双方の記録に残されている。ということは双方の記録を突き合わせれば、真相は明らかになるということ。
日本側はホイットニー准将たちが席に着くと、さっそく2月8日に提出していた松本案(憲法改正要綱)の討議に入ろうとする。
だが、それをホイットニー准将が制し、ゆっくりと一語一語の重みをつけて話しだした。
先日、あなた方から提出された憲法改正案は、自由と民主主義のための文書として、最高司令官が受け入れることができないものです。しかし、最高司令官は、日本の人々が、過去に経験した不正と専制支配から彼らを守る、自由で啓発的な憲法を熱望していることを十分に理解しており、ここに持参した文書を、日本の情勢が要求している諸原則を満足させているものとして承認し、あなた方に手交するよう命じました。
そう言われた日本政府側は、松本案についてGHQ側の意見を聞くつもりで準備をした上で会議に出席したにもかかわらず、まさかの予想していない展開に驚愕した。まさに青天の霹靂と言える。
この時の様子をホイットニー准将が語っている(アメリカ側の記録)。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
このホイットニー将軍のこの発言を聞いた日本側の人々は、あきらかに呆然とした表情を示した。特に、吉田茂外務大臣の顔は、ショックと憂慮の色を隠しようもなかった。この時のすべての雰囲気は、劇的緊張に包まれていた。
このときGHQ側は、日本国憲法草案(GHQ草案)を複数コピーして持参していた。吉田外務大臣にはコピー番号6号、松本国務大臣には7号、通訳の長谷川氏に8号、白洲氏に9号から20号を渡している。
ここでGHQ側は、GHQ草案を読む時間を与えるために席を外した。この時の時間は10時10分。つまり、会議が始まってたった10分で劇的な展開(歴史上重要な出来事)がなされたということ。
その後、10時40分過ぎに白洲氏とともにGHQ側が席に戻る。
この時、松本国務大臣が何を考えていたのかが、憲法調査会で報告されている。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より抜粋引用
大変驚き、約20分ほどずっと見たが、これではとてもだめだ。こんなものを今即答することはできないから、持って帰るより仕方がないと相談しているうちに、先方は席に戻った。
「これではとてもだめだ」という松本国務大臣の言葉の中に、すべてがある。
要するに、日本政府側が考えていた憲法改正とはまるっきり違う憲法改正を突き付けられたということであり、その内容は、日本政府側が考えるはずがない内容だったことを意味する。さらに松本国務大臣等にとっては受け入れることができない改正案だったと言える。
これが当時の憲法改正に関する本当の出発点なのです(日本側の)。
日本政府側としては前年の秋から憲法改正の示唆を受け、日本政府による改正案を作成していたが、この日の会議によって、その努力はすべて水泡に帰したのです。つまり、一からやり直しということです。
この出来事を抜きにして、「日本国憲法は押し付けか、押し付けではないか」という論争は不毛なのです。
〈GHQによる脅迫〉
驚愕し、質問をする日本政府側にホイットニー准将は決定的な発言をする。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
あなた方がご存じかどうかわかりませんが、最高司令官は、天皇を戦犯として取り調べるべきだという、他国からの強まりつつある圧力から、天皇をお護りしようという固い決意を持っています。これまでも最高司令官は天皇を護ってまいりました。そうすることが正義に合致すると考えていたからで、今後も力の及ぶ限りそうするでしょう。しかし、最高司令官といえども、万能ではありません。
しかし、最高司令官はこの新しい憲法の条項が受け入れられるならば、事実上、天皇は安泰になると考えています。
~中略~
もっとも、最高司令官は、これを要求しているのではありません。しかし、最高司令官は、この案に示されているさまざまな原則を、国民に示すべきであると考えています。最高司令官は、可能ならば、あなた方自身の手で示されることを望んでいますが、それができないならば、最高司令官自身で行うつもりです。
ホイットニー准将の言葉を聞いた松本国務大臣は、「パーソン・オブ・ジ・エンペラー(天皇のご身体)」というメモを残しており、これはホイットニー准将(GHQ側)からの脅迫に近いと受け取っている。
松本国務大臣が感じた「脅迫」はその通りだろう。
当時の日本を包む国際状況は、アメリカの議会で天皇を戦犯にという議論が行われていたし、極東委員会(正確にはこの時点では極東諮問委員会)を構成するオーストラリアとニュージーランドの代表が天皇戦犯問題と強硬に主張していた。
