これまでの記事
【日本国憲法の源泉編①】~マッカーサー草案へのプレリュード(前奏曲)~
【日本国憲法の源泉編②】~マッカーサーの日本改造プログラムとは?(2)~
日本国憲法の「原液」とは?
《日本国憲法制定における最大の源泉》
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
アメリカの日本占領政策には、二つの大きな指針がある。前にも述べたように、その一つは、ポツダム宣言。もう一つは、SWNCC-150「降伏時におけるアメリカの初期対日方針」である。
このSWNCC-150には各段階で変遷があるが、1945年6月11日に起草されたときは、日本占領方式は、軍による直接統治とされていた。その後、ポツダム宣言との関連で訂正され、SWNCC-150/3で、日本政府を通じた間接統治へと重大な変更がなされる。
〈SWNCC-228文書「日本の統治体制の改革」〉
SWNCC-150「降伏時におけるアメリカの初期対日方針」、この文書こそが日本国憲法の源流に位置するものです。ただしSWNCC(スウィンク)は改訂されつづけるので正確にはGHQ草案執筆直前の「SWNCC(スウィンク)文書」となる。
注目すべきはSWNCC-150が1945年6月11日に起草されていること。つまり日本が降伏する以前にすでに日本の占領政策が詳細に作成されていたこと。
SWNCC(スウィンク)は、その後1945年11月3日に「日本の占領と統治に関する連合軍最高司令官への降伏後の初期の基本司令」となり、翌年(1946年)1月7日に、憲法改正を明示したSWNCC-228「日本の統治体制の改革」なる文書が発されている。
つまり、SWNCC-228「日本の統治体制の改革」なる文書こそがGHQ草案の土台であり基礎であり、指針、つまり「源泉」なのです。
GHQ草案のメンバーはこのSWNCC-228文書を指針にして、その内容に沿うようにして憲法草案を執筆しているのです。
〈ポツダム宣言の縛り〉
日本国憲法制定においてSWNCC文書以外に縛りを与えているのが「ポツダム宣言」です。
ポツダム宣言第12条
前記諸目的が達成せられ、かつ日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立せらるるにおいては、連合国は直ちに日本国より撤取せらるるべし
ポツダム宣言は占領を終了する条件(降伏条件でもある)を突き付けたものでもあるが、その主旨とは「日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立すること」なのです。ここで注目すべきは2点。「日本国国民の自由に表明せる意思」と「平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立する」です。
「日本国国民の自由に表明せる意思」と言うのですから、これが意味することとは、今後の日本国の統治体制は「民主主義」であり、主権は「国民」に移るということを示唆している。同時に「平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立する」ということは、軍国主義を廃した民主主義的な政治機構が成立することを示唆している。軍国主義を廃するということは軍部の独走を許した明治憲法の欠陥を修正する、つまり憲法改正が必要であり、皇軍(天皇軍隊)の存在を否定することを意味している。
ここに日本国憲法の特徴である「国民主権」と「戦争の廃棄」が読み取れる。
連合国がポツダム宣言に込めた意思とは以下の内容である。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
ここで言う前記諸目的の条項とは、日本の降伏条件として書かれたものを指しているが、その中に「日本国国民を欺瞞し、之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力、勢力は永久に除去せられ(六項)」「日本国の戦争遂行能力が破砕せられ(七項)」「日本政府は、日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし。言論、宗教、思想の自由並びに、基本的人権の尊重は確立せらるべし(十項)」というように、実にうまく民主主義化された日本の未来像が書き込まれている。
6項では、連合国側が言うところの侵略戦争(世界征服の挙)を犯した権力者および勢力は永久に排除(除去)されるべきとあり、これはABC戦犯及び公職追放を示唆しており、7項では、日本国における戦争遂行能力が破砕されるのだから、日本国は戦争能力を奪い取られるということを示唆しており、10項では、政治体制を天皇制から民主主義体制に移行すること、そのために言論、宗教、思想などの自由と基本的人権を保障すべきことが示唆されている。
