これまでの記事
【日本国憲法の源泉編①】~マッカーサー草案へのプレリュード(前奏曲)~
【日本国憲法の源泉編②】~マッカーサーの日本改造プログラムとは?(2)~
【日本国憲法の源泉編③】~日本国憲法の「原液」とは?~
【日本国憲法の源泉編④】~マッカーサー・ノートについて~
【日本国憲法の源泉編⑤】~密室の9日間(2月4日)~
【日本国憲法の源泉編⑥】~密室の9日間(2月5日・6日)~
【日本国憲法の源泉編⑦】~密室の9日間(2月7日~9日)~
【日本国憲法の源泉編⑧】~密室の9日間(2月10日~12日)~
【日本国憲法の源泉編⑨】~日本の命運を決める日~
【日本国憲法の源泉編⑩】~憲法第9条は幣原首相による発案なのか?~
「芦田修正」の真実
《「芦田修正」の真実》
日本国憲法の公布から現在79年の歳月が流れた。
その中でも、議論がいまだに分かれているのが「芦田論争」だろう。
議会における政府案の修正において、戦後最大の関心ごととなった第九条「戦争の放棄」に関する日本側の修正とは、いったいなんだったのか?
この芦田論争の答えを探す。
〈憲法調査会による調査時の芦田氏発言〉
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
私は、第九条の二項が原案のままでは、我が国の防衛力を奪う結果となることを憂慮いたしたのであります。それかといってGHQは、どんな形をもってしても、戦力の保持を認めるという意向がないと判断しておりました。そして第二項の冒頭に「前項の目的を達するため」という修正を提議しました際にも、あまり多くを述べなかったのであります。
修正の辞句はまことに明瞭を欠くものでありますが、しかし私は一つの含蓄をもってこの修正を提案いたしたのであります。「前項の目的を達するため」という辞句を挿入することによって、原案では無条件に戦力を保有しないとあったものが、一定の条件の下に武力を持たないことになります。日本は無条件に武力を捨てるのではないことは、明白であります。
(芦田均委員・憲法調査資料)
上記の内容は、後に憲法調査会が調査を行ったときの芦田氏の発言。
芦田氏が理解しているGHQによる戦争放棄の条項の意味とは、「GHQは、どんな形をもってしても、戦力の保持を認めるという意向がない」というもの。
確かにマッカーサー・ノートの2つ目では、「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ機能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。」となっている。
「国権の発動たる戦争は廃止」するにとどまらず、「自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄」するということは、日本国は自衛権をも放棄するという意味であり、そのための足かせとなる「自衛を含めた軍事力(日本が陸海空軍を持つ機能)は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない」としている。
GHQ草案とは、このマッカーサー・ノートを原液のひとつとして作成されたもの。当然、マッカーサー・ノートの意向に沿った条文となっている。
しかし、日本政府側としては「自衛権までも封じられる」ことに納得していなかった。あくまでもGHQが相手にしている日本政府とは当時の保守層であり、追放されず残っている人物たち。心の奥底にGHQに対する抵抗心、反抗心があって当然と言えるだろう。
それが芦田氏の言う、「前項の目的を達するため」という修正を提議したことであると考えられる。だが、それは真実だろうか?
もう一度芦田氏の主張を示す。
「前項の目的を達するため」という辞句を挿入することによって、原案では無条件に戦力を保有しないとあったものが、一定の条件の下に武力を持たないことになります。日本は無条件に武力を捨てるのではない。
芦田氏の主張には矛盾がある。お気づきだろうか?