つまり、一歩間違えれば、「天皇が戦犯にされる危険性」があったということ。
これこそが日本側がなんとしても避けたい事案。
それを持ちだして、GHQで起草した改正草案を受け入れ、なおかつ日本政府側の意思で国民に発表しろ、できなければGHQ側で発表すると迫ることは「脅迫」以外の表現が見つからない。
要するに「天皇の処遇」という人質を取ったも同然の交渉であったということ。
ただ、マッカーサー元帥が、「他国からの強まりつつある圧力から天皇を護ろうとしていたことは事実」である。
マッカーサー元帥からすれば、天皇を戦犯にすることは、信条にも反し、その結果が引き起こすことは占領の混乱と日本国民による抵抗、それによる占領人員の大幅な増員。占領軍側にとっても、何も良いことはないのです。
天皇を戦犯にかけて、罰するならば、日本中の国民が抵抗し、占領政策は大失敗となる可能性があると予想できた。
だからこそ、マッカーサー元帥は天皇の存在を残す判断をし、そのためには極東委員会が設立される前に、天皇の処遇と戦争放棄の内容を含む憲法改正を急ぐ必要があったということ。
当時の憲法改正の問題を指摘するならば、GHQによるマッカーサー憲法を拒否することは事実上不可能であったこと。もし、GHQによる草案を完全に拒否すれば、天皇の存在に危機が訪れるからに他ならない。つまり、GHQ草案を制定させるか(多少の修正は可能)、天皇を戦犯にかけることを認めるかという究極の選択に迫られていたということ。しかし、日本人ならば選択肢は一つしかないでしょう。日本人ならば理解できるはず。そのことはGHQ側も深く理解していた。理解していながら、選択肢を与えるということは「選択」ではなく、「強要」と呼ぶしかない。
ただ、そのやり方が上手いというか、汚いというか、巧妙なやり方をしているだけ。
日本側が自らGHQ草案を日本の憲法改正案として国民に発表するということは、ポツダム宣言の内容に合致させる必要がGHQ側にあったからに他ならない。要するに偽装です。
この歴史的事実を無視しては「日本国憲法は押し付けか、押し付けではないか」という論争はあり得ないのです。
はっきりと言えば、歴史的事実を知れば、簡単に「押し付けか、押し付けでないか」ということは判断できるのです。
一言付け加えます。
この歴史的事実を知ってもなお、「日本国憲法はGHQに押しつけられたものではない」という主張をする人がいるとしたならば、その可能性は2つに絞られる。
ひとつは、「工作員(の疑い)」であり、もう一つの可能性は「ものごとを正しく考えることができない愚か者(ものごとを決めつけでしか理解できないバ○)」のどちらかでしょう。
どちらにしても「売国奴」となる。
しかし、現代には大物の売国奴が存在している。それによって日本国における憲法秩序が破壊され、修復不可能な政策を打ち出されようとしていることと、日本国民のための法律ではない立法が複数出されている状況があり、日本国民の生活はさらに困窮の中に追いやられている。いまや日本国家は破滅寸前の状況なのです。
ここで言う大物の売国奴が誰なのかはみなさんが考えてください。お分かりですよね。
この日の会議は、ホイットニー准将が、「憲法問題は4月10日に予定されている総選挙よりかなり前に国民に示されるべきである」と念を押して終了している。
この日本国の未来を決定する会議は、わずか1時間10分という短いものだった。
〈世事に疎い松本国務大臣〉
GHQ草案を受け取った日本政府側のショックはまさに驚天動地と言えるものだった。13日、外務大臣公邸から帰った松本国務大臣は、すぐに幣原首相に報告をしている。
問題は、この期に及んでも松本氏は、総司令部側が説明した「国際的に緊迫した状況」ということを理解していなかった。世事に疎いというレベルではない。呆れかえってしまうレベルだ。
松本氏は、GHQ側が作成した草案を突き付けられてもなお、日本政府側の自主性が認められると考えていたと思われる。そこで幣原首相と相談し、松本案の再説明書を書いてGHQの再考を促そうと考えた。
GHQ側の反応はというと、
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
この再説明書は、「憲法改正案説明補充」という表題がつけられて、18日に民政局に提出されるが、「これについて再考の余地はない」と一蹴される。そして「20日までに回答せよ。でなければ総司令部案を当方で発表する」と通告される。
「日本国憲法は日本人が作った」「日本国憲法は憲法研究会の草案が土台となった」と主張する人たちに聴く。このやり取りを知ってもなお、同じ主張(論調)を発するか?