この内容を日本国憲法またはGHQ草案に当てはめればピタリと一致していることが分かるだろう。つまり、ポツダム宣言とは戦後日本の未来像なのです。
アメリカはいまだ日米が戦争状態にあった最中に、すでに戦後の占領作戦(占領政策)を作成していた。
つまり、日本国憲法の“淵源”をたどると1946年の2月のわずか12日間で書かれたというものではなく、戦争終了以前から長い間かけて米国政府の中で練り上げられていたものでもあるのです。
《日本民主化の方針SWNCC-150/4》
占領による日本民主化の方針とは、正式文書となったSWNCC-150/4(1945年9月6日大統領承認)に見出すことができる。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
日本政府の封建的、権威主義的な傾向を修正する方向で、日本国民ないし政府がイニシアティブをとる政府形態の変革は許し、好ましいとすべきである。そのような変革の実現が、それを反対してきた人間に対する日本国民ないし政府の実力行使を含んでいても、最高司令官は、軍隊の安全と他の占領目的の達成の保障に必要な場合においてのみ、介入すべきである。
1942年8月、米国国務省内に「極東班」という小さな組織が置かれた。目的は、戦争終了後、アメリカが日本の戦後処理において、どのような方針で臨むかということを研究するため。
そのために日本の専門家たちが集められた。
この中にリットン調査団のメンバーでもあった極東問題の第一人者であるクラーク大学教授のジョージ・ブレークスリー博士がいた。
このタイミングは、真珠湾攻撃から1年もたっていない時期。この時点ですでにアメリカは戦争後のビジョンを用意していたということになる。その大前提は日米戦争にアメリカが勝利するということは当然であろう。
ルーズヴェルト大統領は日米戦争が始まると同時に、敵国処理方針として、無条件降伏を前提とする戦後処理の立案を国務省に指示している。
戦争は偶然には起きない。戦争は“起きる”のではなく、“起こしている”のだ。もちろん起こしている存在とはディープステートと呼ばれる闇の世界権力(黒い貴族)であることは知る人ぞ知ることだ。
ジョン・コールマン博士によれば、ルーズヴェルト大統領はフリーメーソン系の7つの秘密結社に属していたとされる。
当然、イルミナティのメンバーであろうと容易に想像ができる。
《日本国憲法の水源「Tシリーズ」》
ルーズヴェルト大統領の指示を受けた国務省は、特別調査部を置き作業に入る。ブレークニー博士たちは、日本がどのようにして軍国主義に走ったのかという原因の分析からはじめ、天皇制、軍事組織およびその背景、教育制度、農地制度、財閥、宗教、思想などを事細かく調べあげ、その内容を文書にしていった。
この文書は1943年の夏ごろまでに上部組織の領土小委員会に提出された。
この文書群を「Tシリーズ」という。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
T357というナンバーのついた「日本の戦後処理に適用すべき一般原則」を見てみると、ポツダム宣言の文言の原型や憲法草案に反映した考えが、この段階ですでに見える。
~中略~
そして「究極の目的」は、「国際的な組織による効果的な防衛制度によって守られた、平等な世界ファミリーの一員として復活してほしい」と結ばれている。
〈「地球統一政府への歩み」が透けて見える〉
上記のT-357(日本の戦後処理に適用すべき一般原則)には、「軍事力については、日本が再び国際平和の障害になることを防ぐ」ということを絶対的な原則としている。
これが水源であり、やがて下流から河口に流れてGHQ草案の8条、日本国憲法の9条となる。
「国際的な組織による効果的な防衛制度によって守られた、平等な世界ファミリーの一員として復活してほしい」、とは聞こえが良いがこれは地球統一政府への歩みと私には見える。
直接の意味としては「国際連合」を意味するが、ここに日本に米軍が駐留する絵図まで“言外の意”として含まれていると見ることも出来る。
〈Tシリーズとは?〉
ここにTシリーズのいくつかを紹介しておく。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より抜粋引用
領土小委員会文書一覧(日本関係)
T357「日本の戦後処理に適用すべき一般原則」 起草者:ブレイクスリー
T320「日本政府の行政と機構」 起草者:ボートン
T315「日本天皇の地位」 起草者:コビル
T358「日本-最近の政治的発展」 起草者:ボートン
T230「日本と1919年のパリ会議における人権平等問題」 起草者:ボートン
T355「日本の連合国への降伏条件」 起草者:ストロング
T366「対日降伏条件の政治的・経済的側面」 起草者:ボートン
T354「戦後日本経済の考察」 起草者:フィアリー
ヒュー・ボートンが起草したT358「日本-最近の政治的発展」(1943年7月28日)には何が書かれているのか?