芦田氏は「日本は無条件に武力を捨てるのではない」と言っているが、占領開始後日本軍がどうなったかと言えば、「日本軍」は解体されることとなり、陸軍省おおび海軍省が廃止され実質的に日本軍部隊は解体された。兵器や軍需品、銃、大砲、戦車、軍用機などはすべてGHQによって接取され海に沈める、爆破する、溶かすなどの方法で徹底的に破壊または処分されている。
さらには、軍需工場が閉鎖され、軍事につながる科学技術の研究や開発も一切禁止されている。
であるにもかかわらず、芦田氏は「日本は無条件に武力を捨てるのではない」と語っている。すでに軍隊は解体され、兵器は破壊されているのに、「武力を捨てない」とはどういうことなのか? 「捨てない」という主張が成り立つためには、「武力」が残っていなければならない。だが、占領中に日本軍の武力は存在しなくなっている。だから矛盾でしかない。
もし当時、芦田氏の前に私がいたならば聞いてみたい。「捨てない武力」がどこにあるのかと。
そもそも日本国側に日本国の軍隊を含めた軍事力(武力)をどうするかという権限はない。
このおかしさに気がつくべきだ。
すでに無いものあるいは失われたものに対して「無条件で兵力を捨てない」と言うこと自体が空想の産物でしかない。芦田氏の論理が成立するためには「捨てていない武力」が存在しなければならない。しかし、「武力(軍事力)の処分」をどうするのかという判断および決定する権限は日本政府にはない。この芦田氏の主張(論理)は、破綻している。
上記の芦田氏の発言は、占領期間が終了したずっと後の1956年(昭和31年)6月11日に発足した憲法調査会での発言。
もうお分かりですね。
こうした発言というか証言は、その証言の時期、つまり“いつの発言”なのかということが重要なのです。
GHQ草案を受け取って、第90回帝国議会で発言していたのならば、信憑性はあるが、日本国が降伏し占領されてから10年以上経過している際の発言であることの意味は大きい。
これは後だしジャンケンのように、過去なにも語っていないことをいいことに、後付けで解釈を捻じ曲げたと考えることが真実だと考えるべきだろう。
【日本国憲法日本製編】の「鈴木義男の章」で語ったように、憲法制定会議である帝国議会に参加していた鈴木義男は、帝国議会の中で上記のような芦田氏の発言など聞いたことがなく、参加していた人たちの理解はそうではないと語っている。
ところが、芦田修正に関して、これを擁護する人物がいた。その人物とはほかならぬGHQ草案作成側のケーディス大佐だった。もともとケーディス大佐の考えは「個人に人権があるように、国家にも自分を守る権利は本質的にある」というもの。
後に行われたインタビューでケーディス大佐の証言がある。
7月の終わりごろ、芦田氏が一人で戦争放棄の条項を修正したいと相談に来たという。その際に「日本国民は、正義の秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し…」という文章と「全考の目的を達するため」という文章を加えたいと言ってきたという。ケーディス大佐はあいまいな表現であると感じたが、個人的責任で芦田修正に「OK」を出した。
このやり取りを聞いたハッシーとピークがホイットニーのところに確認に行った。
彼らがホイットニーに、「この修正は、日本が《自衛の軍隊》を持つことになると思うが、どう思われますか?」と尋ねた。すると、ホイットニーは「それがどうした?君は良い考えだと思わないのかね」と答えたという。
また、ジャスティス・ウィリアム氏の発言はこうある。
マッカーサーも、第九条は国の安全保持に必要な措置を妨げるものではない、という意見の持ち主だったという。事実、「第九条は、外国への侵略だけに照準を合わせたものである」と、マッカーサーは回想記の中で自分の口から語っている。
「“回想記”で語っている」??
これも発言の時期が重要。
マッカーサー回想記が出版されたのは、アメリカ版(英語版)が1964年にタイム社から出され、日本版は1964年10月に津島一夫の翻訳によって朝日新聞社から出されている。
では、朝鮮戦争がいつかと言うと、1950年6月25日~1953年7月27日(休戦協定がむすばれた)です。
朝鮮戦争が始まり、日本に「警察予備隊」が発足したのが1950年8月10日。設立したのは当時の内閣総理大臣であった吉田茂、つまり日本政府だが、それはGHQ最高司令官マッカーサーの指示に基づいたもの(連合国最高司令官総司令部の書簡を契機として設置されたとされている)。
おわかりでしょうか?