松本国務大臣の交渉力のなさにはあきれるが、ポツダム宣言で示された「国民の自由に表現された」などどこにもなく、GHQ側のやっていることは「強制」または「強要」以外に何と言えばいいのか?
これでもなお、「押し付けではない」というならば、反論をして「押し付けではない」ことを証明してみせなさい。
〈日本政府の苦悩〉
松本国務大臣による再説明書の提出に対してホイットニー准将が返事を書いている。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
「この問題は不必要な遅滞を許さないものであり、外部から別の憲法を押しつけられた場合、最高司令官が保持できるよう取り計らっている伝統と機構(天皇制のこと)も、洗い出されてしまうでありましょう」
と事は急を要するのだと強調している。日本国民が、この憲法を自らの意思で一日も早く世界に宣言して、平和国家への誓いをたてることが、天皇制を守り、天皇を強硬派の虎口から守ることになるのだ…という意味が、日本側にまったく通じないもどかしさがよく現れている。
GHQ側の「20日までに回答せよ」と迫られているにもかかわらず、その動きは遅く、19日にやっと閣議が開かれる始末。
この時に、GHQ側との会議に出席した4人と幣原首相以外の閣僚が事のいきさつを知ることになる。
ここで幣原首相が動く。マッカーサーと会談して、真意を確かめるので、回答を22日まで延期して欲しいと申し入れる。
だが、マッカーサーは22日、幣原首相に対して大演説をぶつ。
マッカーサーは譲れない条件として、「天皇を象徴とすること」、「戦争放棄」の2つの内容の条項であると日本政府側に伝える。
同日、松本国務大臣はホイットニー准将との会談でさまざまな条件を出した。
その一部を以下に示す。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
○GHQ案は、人民の発議になっているが、大日本帝国憲法は、第73条で、天皇の発議以外には憲法を改正できないとしている。
○戦争放棄の条項は、前文に入れられないか?
○我が国の国情から二院制が必要だ。
これに対して、ホイットニーは、「二院制」以外を拒否した。
幣原首相はというと、天皇陛下にことの次第を言上する。
天皇陛下は、最も徹底的な改革である天皇自ら政治的権能の全てを剥奪されるようなことがあっても、全面的に支持すると勧告された。
つまり、戦争終了の御聖断に続いて、GHQ憲法受け入れについても「御聖断」があったのだ。
命は下った。これを受けて、松本国務大臣は、GHQ草案をベースにして、いわゆる「3月2日案」と呼ばれる日本政府案の執筆にかかる。
日付通り3月2日に完成した政府案を日本語のままGHQに提出する。
GHQ側は、提出された日本政府案を、日本政府の代表者たちを待たせたまま、直ぐに翻訳していった。
こうして日本政府側とGHQ側とで論争が起きることとなる。
松本国務大臣の主張は、試案に過ぎない日本政府案を叩き台として折衝をつづけ、時間をかけて確定案としていくとするもの。
だが、そんな悠長な時間はない。そもそもGHQ側が提示した4月の総選挙の前に新憲法を発表するという話が松本国務大臣の脳内から失われているのではないかと思われる。
〈「国民主権」が削除される〉
ここで問題となったものがある。
ケーディス大佐が翻訳された英文を検討すると、第1条から「国民主権」の部分がカット(削除)されていた。ケーディス大佐は当然怒りをあらわにする。そして「このような案では審議できない」と突っぱねた。
松本国務大臣は、二時半ごろまで司令部で討議していたが、日本側の主張(本当は松本氏の主張)が通らないことに嫌気がさしたのか、激論激化を恐れて司令部を後にする。
残されたのは、佐藤部長。
この後の討議はGHQ側と佐藤部長で行われることとなった。
現代の日本国民として言わせてもらえば、「松本さん、なにやってんの!」と言わざるを得ない。国家の命運を決する話し合いから逃げるとは話にならん。
当然、「3月2日案」はボツになる。
〈GHQが譲れなかったことと譲ったこと〉
重要な論点を指摘すると、GHQ側は、「天皇に関する部分に対して厳密に扱い、その他の基本的な部分については一歩も譲らなかった」ということ。
現憲法である日本国憲法の約9割がGHQ草案と言われる結果となっている。GHQ側が妥協した(修正を認めた)ものは、重要事項以外、基本方針以外の部分であった。
3月5日の会議において、ようやくことは進み始める。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