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
軍部への優先や、東条首相のもつ独裁的権力の集中は、明治22年発布の、君主制が確立された大日本帝国憲法の枠組みの中で達成された。
陸軍大臣と海軍大臣は、天皇に直接奏上するという慣習が認められている、したがって両大臣は、奏上した軍事的に重要なこと以外を内閣総理大臣に報告する。この軍部の独立した権限は、大日本帝国憲法の第11条(統帥権)と第13条(編制大権)で明白にされている。
その結果、軍部は政治的に力を持つことになり、軍事的な政策、方針を政府に強制することができた。そして、日本現代史に特徴的な「外交の二元化」という現象を生み出した。たとえば昭和6年から外務省は、日本は満州や中国大陸で拡張的な意思を持っていないと強調していたにも関わらず、陸軍は同じ時期に違う目的で行動した。
陸海軍大臣現役武官制は、軍の好まぬ政策を内閣が遂行することを阻止できた。普通選挙制度が実施された1920年代中葉以降においても、憲法が議会に与えた乏しい権限に加えて、治安維持法が強化さえ、官憲の選挙への介入が広汎に行われて、政党政治に対する国民の信望は十分に強化されなかった。
引用終わり
アメリカによる日本の分析によれば、日本が軍国主義に走り、アジア諸国への侵略(進出)をした原因は、明治22年発布の大日本帝国憲法(明治憲法)の構造的欠陥にあるとしている。
陸軍大臣と海軍大臣が天皇に直接奏上するという慣習が認められている、ということが意味することは、軍人(軍部の大臣)が内閣を通さず直接天皇とつながることを意味していて、その発生源こそが大日本帝国憲法の第11条(統帥権)、第13条(編制大権)にあり、これによって政府から軍部が独立した権限を持っていることとなる。
つまり、軍部は統治機関である政府とは別に政治的に力を持つ組織となり、軍事的な政策、方針を政府に対して強制することが可能となっていたということであり、こと軍事に関してはダブルスタンダードとなっていたということ。
この大日本帝国憲法(明治憲法)の構造的欠陥については、昭和の論客渡部昇一氏なども指摘していた。
この大日本帝国憲法(明治憲法)の欠陥を埋めるための改正こそが「シビリアンコントロール(文官統治)」であり、現在の日本国憲法にはその条文が明記されている。
〈T381「日本戦後の政治問題」〉
同じ年の10月に書いたT381「日本戦後の政治問題」は、<軍部が二度と優位を奪えぬよう、日本の国内政治体制は再編成されねばならない>と制度の変革を主張している。つまり、憲法改正である。
T381の骨子は以下の通り。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
1.内閣の強化と軍部の抑制
2.議会の強化
3.天皇制の存続と改正
4.報道の自由と権利章典(基本的人権の尊重)
この骨子と日本国憲法を比べて見れば、T381(Tシリーズ)に書かれていることがGHQ草案の原則となっていることが読み取れるはず。
《CAC文書》
1944年2月には、戦後計画委員会(PWC)が設置され、「CAC文書」なるものが書かれていく。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より抜粋引用
1944年春、PWCに提出された日本関係文書
CAC116 米国の対日戦後目的
CAC109 占領の範囲
CAC80 占領軍の構成―占領と軍政
CAC110 政府諸権力の停止
CAC111 政党と政治団体
CAC123 悪法の廃止
CAC117 信教の自由
CAC93 天皇制
CAC105 戦争犯罪人
CAC185 軍国主義の排除と民主的過程の強化
など