時系列をまとめます。
★まずは前提。
※GHQによる日本占領期間は、1945年(昭和20年)9月2日から1952年(昭和27年)4月28日までの約6年8ケ月間。
※第90回帝国議会が開催されたのが、1946年(昭和21年)5月16日(招集)から同年10月12日。
※憲法調査会が設置されたのが、1956年(昭和31年)6月11日から1965年(昭和40年)6月3日までの約9年間(途中1964年(昭和39年)に報告書を提出している)。
★詳細
・芦田氏による「前項の目的を達するため」という文言の挿入の提案がなされたのが1946年(昭和21年)8月。(帝国憲法改正案委員会の小委員会において)。
・朝鮮戦争が、1950年(昭和25年)6月25日~1953年(昭和28年)7月27日。
・警察予備隊が発足したのが、1950年(昭和25年)8月10日。(警察予備隊は朝鮮戦争が始まってすぐに発足した)
・自由民主党の結成が、1955年(昭和30年)11月15日。
・芦田氏が「日本は無条件に武力を捨てるのではない」と語ったとされるのは、1956年(昭和31年)6月11日に発足した憲法調査会において。
・マッカーサー回想記が出版されたのは、アメリカ版1964年(昭和39年)、日本版は1964年10月。
おわかりでしょうか?
ポイントは、朝鮮戦争が始まる前と後。
朝鮮戦争が始まったのは、GHQによる占領を受けていた時期。
警察予備隊は、建前上日本政府が設置したことになっているが、GHQによる占領下において主権のない日本政府にそのようなことはできない。つまり、警察予備隊とは、GHQの意向(意思)によって設置されたということ。
この意味を解いてください。
マッカーサー・ノートでは、「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ機能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。」となっている。これは日本に準軍事組織である警察予備隊を、占領下に置くことと完全に矛盾している。要するに、当初の方針を現実(戦争の勃発)に合わせるためにつじつま合わせをした(誤魔化した)ということです。
この矛盾の消込のために日本側も協力した、つまり、芦田修正の解釈を出してきた、ということが真相と考えられる。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』は、近年になってGHQ草案の執筆者たちにインタビューして当時の様子を伝えている。つまり、書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』中に出てくるケーディスらの証言は、日本国憲法が制定されたずっと後年になってからの証言である。
(書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』の初版は1995年(平成7年)に出版された)
〈吉田茂答弁〉
枢密院での審議において政府が衆議院の開会を前にして準備した「想定問答集」があり、そこでは次のようになっている。
書籍『知られざる日本国憲法の正体』より引用
問 自衛権は、認められるか。
答 戦争放棄に関する想定は、直接には自衛権を否認していないが、一切の軍備と国の交戦権を認めていないので、結果に於いて自衛権の発動として、本格的な戦争はできないこととなる。
書いたのは官僚でしょうか?
「自衛権を否認していない」というと、自衛権自体があると認めるように聞こえるが、「一切の軍備と国の交戦権を認めていない」ので、現実的に考えれば、「自衛権の発動としての戦争はできない」となり、その結論は「自衛のための戦争は出来ない=放棄する」という解釈になる。
ただし、「本格的な」という文言が入っているため、(法の)抜け道として、大規模な戦争に至らない自衛の戦いは認めているとも読みとめる。どちらにしても玉虫色と見える。
戦争放棄の条項は、特別委員会、小委員会、本会議、枢密院と進み、時間をかけて審議された。
〈衆議院本会議における政府見解〉
注目すべきは、衆議院本会議における自衛権に関する政府見解だろう。
野坂参三氏に対する吉田首相の答弁を以下に記す(芦田修正以前のもの)。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
「本案の規定は、直接には自衛権を否定しては居ませぬが、第九条二項に於いて、一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります。」(1946年6月26日)
「国家正当防衛権に依る戦争は、正当なりとせられるようであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思ふのであります。近年の戦争は、多くは国家防衛の名に於いて行われたことは顕著なる事実であります。如に正当防衛権を認むることが戦争を誘発する所以であると思ふのであります。正当防衛権を認むることそれ自身が有害であると思ふのであります」(1946年6月28日)
この吉田答弁が制憲時の9条解釈の典型となった。
吉田首相の答弁を受けて当時の新聞は、この解釈通り、戦争放棄の条項は自衛権も否定したものとして記事にしている。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』では、上記の後にこう言っている。