夕方になって、内閣としてはこの草案を採択するほかはないと決断し、幣原総理大臣と松本国務大臣が宮中に参内して、天皇陛下に奏上、憲法改正についての勅語を出していただくことを奏請するという展開になる。
この時の閣議のメンバーであった芦田均氏がこう言っている。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より抜粋引用
ことに前文にあるウイ・ザ・ジャパニーズ・ピープルなどという言葉は、全く欽定憲法を覆すものであって、現行憲法73条と相入れない。
その通り。
GHQ側の狙いは、軍国主義を生む土台となった「天皇制国家体制」を破壊すること。つまり、「天皇主権を覆す」ことなのです。GHQ草案とはそうした意図が含まれた憲法草案だったということなのです。
現代に生きる日本国民もこの隠された意図を理解するべきでしょう。
主権者を「天皇」から「国民」に変えるということは、一種の革命であり、天皇から主権(政治的権力)を奪うための方法こそが民主化および国民主権だということです。
しかし、このことは戦後の国民にとっては非常に幸福なことだったと付け加えておきます。
というのも日本だけはなく、近代にいたっても世界中で国民の人権は制限されていたからです。
国民にとっては、新しい憲法によって自由と人権を得ましたが、(当時の)保守層からすれば、天皇制国家を破壊されたことであり、遺憾の中の遺憾と言える事態だったのです。
ここからが重要です。自由民主党とはこの路線の延長線上にある集団なのです。
だから、国民主権を嫌い、民主主義制度を憎んでいるのです。
だから、戦前のような強い国家権力が国民を監視したり制限したり、制御できる国家へと変貌させようとしているのです。そのために不必要な法案をいくつも通しているのです。その最終段階こそが自民党案への憲法改正なのです。その肝こそが「緊急事態条項(国会機能維持条項)」なのです。
〈憲法誕生の一番長い日〉
3月6日、天皇による勅語が発せられた。正確には、新聞発表なので勅語書というべきだろう。
この内容は、ポツダム宣言とGHQ草案の字句のパッチワークとしか言いようのないものだが、作成したのは日本政府だとされている。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
当初からの方針通り、憲法改正草案要綱は、日本政府の手によって自主的に提案されたものとして発表された。連合軍最高司令部は、それを承認する立場をとった。実際に書いたのが民政局の25人であったことなど、もちろん表面に出るはずもなかった。
3月7日の新聞は、「戦争放棄の新憲法草案!」という大きな見出しでこれを報ずる。2月1日の政府案からわずか一ヵ月余りで、まったく発想のかけ離れた憲法が発表されたことをいぶかしむ記事はどこにも見当たらない。
「日本国憲法は日本人が作った」、「日本国憲法は憲法研究会の草案を土台にして作られた」というデマと呼べる主張をしている人たちは、上記の内容を理解するべきだろう。
何度も言うが、この秘された出来事を知っていてもなお「日本国憲法は日本人が作った」、「日本国憲法は憲法研究会の草案を土台にして作られた」などという主張を繰り返すならば、それは工作活動と呼べると言っておく。
GHQはポツダム宣言と戦時国際法に反することは承知していた。だからこそ、「日本政府が自主的に起草した憲法である」とカモフラージュしたのだ。
アメリカという国家は優れた点は多いものの、軍事に関しては贖罪意識の欠片もない国家だと言っておく。どこかの総理大臣と同じで「反省点はない」と考えていると言うしかない。その証拠に、戦時国際法違反である民間地域への焼夷弾投下および不必要な苦痛を与える原爆投下(これも民間地域への攻撃)に関していまだに謝罪をしていないし、その行為が間違っていたことを頑なに認めようとしていない。なぜ認めないのかと言うと、大戦中の真実が表に出てしまう可能性が出てくる為であり、その先に闇の世界権力の陰謀が暴かれることに繋がるからに他ならない。よって、彼らは下流ではなく上流でせき止めるのだ。
「2月1日の政府案」とは、新聞に出た松本案のこと。それからたったの一ヵ月余りで、当時の保守層指導者たち、または日本人が発想しないと考えられる憲法が発表されるなど、世紀の謎と言うべきもの。だが、当時はGHQによる検閲が行われていたため、真相は世に出るはずがなかった。