文書は、Tシリーズの内容を基礎に、「国と地域の諸委員会(CAC)」というクレジットのついた新しいシリーズに生まれ変わっていった。CAC文書は、占領政策に具体的に反映するという前提で、まず予備草案が書かれ、それが戦後計画委員会(PWC)で討議され、正式の文書に書き直されている。
~中略~
数多い文書の中で注目されるのは、CAC116「米国の対日戦後目的」である。これはブレークスリー博士のT357「日本の戦後処理に適用すべき一般原則」が姿を変えたものだが、その格調高い文章のなかには、ポツダム宣言の重要な条項がほとんど網羅されている。
引用終わり
つまり、Tシリーズ、CAC文書を凝縮させたものがポツダム宣言ではないかと考えることができる。このようにいまだ日本国が降伏していない時期から、アメリカは戦後処理の計画を緻密に立てている。そこに憲法改正が入らないわけがない。
CAC93「天皇制」、CAC111「政党と政治団体」、CAC117「信教の自由」などは憲法に関係する文書である。
CAC文書の中で憲法草案の源流となっているものがCAC185b「軍国主義の排除と民主的過程の強化」に他ならない。
なお、CAC文書は後にPWC文書となる。
GHQ(占領軍)による占領政策とは、強制的な革命に他ならず、米国式の統治方法を押し付けるものである。
そう、押し付けられたのは憲法だけではなく、さまざまな政治的な構造そのものを押し付けているのだ。GHQの占領政策とは外科的に大手術をして生まれ変わらせるための“改造”でもある。その本質は、日本精神の破壊であり、日本社会の強制的変容に他ならない。
つまり、日本の伝統や日本らしさを奪う一方的な革命だということ。
最重要なことは、日本国が再び白人国家に逆らわないようにすること。それが軍国主義の廃止と天皇の権限を奪うことであり、それとコインの裏表となっているのが民主化(国民主権)なのです。
ですから現日本国憲法で規定されている「国民主権」には、こうしたアメリカの狙いが奥に隠されていることを理解して憲法の内容を受け止めるべきなのです。
私の主張を裏付ける情報を以下に示す。
〈米国の対日戦後目的(CAC116=PWC108)〉
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より抜粋引用
米国の対日戦後目的(CAC116=PWC108)
2、軍事目的
日本が米国および他の太平洋諸国に対する脅威となることを阻止する。この目的達成のため、武装解除、軍事的監視、経済活動の統制、および連合国が安全保障のため不可欠とみなす特定産業の長期的制限、などの措置を取る必要がある。
3、政治的目的
他国の権利と国際的義務を尊重する政府を日本に樹立することが、アメリカの利益にかなう。それは、軍部支配から自由であり、平和の維持を望む文民によって支配される政府でなければならない。
CAC185「軍国主義の排除と民主的過程の強化」の起草者はボートンと言われているが、その中で、「戦後の日本に陸海軍を保持させるべきではない」と記されている。また、「もし日本が何らかの軍事的機構を後に認められたならば、軍部大臣の武官制を廃し、文民制を条件とすることが絶対的に必要」としている。
この内容は、日本国憲法の内容と合致する。
付け加えると、CAC文書、PWC文書群から憲法改正の文字は発見することはできない。
つまり、当時、これらの文書を読んだとしてもそれが「憲法改正の計画等」であるという指摘から逃れることができるということになる。だが、1946年に完成された日本国憲法と比較すれば、明らかにCAC文書、PWC文書にその淵源(源泉)があることがわかる。
重要な論点は、憲法改正を単純に“憲法を改正する”という単体の視点でとらえずに、“占領政策の一部である”という包括的な視点で捉えることです。
護憲派、特に9条を金科玉条の条文と捉えている日本人は知るべきである。