書籍『日本国憲法を生んだ密室の九日間』より引用
これが、戦後ずっと続く第九条の解釈になるのだが、GHQが自衛権を認めていたということは、もちろん公にはされないまま、審議は進んだ。
上記の著書の鈴木昭典氏の見解はそのままの意味で受け取ることはできない。
吉田答弁が覆されるのが、1954年に当時の日本政府が自衛隊合憲解釈を打ち出したことによる。
先に示したようにGHQ占領下の1950年に「警察予備隊」が発足している。ただし、警察予備隊は陸上部門のみの部隊であった。
2年後の1952年に警察予備隊を改組し、海上警備隊を統合する形で「保安隊」を発足させる。
さらに2年後(警察予備隊発足から4年後)の1954年には、防衛二法を成立させ、陸海空の「三自衛隊」として発足させている。主な任務は国土防衛。
1952年(昭和27年)というのは日本国にとって、とても重要な年なのです。何があったのかと言えば、サンフランシスコ講和条約が発効し、GHQによる占領が終了し、日本国が「主権」を回復した年なのです。
主権回復と自衛権発足の関係を見てみると、サンフランシスコ講和条約が発効されたのが1952年(昭和27年)4月28日、自衛隊が発足したのが1954年(昭和29年)7月1日。つまり、自衛隊の発足は日本が主権を回復した後のことだということ。GHQによる占領が終了したということが意味することとは、「GHQによる国家政策の干渉を受けない」ということです。
芦田修正が行われたのは衆議院の帝国憲法改正委員会に設置された小委員会(秘密懇談会形式)です。
以下に政府案と委員会案を比較する。
書籍『知られざる日本国憲法の正体』より引用
(政府案)
国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを放棄する。
陸海空軍その他の戦力の保持は許されない。国の交戦権は、認められない。
(委員会案)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。
この委員会案がそのまま現行の日本国憲法第9条となる。
現在ではこの「芦田修正」に対する見解は2つに分かれている。
一つは「政府見解」で、9条が示す「戦争の放棄」とは、国際紛争を解決する手段としての戦争や武力行使を禁止しているものであり、主権国家固有の自衛権は否定せず、自衛のための必要最小限度の実力行使(武力の行使)は認められるとしている。
しかし、「憲法学界の見解」では、9条の文字通り、自衛の戦争や実力行使もすべて放棄されたとする立場であり、自衛権の権利は国家の自然権であるから認めるが、現実的な軍隊組織や武力による行使は自衛のためであっても許されないとしている。
つまり、現実に政治を行う政治家と憲法を研究している専門家である憲法学者では見解が分かれているということ。
この立場の違いを国民も考慮するべきなのです。
重要な指摘は、政治家は嘘や誤魔化しをするという現実的なことでしょう。
一方、学者は明文化された憲法の意味を正確に理解しようとするもの(政治に癒着していない学者ならば)。
〈鈴木義男の証言〉
では、実際に芦田修正がなされた現場にいた人物である鈴木義男の証言を見てみよう。
芦田修正に対する鈴木義男の見解やいかに。
書籍『平和憲法をつくった男』より引用
「前項の目的を達するため」という字句がよく問題になるが、(中略)それは第一項と第二項とが、これなくしては接続されないから、接続の意味において挿入されたものと理解しているのである。
~中略~
少なくとも私は私なりに解釈して、第一項の規定を宣言しても、宣言のし放しでは駄目だから、第一項の誓を実にするために、第二項を規定するという意味を明らかにするために、この接続句を入れることが適当であると解して賛したのである。
~中略~
従って当時の意見としては、兵力を全然持たないのであるから、自衛のためにすらも戦闘行為に出ることは予期しなかった事なのである。
つまり、鈴木義男の記憶では「前項の目的を達するため」という字句は「第一項の誓いを達成するため」に挿入した“接続句に過ぎない”というもの。
では、「第一項の目的」とは何か。
「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求すること」であり、そのために「戦争を永久に放棄する」こととなる。
つまり、「前項の目的を達するため」という文言は、「第一項の誓いを達成するため」に挿入したものであり、第一項と第二項の文章のつながりを自然とするための“接続詞”として挿入されたものだということ。
要するに、日本国は「戦争を放棄するという誓いを立て」、その誓いを守るために又は裏付けるために戦力の不保持と交戦権の否定をするという条文となっているということ。
もう一度言います。
「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求するため」に、国権の発動たる戦争、武力による威嚇又は武力の行使を“永久に放棄する”。そのために(前項の目的を達するため)陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権も認めないとした、ということです。
〈自衛隊護憲論とは?〉
では、芦田修正における芦田均などの自衛隊護憲論とは何か?