こうしたことを何というかと言えば、「陰謀」と呼ぶのです。ただし、陰謀としては幼稚ですが。後に日本国憲法はGHQ草案によるものであることがバレているのですから。
でも、バレたとしても次なる仕掛けがしてあった。それが「憲法研究会の草案を土台として新憲法を書ける」というケーディス発言であり、9条の幣原首相発案説なのです。
しかし、時間の神にはGHQも勝てなかった。GHQによる新憲法制定の陰謀は現代では露呈している。
それを知らず(調査せず)に、「日本国憲法は日本人が作った」などというデマを世間に流すことは真実への背信でしかない。真実から目を背ける者に正義は存在せず、また真に国家を護ることはできない。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』ではこう言っている。
日本国憲法(草案)とは、いったい何だったのかと言えば、マッカーサー自身による「世界に向けての宣言」であったと。
悔しいが、ある意味では革命と呼べるほどの国家変革をすることによって、日本国は世界各国(アジア諸国を除く)から、国家としての存在を許される方向に導かれたと言える。もし、マッカーサー憲法なかりせば、天皇は戦犯として処罰され、日本人のアイデンティティは崩壊していたと予想される。
そこにこそマッカーサーの真意があると思われる。つまり、GHQによる占領には「功罪両面ある」ということ。
〈寝耳に水のニュース〉
極東委員会は予定通り、2月26日に発足した。事務所はワシントンの日本人大使館に設置された。しかし、発足してわずか1週間目に、重大な発表が東京から新聞記事として届くことになる。
もちろん、日本国憲法(草案)の発表だ。
現代に生きる私としては面白いことに、極東委員会にとってこのニュースは寝耳に水だったこと。極東委員会はすぐさまアメリカ国務省に説明を求めたが、国務省も答えることができなかった。つまり、ワシントンの国務省にとっても寝耳に水だったということ。(私はこれは少し疑っている)。同じ総司令部の建物にいた国務省政治顧問室のマックス・ウォルド=ビショップ次長も知らされていなかった。
要するに、GHQ草案作成とは、ワシントンや極東委員会にとどまらず、総司令部の建物にいたGHQの人間にさえ秘密にして起草されたものであること。その目的は「偽装」。ポツダム宣言と戦時国際法違反の指摘を受けないために「日本政府が自身で起草した」という建前で世に出したということ。たとえ後に真実が明らかになっても、「時遅し」であり、しらばっくれてやり過ごす。そうした覚悟はあったと思われる。
当時、極東委員会の中の憲法委員会と教育委員会の責任者だったリチャード・フィン氏によれば、「みんな日本政府が作ったということを信用しなかった」という。それはそうでしょう。見る人が見れば誰が起草したのかは予測がつくはずです。
梯子を外された極東委員会としてはメンツ丸つぶれです。
この後どうなったかというと、
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
その極東委員会は、3月20日初会合を開き、極東委員会の最終審査意見を留保するとともに、制定過程で、日本の世論に訴える必要があること、そして進捗状況について、逐次極東委員会に報告することなどの政策を、全会一致で決定する。この決定は、アメリカ政府から指令としてマッカーサーに送られる。
日本占領中における憲法制定の権利を有していたのは極東委員会。ただし、それは極東委員会が発足してからの話。だから、マッカーサーは極東委員会が発足する前に事を成し遂げたのです。兵法的には騙し討ちまたは奇襲攻撃と言える。
極東委員会が最終審査権を留保するということは、事実上、マッカーサーが民政局にて草案作成をし、日本政府に与えたことを認める(認めるしかない状況にあった)ということ。せめて極東委員会の面子を保つために、その後の日本政府による憲法制定会議等の動きを把握するために知らせろ、ということです。
〈対日理事会・極東委員会VSマッカーサー〉
マッカーサーは、4月5日、東京で開かれた対日理事会の開会式で、日本国憲法草案の意味を格調高く演説した。マッカーサーはこの演説を極東委員会に対する答えと考えていたとされる。
しかし、連合国の他の国の代表者たちは満足せず、4月10日に全会一致で極東委員会が日本国憲法採択の協議に参加できるよう要請する決議を可決する。さらにマッカーサーに、説明のための幕僚を派遣するように求めた。
これに対してマッカーサーは、4月13日、長文の返事を書いた。
その一部を以下に示す。