(私は護憲の考えそのものを否定していない。ただしそれは現実論としてだ)
驚くべきは、CAC185「軍国主義の排除と民主的過程の強化」が起草されたのは1944年4月29日であること。日本がポツダム宣言を受諾する1年以上前に作成されていること。
つまり、日本国憲法の源流(源泉)に位置している文書群とは、戦争に勝利することを確信し、“戦後処理としての日本占領計画の一部を成すもの”であるということなのです。
決して憲法研究会の草案を土台として起草(改正)されたものではないということです。「日本国憲法は日本人が作った」「日本国憲法は憲法研究会の草案を基礎として作成された」などと主張している人たちは、自分たちがあまりにも無知であることを理解するべきなのです。
日本国憲法の正当性を判断するためには、占領政策を知らねばならないのです。それに加えて国際法(ハーグ陸戦法規およびポツダム宣言)と照らし合わせなければならないのです。
占領政策も知らず(調べず)、国際法に照らし合わさずして、日本国憲法の正当性は判断出来ないのです。
《SWNCC-228》
1945年2月、SWNCC(国務・陸軍・海軍三省調整委員会)の実務を行う下部組織である極東委員会は、初期対日占領政策をはじめとするさまざまな戦後計画の立案をある人物に命じている。
その人物とは、CAC185「軍国主義の排除と民主的過程の強化」の起草者であるヒュー・ボートン。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
さらに問題点の検討が行われ、6月11日「対日初期方針」を扱った、前述のSWNCC-150が完成する。1942年に国務省の片隅でスタートした極東班の草案が、三年近くの歳月と紆余曲折を経て、アメリカの国家方針にまで登りつけたのである。ポツダム宣言の文案のルーツもまた、同じ国務省の知日派が書いたこれら一連の文書にあったのである。そしてそれは、憲法草案の指針となったSWNCC-228へとつながっていくが、SWNCC-228を書いた人物もヒュー・ボートンなのである。
〈日本国憲法制定の流れは1942年まで遡ることができる〉
前項で示したが、日本国憲法の誕生は単に1945年の秋ごろに日本政府に憲法改正を示唆し、1946年2月にGHQ民政局で起草され、それが日本政府側で修正されて公布されたものではないのです。
おそらく、「日本国憲法は日本人が作った」「日本国憲法は憲法研究会の草案を基礎として作成された」と主張している人たちは、日本がポツダム宣言を受諾した後になって初めて憲法改正の動きが始まったと思い込んでいると思われる。だが、真相は違っている。もっと奥の奥があり、その動きは(源流)は1942年まで遡ることができる。
1942年に国務省の片隅でスタートした極東班の方針(草案)が、三年近くの歳月と紆余曲折を経て、アメリカの国家方針にまで登りつけた「対日初期方針」を扱った「SWNCC-150」となったことを知らずして日本国憲法の正体は理解することが出来ないのです。
つまり、GHQによる草案の起草および憲法改正とは「対日政策(占領政策)」に他ならないということです。
ポツダム宣言もこの宣言が単体として突如出現したわけではなく、戦後の対日政策を決定するための方針にすぎないのです。
日本国憲法の制定(改正)を日本側の視点のみで考えることは大きな間違いであり、占領者側の視点に立つことによって、はじめて真の姿が現れてくるのです。
【日本国憲法の源泉編④】につづく
参考書籍
書籍名:『日本国憲法を生んだ密室の九日間』
著者名:鈴木昭典
出版社:創元社
書籍名:『日本国憲法の誕生』
著者名:古関彰一
出版社:岩波書店
書籍名:『知られざる日本国憲法の正体』
著者名:吉本貞昭
出版社:ハート出版
最後までお読みいただき、ありがとうござりんした!