それは現実問題として軍隊である自衛隊がすでに存続しているため、現実に合わせて憲法の解釈を変えたということだと言うしかない。つまり、政府見解とは現実論であり、正しく素直に憲法条文を理解するものではないということ。
政府としては、現実に自衛隊という軍隊組織があるため、違憲と認めること自体が、自分たち政治家の政治生命を奪いかねないので、憲法解釈を変えたと言える。つまり、「憲法論」ではなく「解釈論」なのです。だから政治家と憲法学者の見解が分かれているのです。
〈芦田修正に関する重大過ぎる事実〉
そもそも、小委員会において、芦田氏は「芦田修正の意味」を主張していない。これは重大過ぎる事実であり、もし本当に芦田修正が自衛権を認めるという文言であれば、小委員会での修正作業中にそのように説明しなければならない。だが、実際には今日伝わる改憲派の見解である「自衛権肯定論」の説明はなかった。というよりも当時修正会議に参加していた人たちの9条解釈は鈴木義男が指摘しているようにあくまでも「接続詞」として挿入したということが現実である。
これを行っているのは誰か、芦田修正(自衛権を肯定する)を主張しているのは誰かと考えれば、少しは裏側に隠れた事情がわかるのではないでしょうか。
もちろんその誰かとは「自民党」です。
事実、自民党の憲法改正の主要目的が、できたばかりの自衛隊の合憲化にあったことは広く知られていること。つまり、現実にあわせて9条を変更するということであり、その意味を読み解くと、9条の真の意味は自衛権を放棄しているということ。9条の正しい理解としては自衛権を放棄している条文となっているため、現実に存在している自衛隊を正当化するために憲法改正が必要だということ。もちろん、当の自民党はそういった言い方はしませんが。
〈芦田修正論が世に出たのは1951年〉
今日伝わる自衛権を肯定する「芦田修正論」を芦田自身が世に出したのは、朝鮮戦争勃発後の1951年です。
1951年という年は、朝鮮戦争勃発(1950年6月25日~1953年7月27日)および警察予備隊発足(1950年8月10日)の“翌年”だということ。
警察予備隊を発足させた張本人はもちろんGHQです。GHQとしてはGHQ草案を執筆した段階では、朝鮮戦争を予測していない。せっかく日本国に戦争が出来ない縛りである戦争放棄の条項を作ったのに、それが仇となったため、急遽軌道修正したのです。朝鮮戦争は共産主義と資本主義の戦いなので、アメリカとしては朝鮮半島を共産主義に渡したくないし、その先に位置する日本を共産主義に侵食されたくはない。つまり、アメリカにとっては朝鮮戦争を有利にするために地政学的に深く関係する日本に協力を求める必要があった。それは日本国のためでもあるが、実態はアメリカの事情によるもの。
占領下にあった日本が、朝鮮戦争に協力することを拒絶することは不可能。
だから警察予備隊の発足を認めるしかない。だが、制定したばかりの9条と矛盾する。そこで「芦田修正」として解釈論を持ちだして正当化したということが真相であると思われる。
もう一度言う。
小委員会での修正の際に「前項の目的を達するため」という文言の意味を説明していなことは事実であり、51年になって当時していない話を持ち出すことなど卑怯極まりないことであり、あってはならないこと。なぜならば、戦争するかどうか(自衛戦であっても)の問題だからだ。肝心なことは、9条が自衛権を肯定しているのか、自衛権まで否定しているのかという問題は、国民の生命と財産の問題でもあることなので、憲法制定過程である修正作業(修正論議)の際に示されなければならないこと。後出しじゃんけんは許されないのだ。
私個人の見解でも、9条は戦力の不保持、交戦権の否定をしているので、自衛のための武力行使を禁じていると条文の意味を理解している。
この問題は、条文が作成された時点とその後の国際情勢に大きな差が生じてしまったための深い溝が発生したと言える。
さらに言えば、9条とはあまりにも理想過ぎた条文であり、その奥に白人国家に逆らわないように日本国に鉄の鎖をつけた悪意が込められたものであると言える。