占領政策がポツダム宣言の範囲内で行われる場合、すべての権限は最高司令官にある。極東委員会は、政策決定体に過ぎない。憲法改正もポツダム宣言および降伏条項の枠内の指導である。
だが、この文書は国務省内で一ヶ月半も止め置かれ、5月末になってようやく極東委員会の手に渡ったのだが、実は別ルートで極東委員会は同じ内容の情報を受け取っていた。ホイットニー民政局長から直接極東委員会に送られていたのだ。
ホイットニー民政局長が何を伝えたのかと言えば、
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
マッカーサーが「個人として憲法草案を承認した」のは、日本国内の因習や反動と戦っているリベラル派を「精神的に支援し、勇気づける」のがねらいで、新憲法草案は、「おそらく史上、もっとも自由な討議と検討の結果として成立した憲法」であり、私の提案によって、日本側が「何者にも拘束されたり、縛られたりすることなく、完全に自由な状況で作業を進めること」を保障したから、それ以上極東委員会といえども干渉できないだろう。
(リチャード・B・フィン著『マッカーサーと吉田茂』)
要するに、極東委員会のツッコミどころを消し込み、これ以上口出しするなと手を打ったということです。
上記の内容に、日本にとって重要なものが含まれている。
『マッカーサーが「個人として憲法草案を承認した」のは、日本国内の因習や反動と戦っているリベラル派を「精神的に支援し、勇気づける」のがねらい』という部分。
「因習」とは、古くからあるしきたりや風習のことだが、この場合、日本人にとっての天皇の存在であり、国体のことを指すと思われる。また、「反動」というのは、国粋主義者や軍国主義者、天皇制国家支持者からの抵抗と思われる。この対策のために「リベラル派を(精神的に)支援する」ことを行っている。つまり、リベラル派を利用したということ。以前の記事で書きましたが、GHQは「日本国内で協力者を見つけて手伝わせる」というやり方をとっている。
戦後、リベラル派(共産主義、社会主義=左翼)が広まった原点がここにあるのです。リベラル派(共産主義、社会主義)とは、天皇制反対の勢力ですから、GHQが引いた民主主義国家への変貌を覆されないための布石を打ったと言えるでしょう。
重要なことは、この中にリベラル派である鈴木義男と憲法研究会(特に鈴木安蔵)たちが存在しているということです。
おわかりですか?
なぜケーディスが「憲法研究会の草案を土台にして憲法が書ける」と言ったのか。
〈「噓八百」を並べたてたホイットニー〉
話しを戻すと、リチャード・B・フィン氏によれば、ホイットニー民政局長の言っていることは、「嘘八百を並べたてたもの」と批判している。
私もまったく同感です。
日本人は知るべきでしょう。世の中にはこうした詭弁、噓八百を使用してことを成す者たちがいることを。真面目で親切心が強い日本人は他の民族から比べると「疑う」「批判的思考で分析する」ということをあまりしない傾向がある。それが騙される要因となっている。
〈日本国憲法草案発表を急かした理由〉
1945年から46年の1月までは、ニュージーランド代表とオーストラリア代表が強硬に、戦争犯罪人に天皇裕仁を指名し、マッカーサーに決定書なるものを送っている。
だが、その後はニュージーランドもオーストラリアもしだいに穏やかになり、ソビエトも中国も、天皇の存続には反対しなくなった。
この要因は、憲法委員会(正式には第三委員会)のアメリカ代表であるヒューボルト・ボートン博士が、詳細な報告書を書いたからと言われている。
このヒューボルト・ボートン博士は、日本の占領政策立案の生きた歴史と言われた人物であり、SWNCC-228の大部分を執筆した人物である。
マッカーサーが急ごしらえの憲法草案を日本政府に突き付け、発表を急かした理由を再度記す。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
マッカーサーが憲法草案の作成を急いだ理由は、一つには、極東委員会でソビエトその他二、三カ国が独自の共和国憲法案を出すかもしれないと噂されるなど、当時のかなり追い込まれた国際状況にあったが、もう一つは、4月10日の総選挙に間に合わせることにあった。
新憲法によって、世論を味方につけ保守勢力を一蹴すること。そしてポツダム宣言の内容、すなわち「日本国民の自由意思により」の条件を満足させること、この三つの目的を同時に果たして、極東委員会など連合国側の雑音を中央突破しようとしたのである。
もし、極東委員会やソビエト連邦などが出してきた共和国憲法案を強引に押し付けてきたならば、当然、天皇制は廃止される(共和国は大統領制であり、大統領制は同時に天皇制を否定することとなる)。つまり、マッカーサーが憲法草案の作成を急いだ理由は、天皇制を存続させる(戦前の天皇制ではない)ことが一つの目的。
さらに4月10日に控えている衆議院選挙の前に新憲法を国民に発表し是非を問う。その結果選ばれた議員による議会には新憲法を制定する権限が与えられたと見ることが出来る、と考えたということであるが、ポツダム宣言の内容である「日本国民の自由意思により」の条件を満たすことは「嘘(騙し)」でしかない。
なぜならば、GHQ草案とは、日本人が考えないだろうと思われる内容であり、当時の指導者層(当時の保守層)は、GHQ草案を受け入れたくないと考えていた。しかし、天皇の処遇を巡ってなかば強要されたためにしかたがなく受け入れたに過ぎない。もっとも重要な論点は、新憲法を発表した際に「日本国政府による新憲法」と大嘘をついて国民に知らせているのだから、お世辞にも「日本国民の自由意思により」でも「日本政府の自由意思により」でもない。要は、ポツダム宣言の内容に違反した行為を行っているということ。
これは最近私がよく指摘する手法なのです。その手法とは「目的のために手段を選ばない」というもの。GHQの目的は、日本国を民主主義国家へと変貌させる(革命)ことであり、二度と白人国家に対して戦争ができない腑抜け国家にすること。そのための裏付けとしての新憲法を制定することなのです。
つまり、新憲法を制定することは、日本占領革命の核だということ。そのためには国際法違反など無視するということです。
日本人は知るべきでしょう。日本人は真面目な性質を持っているので、国際法も国内法と同じように守ろうと考えますが、欧米諸国は自国の利益に合わせて対応するのです。
そもそもアメリカは、原爆投下、焼夷弾投下などの国際法違反をして戦争に勝利していることを忘れてはいけない。日本を屈服させるためなら、非人道的な原爆投下もあえて行うという国柄なのです。(ただし、実際には原爆投下は必要なかった。なぜならば、その前に日本政府は降伏を検討していたから)
〈第90回帝国議会開催〉
1946年6月20日、第90回帝国議会が開催された。同日、帝国憲法改正案は、勅語によって衆議院に提出された。
ここで言う「帝国憲法改正案」とは、当然ながら日本政府が受け取ったGHQ草案に他ならない。なんのことはない、GHQが起草した憲法草案を、日本政府側が起草したと見せかけるために草案の名称を変更しただけ。騙しの手法でしかない。
衆議院では、憲法改正案特別委員会が設置され、さらにその中に小委員会が組織された。どちらの委員長も芦田均氏が選ばれた。
この第90回帝国議会によってGHQ草案が修正されることになるが、その最大のものこそが、現9条(GHQ草案では8条)の「戦争放棄の条文」である。
日本側は、第一項に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し…」という一文を挿入し、さらに第二項で「前項の目的を達するため…」という文言を加えた。
問題なのは、第二項のいわゆる「芦田修正」であることは間違いない。これについてはこの編の最後に語る。
〈日本政府が削除した重大なものとは?〉
GHQ草案が日本政府に渡った後削除されたものに重大なものがある。
それが何かといえば、前文と第一条にあった「主権在民」を明確にした字句だった。
「主権在民」、つまり「国民主権」を日本政府は憲法から削除したということであり、それは国民主権(民主主義国家)を否定したという気持ちの表れであると言える。
しかし、GHQ側(ケーディス大佐)は、「前文か条文のどちらかに、主権が国民にあることを明文化してもらいたいと、日本政府側の要求をはねつけた。この問題では、GHQ側と日本政府側で激しい議論がなされたが、最終的に日本側が折れた。
それはそうでしょう。占領下にある日本政府とは、占領軍の統治下にある存在なのだから。最後まで押し通すことは不可能なのです。両者の関係上、GHQ側が絶対譲れないとしたものは日本側が折れるしかないのです。
〈極東委員会のもの言い〉
8月24日、日本語らしくなった憲法草案は、本会議で決議され、貴族院に送られた。
しかし、貴族院での審議が終わりに近づいた9月末、極東委員会のもの言いによって修正が行われることとなった。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