重要なことなので何度でも言う。
当時、小委員会で、9条2項の修正の真意について芦田氏は言及(説明)していない。
後から「芦田日記」などで主張しても後出しじゃんけんであり、そうした別の解釈が通用するならば、何でもありの社会となってしまう。それが意味することとは歴史的事実が後世にいくらでも書き換え可能となるということ。真実は一つだが、嘘はいくらでもつくことができるということを理解するべきだろう。
〈金森久雄氏の証言〉
芦田氏による9条2項の解釈(自衛権を放棄していない)に対して、第一次吉田茂内閣で憲法担当の国務大臣を務めた金森徳次郎氏の御子息である金森久雄はこう証言している。
書籍『知られざる日本国憲法の正体』より抜粋引用
「芦田は後に、これ(芦田修正)は自衛のためには軍隊が持てるという意味だと解釈して父を憤慨させた。芦田氏は本会議ではそのようなことは何もいっていない。父は戦力を持たないのはあらゆる場合にあてはまると解釈していた」
この金森久雄氏の父である金森徳次郎氏の見解も鈴木義男氏と同じもの。当時、憲法9条の修正論議に参加していた人たちが「戦力を持たないのはあらゆる場合にあてはまると解釈していた」ということが歴史的事実であり、後の世になって、「私の真意はこうでした」などと世に出すことなど許されることではない。それは卑怯なことでしかない。
〈秘密とされてきた議事録『特別委員小委員会議事録』〉
書籍『知られざる日本国憲法の正体』より引用
実は芦田自身も小委員会段階ではいわゆる「芦田修正」で自衛戦争が合憲になるとは考えていなかったと思われるのである。
小委員会による修正作業(第7回8月1日)では、「前項の目的を達するため」という文言の挿入は、「日本国民の平和的希求の念慮」を表わすものだった。
つまり、「国権の発動たる戦争、武力による威嚇又は武力の行使、国際紛争を解決する手段としての戦争」が「前項の目的ではない」ということであり、すなわち「自衛権まで否定したものではない」という意味を見出すことはできないということ。
ただし、この修正によって自衛権が認められることになったとケーディス大佐が証言しているが、それは後のインタビューによるものなので、信憑性が薄い。
重要な論点は、この時の議事録でしょう。
書籍『知られざる日本国憲法の正体』より引用
とにかく小委員会での審議・修正過程で「前項の目的を達するため」を挿入したことで自衛戦争が認められることになったとか、さらには芦田がのちに言うようになった自衛のための戦力が認められるようになったと考えた者は、議事録を見る限り芦田委員長を含めて委員の中には誰一人いなかったのである。
ここで出てきた議事録とは、『特別委員小委員会議事録』のことであり、長年秘密とされてきたもの。この議事録は1950年ごろまでは誰でも見られたが、1956年5月10日に、衆議院議員運営委員会が、小委員会速記録の閲覧を「国会議員に限り、議長においてこれを許し」と限定するようにした。さらに「閲覧者は、速記録の複写、公表又は頒布してはならない」とした。つまり、事実上の“秘密扱い”にしたということ。
書籍『知られざる日本国憲法の正体』より引用
したがって芦田修正によって自衛のための戦争または戦力は認められることになり、その歯止めとして文民条項が挿入されたとする、いわゆる「自衛戦争合憲論」は、制憲過程に見る限り全く根拠を持たないと言わざるを得ないのである。
芦田氏が「芦田修正の解釈」を自覚するのは、衆議院の小委員会終了前後と推測されている。芦田氏が「自衛権合憲論」を書いた『新憲法解釈』を刊行したのは、1946年11月3日であり、当時の状況を考えると、原稿を書き始めたのは8月頃となり、その時期は「芦田修正」が行われた時期と一致する。
だが、『新憲法解釈』を刊行した1946年11月3日以降も、9条に関して自衛戦争合憲とかけ離れた解釈をしている。
〈自衛隊設置後の吉田首相の見解〉
1954年に自衛隊が設置され、再軍備が本格化する。
この頃の吉田首相の見解はいかに?
書籍『知られざる日本国憲法の正体』より引用
ただし、その後は自衛隊が設置され(1954年)、再軍備が本格化するが、時の吉田内閣は、芦田の解釈である自衛戦争合憲説を採用しなかった。政府は、9条1項の「戦争」は侵略戦争を否認したものであり、また2項で憲法が否認する「戦力」については、それに至らない「自衛のための実力」は認められるとの解釈を示したのである。従って自衛隊は、戦力ではなく「自衛のための実力」であるから、憲法に違反しない、との考えを示し、その解釈は今日でも有権的な解釈となっているのである。
笑っちゃいますね!
芦田修正の解釈を採用しなかったのは、芦田修正説に無理があるからでしょう。もし芦田修正説(自衛戦争合憲説)が有権的であると認めるのであれば、芦田修正説を取ればいいだけ。
芦田修正説(自衛戦争合憲説)を否定しておきながら、吉田内閣が取った解釈とは、9条2項で否認する「戦力」ではなく、それに至らない「自衛のための実力」だと言う。
つまり、自衛隊は戦力ではなく「自衛のための実力」?
これを世間では詭弁という。これほど愚かであり、国民を欺く言説が許されるはずがない。
自衛であっても戦い(戦争や軍事紛争)であれば、それは実力ではなく戦力と呼ぶものです。
自衛戦における実力? そんな言葉がどこにある?
はっきりと言う。
世界各国で、「軍隊を侵略のために維持しています」などと主張する国および権力者など存在しない。独立国家における軍隊とは、自国の領土と国民の命と財産を守るために存在する。つまり、軍隊とは自衛のために存在するということ。ただし、それを悪用する国家や指導者が歴史上または現代でも存在する。だが、間違っても「軍隊が他国を侵略するために可能な武力」などと明記する法は存在せず、そのように表明することはない。
吉田内閣の「戦力ではなく実力」という発言は、あまりにも酷すぎる詭弁でしかない。
あきれ果てている。
ちなみに、吉田茂の孫が現代の政界にいますね?
おわかりですよね?
だから、自民党はダメだと言っているのです。
〈芦田修正への結論〉
結局、「芦田修正」とは、9条の修正時に挿入した「前項の目的を達するため」という文言が解釈次第(捻じ曲げた解釈をすれば)で、自衛権を肯定する意味に捉らえられると考えついたことを基とした憲法条文の理解を捻じ曲げることであり、現実に憲法解釈を合わせることであり、違憲論を退けることであり、それによって自民党政権を守ることである。
その証拠に、自民党は結党以来憲法改正(9条改正含む)を党是としている。もし芦田修正が自衛権を否定していないのならば、9条の改正は必要ないはずだ。先の戦争の反省として「戦争の放棄」を謳いながら、「自衛権を肯定」しているならば、平和国家日本としてなにも問題ではないはず。
そう、9条改正の真意は、違憲状態の解消にある。なぜ違憲状態を解消しようとしているのかと言えば、自民党が当時の保守勢力の系譜にある集団組織であるからであり、違憲状態を解消することで自民党政治の正当性を維持しようとしているからと考えることができる。
憲法の意義
イギリス憲法が、支配階級から経済的な搾取および政治的圧迫を受けている被圧迫階級が、国王の専横をルールによって制限しようとしたことからスタートしたと言われるように、「憲法」とは、国家権力から国民の自由や人権を守るために存在し、その目的として国家権力に権力の横暴を縛る鎖をつける役割がある。
肝心なことは、憲法という国家ルールの下で平和的、民主主義的に国民が生きるためには、国民の声を反映することこそが立憲主義につながるということ。ですから、憲法秩序の下で権力に制限をかけられている政治家たちがその鎖を外し、逆に守られるべき立場の国民を縛ろうとする動き(憲法改正など)をすることは、国家権力が強大となっていく徴候であり、国民にとっての自由は死にいたる道なのです。
その行きつく先は、独裁国家に他ならない。
【国際法編】につづく
参考書籍
書籍名:『日本国憲法を生んだ密室の九日間』
著者名:鈴木昭典
出版社:創元社
書籍名:『日本国憲法の誕生』
著者名:古関彰一
出版社:岩波書店
書籍名:『知られざる日本国憲法の正体』
著者名:吉本貞昭
出版社:ハート出版
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