ことのきっかけは、極東委員会であった。中国代表S・H・ダン氏が、閣僚が「シビリアン(文民)」でなくてはならないという条項が必要だと要求したのである。戦争放棄の条項の修正によって、自衛権を保有することが出来るとすれば、武官が閣僚に就く可能性も生まれたという主張である。
このように、当時から第九条は、自衛権否定しているとする論調と自衛権は否定していないという論調が解釈によって分かれていた。
中国代表の意見に、第三委員会・カナダのコリンズ委員長も賛成の意を表し、それに対してボートン博士が説明に立たされることとなった。
ボートン博士は、もともと文民条項を重要だと考えていた人物であり、その証拠にSWNCC-228にも書き込んでいる。
ボートン博士によれば、「第九条の意味が不明瞭」だとしている。そこでマッカーサーに問いただすことを提案する。
この極東委員会のもの言いによって、9月24日、修正がなされた。
一つは、第15条に「成年者による普通選挙は保障されている」と第66条に「内閣総理大臣および国務大臣は、シビリアンでなければならない」の2つを加えることとなった。
日本側の反応は、日本はすでに戦争放棄をしており軍隊は存在しないのだから、文民条項は矛盾していると主張した。これに対して、ホイットニーは極東委員会の事情を説明し、日本側に修正を受け入れるよう要求している。
〈日本国憲法誕生〉
日本側に渡ったGHQ草案は、「日本政府案」と呼ばれるようになったが、憲法草案を実際に作成したのがGHQであったことは、当時、公然の秘密となっていた。
日本政府案は、貴族院で可決され、再度衆議院で審議された後、10月7日に本会議で可決された。そのあとさらに枢密院本会議で可決されてようやく完全な日本国憲法の誕生となる。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
1946年11月3日、日本国憲法は公布される。民政局の25人は、その日、本会議場の傍聴席の片隅に座っていた。新憲法成立に拍手を送る人たちのほとんどは、彼らがなぜそこに座っているかを知らなかった。
「日本国憲法は日本人が作った」「日本国憲法は憲法研究会の草案を土台として作られた」などというデマを主張する人たちは、1946年11月3日の新憲法が公布された日に、GHQ民政局のメンバーがなぜその場にいるのかを知らなかった人と同じであると言える。
日本国民の前に突如登場した新憲法は、日本政府の草案とされていた。さらに公布までの議会等での修正も日本政府側で行われた。当然、裏側でGHQと交渉が行われていたことは秘密とされていた。
だから、後に占領期間に日本で何が行われていたのか、GHQによる占領政策とは何だったのかということを調査または研究しなかった人たちは、日本国憲法が誕生した秘密を知らずにいたのだ。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』の著者である鈴木昭典氏は「あとがき」の中でこう言っている。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
日本人の保守的な資質は、本書でも見られたように、救いがたい一面を持っている。あの時期に、日本人のすべての頭脳を結集したとして、あれだけの憲法がうまれたとは到底思えない。あれから半世紀、日本人の気質は変わっただとうか?
注目すべきは、「あの時期に、日本人のすべての頭脳を結集したとして、あれだけの憲法がうまれたとは到底思えない」という部分。
これは日本国憲法が、そのほとんどをGHQ草案によっていることを示している。
そしてGHQ草案の原液は、SWNCC-228であり、それに加えてマッカーサー・ノートであることは間違いなく、それに加えて参考資料として世界各国の憲法や憲章などを参考にして書かれた憲法(草案)です。小室直樹氏が指摘しているように、「日本国憲法は世界中の憲法の寄せ集め」と言っても過言ではないのです。
その中の一つに、日本人の憲法研究会の草案があったことは事実であるが、それは「日本国憲法は憲法研究会の草案を土台として作られた」という主張とはかけ離れているものなのです。
【日本国憲法の源泉編⑩】につづく
参考書籍
書籍名:『日本国憲法を生んだ密室の九日間』
著者名:鈴木昭典
出版社:創元社
書籍名:『日本国憲法の誕生』
著者名:古関彰一
出版社:岩波書店
書籍名:『知られざる日本国憲法の正体』
著者名:吉本貞昭
出版社:ハート出版
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!